第224話/ホストくん④
さっそく接触した丑嶋と鼓舞羅。
道の真ん中をいく鼓舞羅たちを丑嶋は車で煽るのだが、もちろん彼にどく気などない。なんといっても、彼は常識の通用しないことを旨とする存在である。常識とは、一般の合意された暗黙のルールのこと。彼はただたんに「常識が通用しない」のではなく、積極性をもってその場に立とうとする。つまり、常識が「道路の真ん中を歩くべきではない」と諭すなら、彼は道路の真ん中を歩くのである。
対する丑嶋は徹底性を旨とする。なめられてはならない。一見むちゃに見えても、必要なら、常識など無視する。金属バットもフルスイングする。そして、思い切りアクセルも踏み込むのである。
かつて肉蝮は、包丁をもった丑嶋の目のなかに本気を感じとり、気おされてしまった。ガラス越しにどれだけ表情が読み取れたか不明だが、いずれにせよ、鼓舞羅もまた丑嶋の本気を悟り、とっさに車に足をかけ、これを飛び上がって回避する。運動能力もさることながら、そうした本気を発揮しうるにんげんの存在をすぐに受け入れている点から見て、かなりの経験値が見て取れる。
着地した鼓舞羅はその場を去っていく車のナンバーを記憶する。
車のなかにいたらしい高田が、鼓舞羅の跳躍に驚いている慶次オーナーに気づく。かつてのセンパイだ。なにか悲しい表情であり、慶次の堕ちていった経緯に高田は関わっているのかもしれない。
丑嶋に売り掛け金の回収を依頼した成瀬一聖というメガネホストが金を受け取る。
一聖は「ニューロマンサー」というクラブのホストらしい。これは、かつて慶次がナンバー1ホストだったというクラブと同じ名前だ。とすると、慶次、隼人、それに高田はこの店のホストだったという可能性が出てくる。
そこに、何週か前に出てきた比較的マトモそうだった太田ハルコという女がやってくる。子どもの学資保険をつかって金を出した女だ。丑嶋から100万円借りる予定だ。
一聖は、ホストらしくうまいこといってさらに金を出させる。「あと100万出せ」とか露骨なことはいっさい言わず、相手の気持ちに訴えかけて出させるというのがすごい。
ハルコは保育園の先生。夜はべつの仕事がある。
裸になったハルコのからだには大きなあざがいくつもある。別居中の旦那にやられたものだそうだ。
(お金の関係でもヤル時男は私にやさしくしてくれる)
くりかえし見られる心象だけど、ここでは「ほんとう」が意味をもたない。ほんとうなど、どうでもいい。皮膚的な仮象だけが、リアリティをもって感じられる真実である。
しかしそれは、彼女に自覚のあるとおり、あくまで仮のものである。ハルコが眠り込んでしまったのを見て、男は金を奪って逃げ出してしまう。
そこへ、なにげない、実用的な意味はない、それだけにぬくもりの感じられる、一聖からのメールである。
元気をとりもどしたハルコは再びカウカウファイナンスに赴く。融資額を200万に変えてくれと。
しかし素人仕事の出会い系では知れた額だろうし、ひどい目にもあうかもしれない。というわけで、丑嶋は「まともなトコ」を紹介する。むろんソープである。
「ホスト狂いの女は借金し続けるから稼がせてもらうぜ」
つづく。
そういえば丑嶋は闇金だった。
多くの登場人物を震え上がらせる悪人だったのだった。
煽りにもそのような文句がある。
今回は丑嶋の悪人性、徹底性を描いていくものだろうか?
ところで、今週の鼓舞羅の絵ではじめて気づいたのだけど、鼓舞羅の着ている服に記されている文字が、なかなかおもしろい。
胸や背中には大きく「ORE」と書かれ、背中のそれを囲うかたちで、おそらく「ORENONAKADEOREGATATAKAU」、そのしたには「ORAORAEIGYOU」と書かれている。つまり、それぞれ「俺の中で俺がたたかう」「オラオラ営業」となる。
なにか有名なせりふとかかともおもえるが、これらのことばをググってみると、「オラオラ営業」はともかく、「俺の中で~」というのは特になさそうだった。ちなみにオラオラ営業は、ウィキペディアにはしたのようにある。
『オラ営』ともいう。尊大な態度で客に接し「ボトル入れろや!」と偉そうにしたり、煽る営業方法。この煽りノリが好きでボトルを入れてしまう客もいれば、オラオラが大嫌いな客もいるので、見極めが大切な営業スタイル。
ともかく、「俺の中で」云々というのは、先週てきとうに書いた鼓舞羅の人格のありように通じるものがあるようにおもえる。
「俺の中で俺がたたかう」、その相手は誰だろうか。
以前書いたように、鼓舞羅のような人物は「私」を、「みずからの宿す暴力」を信仰している。
すべての議論はそこを基点にして出発するために、「会話が成り立たない」。
もちろん、俺おれとくりかえしかかれていることからもそれは見て取れるけど、しかし「たたかう」とはどういうことか。
「たたかう」には「闘う」と「戦う」のふたつの漢字があてはまる。
一見使用法は恣意的なようだが、それぞれに意味がちがう。
「戦」は、「戦争」ということばに用いられるように、勝敗を明らかにするためにたたかうばあいに用いる。
たほうで「闘」は、「闘争」ということばの雰囲気が近いかもしれないが、なんらかの障害や圧力に抗い、つぶされないように立ち向かっていくばあいだ。
ふつう、ひとは「俺の外で」たたかう。なぜなら、勝敗を決しなければならない相手や、みずからを圧迫する他者的ななにかというものは外部に存在するものだからである。
つまり、鼓舞羅の内部にこそ、そうした他者的な、阻害するものが存在することになる。
急いで結論を出すことはないが、大きく記された「ORE」は、彼の目指す到達点をあらわすのかもしれない。
そして、彼が弁証法的に「ORE」を目指すために対立させるものもまた、それが内部で起こっていることからして、おそらく「ORE」である。おそらくね。
ふたつの「ORE」のあいだにはある種の矛盾が生じなければならず、したがってこれらが同一であってはならない。
その差異を生成するものは、時間だろうか。
鼓舞羅の中では「過去の私」と「現在(未来)の私」が激しく議論をかわし、たたかっている。
しかし、漢字の定義からして、このふたつの俺は、必ずどちらかが勝利するものか、現状を維持するものでなくてはならない。
つまり、より優れた「俺」に両者が一元化されるということはない。
この「たたかい」の目的は、最初の「俺」の保存である。「たたかい」なのだから。
したがって、大きく記された「ORE」は、到達点にして、生得的なものなのであり、神なのだ。
時間の経過とともに、最初に定められた「ORE」とは異なる「ORE」は、生じてくる。
しかし最初にあった「ORE」は、議論の成り立たないひとびとにとっての信仰の対象と同じく、絶対性をもっている。「これが正しいことはまちがいない」という所与の原理を前面に掲げたのち、「たたかい」ははじまる。
そしてそうした傲慢さが、さらに彼の暴力の自我を強めることになるのだ。
鼓舞羅の「正しさ」は彼のなかにある。
少なくとも今回のエピソードで、丑嶋との決定的な衝突は避けられないだろう。
「正しさ」がつねに自身に返っていくにんげんを、なめられてはならない丑嶋はどうやって打ち倒すのか。
豚塚みたいないスルーするわけにもいかない。豚塚をスルーしても誰も丑嶋がびびったとはおもわないが、鼓舞羅のばあいはそうはいかないだろう。
さらに、鼓舞羅の背中に「オラオラ営業」と記されていることも興味深い。
彼のありようがどのようにして「ホストくん」につながっていくのか?
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