第232話/千春流
今回はバキ対千春。
強烈な打撃をまっすぐにくらったはずだが、千春はすでに気がついている。
バキは千春からなにかを学ぶつもりである。
といいつつも、バキのくちぶりはいつものように不遜なものだ。
「見せてやるよ
柴千春を」
バキはそういう。柴千春のようにたたかいたいと。
もちろん、バキはバキとしてたたかったほうが楽にはちがいない。だがそれでは決着がつかない。千春は死んで動かなくなるまでむかってくる。いや仮に死んでも、千春が負けを認めなければ、決着がついたことにはならない。しかしバキ的にはそれはじぶんの勝ちだろう。つまり、このたたかいは勝負がつかない。というか、「勝敗」について合意するということがない。
だからバキは千春になる。そうすれば、延々と負けを認めないものどうしのたたかいになる可能性はあるとしても、少なくとも両者の勝敗の解釈が異なるということはなくなる。
しかしどうやって千春になるというのか。千春になる、というからには、勝敗に関する心構えをおなじにしなくては意味がない。
だがバキはいつだってかたちから入るのだ。喧嘩屋として許しがたい発言だったか、怒りながら繰り出された千春の右アッパーを、バキが顔面で受けとめる。
つづく前蹴りも、バキは威力が最大の瞬間をあえてねらい、顔からつっこんで受ける。
千春のあしの骨が折れる。同じ土俵に立つことで、千春の鋼鉄の精神も揺らいでしまうのだった。
つづく。
こう見てみると、先週の烈の行動・・・敵からうけた痛みのうえにみずからの手による痛みを上書きするという方法は、やはり千春流だ。
相手の攻撃をうけきることで、格上の相手に負けを認めさせるというのは、たぶん千春の戦法といっていいだろう。
千春は根性でバキの攻撃をうけきる。全身骨折して動けなくなっても、たぶん千春のこころは折れず、負けを認めない。治療して、三ヶ月後にまた玄関先に立つにちがいない。
そして、もうできることがなにもないと悟ったとき、バキは絶望的な面持ちで負けを認めてしまうかもしれない。
だが、現実には、ふたりの実力差はたいへんなものであり、そう長引くことなく、千春は死んでしまうだろう。
それもふまえて、千春はかかってくる。
そこには、たぶんバキの知らない世界が広がっている。
学ぶということは、じぶんが知っているかどうかもよくわからないことを他者から教えてもらうということ。
第三者的にはともかく、バキは直観したのにちがいない。このスタイルにはなにかがあるのだと。
バキにこれをやられてしまっては、あとはタフネスの勝負になり、千春のほうがさきに「もうできることがなにもない」と悟ってしまう可能性は高いだろう。
いったいバキはそこからなにを学ぶのか?
- 範馬刃牙 26 (少年チャンピオン・コミックス)/板垣 恵介
- ¥420
- Amazon.co.jp
- 範馬刃牙 25 (少年チャンピオン・コミックス)/板垣 恵介
- ¥420
- Amazon.co.jp
- バキ外伝疵面-スカーフェイス 1 (チャンピオンREDコミックス)/板垣 恵介
- ¥580
- Amazon.co.jp
- 餓狼伝(24) (イブニングKC)/板垣 恵介
- ¥560
- Amazon.co.jp