第193話/ヤミ金くん⑭
同居人の黒田の治療のため、甲本を連れてカウカウ・ファイナンスに出向いた竹本優希は二万円を手にする。ついでに甲本も二万ゲット。
といっても、甲本のばあいは入居時の借金になるが、ぜんぜんたりない。いっしょにやってきていた鰐戸一はふたりにさらにべつの金融屋を廻らせる。五軒まわって合計でそれぞれ十万。つまり、どこにいっても二万程度が限度だったようだ。アウトローの金貸しとして丑嶋がひどいということはなく、初回ではこれが相場なのかもしれない。
金は手に入ったが、借金にはちがいない。それも、日給2000円の彼らではとてもではないが返済できない。甲本がそういうと、金融屋でもある一は返さなくていいという。
「だがよ、カウカウファイナンスだけちゃんと返済しろ。
その為の偽造の身分証明書用意してやったンだ」
これはおもしろい。
やっぱり借金を返させるための借金では、金融屋どうしでトラブルのもととなることも多いのだろう。鰐戸兄弟といえども丑嶋とは極力もめたくないということなのかもしれない。
翌日に次兄の二郎が用意した一万の仕事は、大量のゴミの撤去だ。かたちだけの点呼をすませ、記号としてあつかわれながら、ラブ・ハウスの面々が仕事にとりかかる。これまでの2000円の重労働にくらべたら、いかにもおいしそうな仕事なのだが、やっぱりただではすまない。ジャック・ハンマーが通過した直後のように、ごみのなかには注射器やくすりのびんのようなものがたくさん混ざっていたのだ。違法に捨てられた医療廃棄物なのである。
どこまでも記号として、労働力を抱いた人物ではなく労働力そのものとしてあつかわれる甲本たち。それは、ある意味では事実なのだけど、しかしその労働を保証しているのはその人物の生きた肉体であり、精神だ。であるから、ふつうは、それが仮に真理であったとしても、もっとずっと複雑なものになる。雇い主のこの態度は、彼らのあつかいが使い捨てであることを端的に示している。
このあつかいを呼び水に、甲本がじぶんの半生を省みる。彼もまた、彼固有の地獄を抱えている。地獄は、そのひと独自のかたちで、その内側にくすぶっている。それは本来比較不可能なもののはずだ。しかし他者にじぶんとおなじ形状をした感情の揺れのようなものを求める思考習慣が、やがてこの地獄を相対的なものとし、決定的なニヒリズムを呼び起こす。
(必要とされたい。
安心したい。
ゆっくりしたい…)
そこへ優希が、現場のひとからもらったというチョコレートを手にやってくる。よくわかんないけど、この状況でどういう会話をしてもらってきたんだろう。飄々とした態度の優希にいらついた甲本が、読者が聞きたくても聞けなかった種類の質問を次々に投げかける。優希には、こんな生活でも、感謝の念がある。どんなにまずい飯でも、つくられた過程、すなわち他者の変形をおもえば感謝できる。
「自分をダメだと責めていれば楽でいられる。
でも責めた分だけ卑屈な人間になるよ」
しかし開き直って卑屈を謳歌する甲本に、優希が共感を示す。ニヒリズムに陥っている人間には禁句だ。甲本もかっとなって「なにがわかる」という。
「誰からも必要とされていないのが、
この世で一番の苦しみだ」
「僕も苦しんでる。
誠愛弁当の味に」
つづく。
宗教家のような包容力を見せる優希。
優希と甲本のやりとりは実におもしろい。
なにがわかるのかと甲本にいわれ、優希はついさっき甲本が述懐していたこととまったくおなじことをくちにしてみせる。
もちろん甲本には、共感地獄の果て、対人関係のデフォルトとして「この感情は誰にも理解されない」ということがあるので、認めない。しかし、優希はじっさい、くちだけではなく、甲本を深く理解しているようである。というのは、つづく冗談まじりの誠愛弁当のくだりが、まさしく、こうした孤独な地獄を抱えている人間というのは他者からの共感を認めない、ということを知ったうえでの発言であるからだ。優希ははじめから、共感を示したところで甲本が認めたり喜んだりはしないと、わかっているのだ。
ただし、だからといって、優希が甲本に連帯感情のようなものを抱いているとは限らない。深く理解することと、じっさいにそのようなこころの揺れが内側からあらわれることというのは、ちがう。
テレクラくんで丑嶋は「孤独を受け入れろ」といった。
対して優希は、いわば逆のかたちで、孤独な人間へのコミットメントをはかる。
前提として仮に「人間は孤独である」というのがまちがいのないことだとする。
そこで、丑嶋においては、それは事実なのだから受け入れてしまえという。
しかし優希では、その孤独はよくわかる、というかたちで、つまり「孤独を認める」という方向で孤独を解消しようとする。
ある感情が内側に起こる。
それはとても苦しいもので、他者とわかちあわなければやっていけないものかもしれない。
そして、似たような感情を抱いているらしい人物を発見したとき、ここに、ひとは幻の共感を寄せる。その感情がどのようなものか、どこまでも固有の、交換不可能なものであるという意味で、人間というのは本質的に孤独なものだ。
幻の共感では、一時的な愉悦は得られても、根本的な回復というのはできない。
ひとは、孤独を知るというかたちから出発しない限り、他者へと志向することができないのである。
優希が超然とした雰囲気にあるのは、たぶんこのためなのである。逆説的になるが、「ひとは孤独じゃない」と心底から発言するものは、孤独を克服することができないのだ。あとは共感地獄にとらわれるのみ、運がよければ意識せず、なにも知らないまま蒙昧に生涯を終えることができるかもしれないが、大半はまちがいなく、ニヒリズムに陥ることだろう。だってひとは孤独なんだから。
丑嶋と優希のふたりはこのさきにいる。そして、その意味では、ふたりの立つ場所はまったく同じだ(とおもう)。両者においてもっとも異なるのは、丑嶋が「人間とは本質的に孤独なものである」という命題のもと、徹頭徹尾孤独に生きるのに対し、優希は、本心はどうあれ理解を示すことで、周囲を救済しようとするのである。
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