ここ数日、めまぐるしい忙しさで、いや、べつに身体的にというか時間的にはどうってことないのですが、とにかく切羽詰った感じが強くて、精神的に余裕をもってブログを更新するということができていない。
なんというか、じぶんがこんなに女々しいとはおもってもみなかったなぁ…
いろいろとおもうところもあった。
だけれど、細かいことはどうでもいい、僕には、守るべきひとがいるので、すべての行動の基準となる存在がいるので、あとはそこを定点にして、がんばっていくだけです。
僕は、それほど上等な脳みそをもっている人間ではないから、余裕がないと、知的におもしろみのあるものというのは書けない(だから、職業作家になれない)。
いまの状況のおかげで、僕のあたまの深いところの状態というものが、よくわかるようになってきた。
書いているものの知的なおもしろみというのは、どういうことか、よくわからないけど、たぶん、ものを考えるときの瞬発力のようなものが肝要なんではないかとおもう。
ざくっと一気に深いところに到達するような脳みその筋肉。
僕のそれが優れたものだということではないけれど、しかし、たぶん社会ではより重要視される持続的な筋肉(遅筋)よりは、僕のばあいでは、そちらのほうがよく育っているのではないかとおもう。わからないけど。
すごい広い言い回しになってしまうけれど、そういう知性の持続力のようなものを活かすのも、またそうした瞬発力なのだが、気まぐれなときにしか発揮できない速筋など、持続的な社会に生きている以上、ほとんど価値をもたない。
単発でいい記事を書けたって、いいのはその「記事」であって、そのテキストを表出した主体(という言い方は矛盾しているだろうか…)の価値には微塵の変化もない。
いってしまえば、僕はつねに「おもいつき」でものを書いてきた。
それは、長所にもなるし短所にもなるということがわかってきたから、ブログをはじめた。
けっきょく「おもいつき」でものを書くということは変わらず、僕はいつも、てきとうなことを書いて、歪んだ、独善的な解釈を作品にしてきたけど、それでも、そうした持続力みたいなものは、かなり身についてきたんではないかとおもっている。
だけれど、それと同時に、そうした「おもいつき」の感覚が薄れていっているという感じもある。
もう三年近く、僕は長編の小説を書いていないのだ。
「おもいつき」を広げるのは持続力かもしれないのだけど、僕はどんどん、根本となるそういうちからを失っているんではないかとおもう。
もう少し気楽に書いたほうがいいのかな~。いまでもじゅうぶんてきとうだとおもうけど。