第190話/あの言葉があったから…
久しぶりの再会を果たした、幼少時のマネージャー、栗谷川さん。
バキは父親が母の仇だということに疑問を抱いている。
そして、母として勇次郎の前に出て、息子を守ろうとした江珠のふるまいをして、女性として報われたという。栗谷川はそのことばに涙する。
僕はてっきりこの涙は、つまり、栗谷川は「報われた」とおもっていない、だから復讐をすべきで、ここに疑問を示すじつの息子に対して泣いているのかと考えたのだけど、どうもそういうことではなく、栗谷川はバキのありかたそのものについて涙していたようです。
江珠は女性として報われている。だから、彼女にかわり勇次郎を倒す、ということは成り立たない。このことは、栗谷川さんも納得しているようなのです。
「報われたのは奥さまの人生だけです
刃牙さんの人生ではない
大切なのは御自身の人生です
刃牙さん御本人の人生のハズです」
栗谷川さんはそういうのだ。それが、前回の「あなたはそれでいいのですか」という発言につながっていくようだ。
母親を満たし、勇次郎を喜ばせるために生きる。
範馬刃牙の人生はいったいどこにあるのだろう。
他者との齟齬感を強く覚える思春期に、すなわち反抗期に、たぶん誰もが必ず通過する問いだろう。
バキには、「他者そのもの=世界」というような、規格外の父親がいる。
彼の思春期がどのようなものになるのか、もはや想像の埒外だ。
「聞こえたんです
あれは…
天使の言葉だ」
バキは13歳のときの父親とのたたかいを思い出す。
完膚なきまでに叩き潰され、ゆらぐ意識のむこう、母親が地上最強の前に立つ。殴りつけ、睨みつけ、胸をそびやかし、言い放つ。
「あたしが相手だッッ」
地上最強の前に、範馬勇次郎の前に立ち、たたかいを挑むというのがどういう意味であるか、栗谷川だってよく知っている。
それは、わが身を捨てるということと、無時間的に同義だ。
「俺はもう十分です
あの一言だけで十分です
あの言葉と残りの人生―――
引き替えにしたっていい」
「あの言葉があったから
生きてこられた」
バキが涙を流しながらそう語る。
栗谷川はやがてじぶんのまちがえを認めてあたまを下げる。
すると、バキもまたあたまをさげるのだった。
(父を越えるという悲願
父を倒すという宿命(さだめ)
それは母の優しさへの解答(こたえ)
仇討ちではない・・・・・)
つづく。
母親の朱沢江珠は、女性として報われた。
このことのくわしい意味は、栗谷川さんがすぐ納得してしまったため、なんか自明のことみたいになってしまったが、先週書いたように、ひととひとどうしとは言いがたい主従関係をぬけ、勇次郎にたたかいの相手として扱われるという点で、悲願が成就したというところなのだろうか。
バキじしんのなかで、これは仇討ちなのだろうかという疑問がずっとあったからこそ、このような解答は生まれてきた。おこったことに整合性をもたせるためにそう考え出したともいえるかもしれない。
重要なのはそのあとだ。
バキには、最後のあの言葉がずっと引っかかっていた。
あのふるまいはいったいなんだったのか。
そのことで、じぶんはどんな影響を受けているのか。
江珠は死と同義である勇次郎とのたたかいに、息子をかばってのぞんだ。
勝てるわけない。守れるわけない。しかし江珠は立ち向かった。
そのときの母親の声が、バキのあたまのなかではこの五年くらい、ずっとこだましていたにちがいない。
そして、バキは、その言葉と、残りの人生を引き替えにするつもりなのだ。
それは、みずからのいのちと引き替えに息子を守ろうとした、母親という存在の、的確な表象だった。
そのことでげんにいのちが救われたかどうかというのは問題ではない。
母親の江珠は、いわばバキの残りの人生のために、みずからの残りの人生を賭した。
だからバキもまた、あの言葉の瞬間に凝縮された「勇次郎の前に敢然と立ったじぶんの母親」というイメージに対し、「勇次郎の前に立つじぶん」として残りの人生を賭すのである。
こうしたあとに、たぶん「女性としては報われていた」という解答が、付与されたにちがいない。
殺されたという一事でもって、バキはそれを「仇討ち」と名づけ、しゃにむに強くなっていったが、そう一言では片付けられないなにかがあるとも、また彼は考えていたのだろう。
どうしてじぶんはこんなにがんばって強きを求めているのか?
バキはきっと、じぶんの無意識下にそう問い続けていたにちがいない。
そしてそこに、彼は救われている13歳のじぶんをみつけたのだ。
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