パコ・ジャストリアスは生まれる前から天才だったのだ。
トイレの扉でも開けるように母親のからだから出てくるその前から、すでにじぶんの誕生を予言していたのである。
われわれのよく知るパコ伝説というものは、じつはそのほんのいちぶぶんでしかないのだ。
パコの母親、ポコは、まったくとるところのない、世にもさえないしこめであった。
印象に残らない目鼻。浅黒く、ぽつぽつと穴のあいた肌。短く、だがちからに欠けた四肢。不健康に太いからだ。そういったものにコンプレックスを抱いていたポコの顔つきは、昼日中からカーテンをひいたどこかの廃校のようにつねに薄暗く、その暗さは周囲にも自然と伝播する性質のものであり、ひとは彼女を忌避し、彼女はさらにこの事実を暗くうけとめ、苦悩はブーメランのように自身に戻ってきて、より彼女の見目を損ない、より深いコンプレックスをはぐくむのであった。
しかし、どうしたわけかポコには不思議な確信があったのである。わたしの生はわたしのためにあるのではない、わたしは、神も悪魔も震撼させる希代の天才児を生むのだ、わたしは人間そのものを生む宿命にあるのだと。もちろんポコに配偶者などいない。その候補もない。しかし、なにごとにも自信をもてない彼女が、このことだけは、明日の日の出の到来のように確信しきっていたのである。
事実、彼女は子を孕んだのである。相手はいなかった。彼女に子を授けたのは、神か、あるいはパコじしんである。いずれにせよ、パコという人格はなにものかの意志によってこの世にあらわれでたのである。
パコは生まれたときすでに五歳であった。のちにパコがじぶんでそう語ったのである。だが知能はすでにオトナのそれを上回っていた。パコがはじめてくちにしたことばは誰にも理解できなかった。それもそのはずである。ただの喃語のように聞こえるそれを、母親であるポコはさして気に留めなかったが、それはすでに誰も知るもののいない、地球上でもっとも古い言語のいち単語だったのである。
生まれてからそれほどの日を待たず、誰からの教授も、また書物による勉強もなしに、パコは地球上のほぼすべての言語をマスターした。ポコが足し算を教えようとすると、パコは十桁の巨大な数字の十乗で返事をした。ポコが積み木を手渡せば、彼はそれを材料にしてパソコンを発明した。ミニカーをふくらませて自動車をつくりだし、「アポロ13」を見ながら宇宙船の設計図を書き上げた。
芸術面でもパコの能力は人智を超えていた。学問に倦んだパコは楽器の発明にのめりこんでいく。輪ゴムでエレキベースを発明し、平均律を定めてピアノも設計した。それらはわれわれがふだん目にする楽器たちと寸分違わぬものであり、人類数千年の芸術の歴史にパコはほんの気まぐれであっさりと追いついてしまったのである。
続いてピアノ音楽の作曲に専念しはじめたパコは、次々とリストやショパンやドビュッシーやラフマニノフの音楽を再構築していったのである。ポコにはもはや、あまりに大きな息子の能力がどれほどのものか判断ができなくなっていた。それが常人の反応というものである。彼のつくる音楽は、先人たちの残したそれと完全に同一であったのである。譜面上の発想標語まで同じものだったのだ。
ピアノやベースに飽きた彼は続けて世界中に存在するありとあらゆる楽器をみずから発明し、また同様にして世界中に存在するありとあらゆる音楽を創出していった。彼はすべてじぶんのちからでこれらの音楽を“発見”していったが、やはりすでに存在する楽器や音楽と、彼のつくるものは完全に同一のものであった。このようにして、パコは人間の音楽を窮めた。
これらのことはほとんど生まれて一月もしない期間に起こったことである。生後一ヶ月で成人となったパコの興味はとどまるところを知らない。母親は息子を「図書館」と呼んだ。まさに彼は“人間そのもの”と化そうとしていた。彼は全人類のあらゆる仕事をすべてひとりでたどっていったのだ。ほかの誰かにできて彼にできないことは徐々になくなっていき、しだいに彼は“完全な人間”に近づいていっているようだった。
生まれて一年もたったころ…もっともパコにとってはわれわれの時間感覚などなんの意味ももたないのだが…、パコははじめてスランプに陥った。というのは、ついに彼は“人間”を窮めてしまったのである。彼にはもうたどるべき道がなかったのだ。もちろん、パコじしんにはそのつもりははじめからなかった。結果としてそうなったというだけのはなしなのだ。
しかしここへきて、パコはやっと気づいたのだ。「ほかの誰かにできて彼にできないこと」は完全になくなったが、「彼にしかできないこと」を一度も達成していないと。
彼ははじめて「相談」をすることにした。もっとも、彼の「相談」にこたえることのできる人間がもし存在するとすれば、もちろん彼じしんでもこたえを出すことができるはずなので、相談相手というのは人間ではありえない。彼は「人間そのもの」なのである。他者は必要ないのである。
そこでどうしたかというと、彼は筆を執ったのである。彼は世界中に存在するすべてのテキストを暗記していた。彼は、あたまのなかに整然と並ぶさまざまな言語による文章を選り分けて、文章を織っていった。それはトルストイのことばであり、ニーチェのことばであった。小島信夫のことばであり、アインシュタインのことばであった。完全な人間の書く文章は、完全なテキストである。
彼がそこになにを綴っていたかというと、それはじぶんの、短く、しかしブラックホールのような密度の、爆発的半生であった。彼はこれを「パコ・ジャストリアス伝」と名づけた。出だしはこうだ。
「パコ・ジャストリアスは生まれる前から天才だったのだ」
彼の筆はじつになめらかであり、またすさまじい速さであった。彼はいちども迷うことなく、すべて完全に記憶しているみずからの半生を書き記していった。それはまったく「人類史」といってよかった。ただあらゆる述語に伴う主語がすべて「パコ・ジャストリアス」であるだけだ。
彼の目的は未来予測にあった。彼の誕生は明らかになにものかの意志であった。そして母親であるポコを通じ、なにものかが彼の誕生を予言してもいた。このなにものかがパコじしんである可能性は高い。だが彼にはそれがわからなかった。彼の筆が導く文章のなかのパコは、そのまま彼じしんのふるまいをうつしたものである。したがって、筆の速度が現実のパコじしんに追いつき、また追い越せば、未来の予測はきっと可能なのである。
パコは光の速度で執筆を続けた。いや、光速ではまだたりない。時間をこえねばならないのだ。パコはあたまにつめこまれた人類の偉業をフルに活用し、あらゆる工夫をもって執筆をはやめていく。
やがて「パコ・ジャストリアス伝」のなかの「パコ」が自伝を書き始めた。ついに現実に追いついたわけである。ここからが本番である。すさまじい速度で筆を動かすじぶんの右腕を眺めながら、パコは固唾の呑んでことの成り行きを見守った。
ところが、妙なことがおきたのである。「パコ」は、たしかに自伝を書き始めた。しかしパコもまた、紙のうえに、すでに記したことのある文章を書いていたのである。「パコ・ジャストリアスは生まれる前から天才だったのだ」と。
光を超えた速度で執筆を続けるうち、ついに自伝の「パコ」と現実のパコの時間は、完全に一致した。そこにはもはやなにが書かれてあるのかわからない。パコじしんにも自動速記を続ける右腕は見えないのである。もちろん「パコ」の書くところの『パコ』も、同様にして光の速度で自伝を書いているのである。
やがて文章は一点のこたえへと収斂していく。加速する腕の運動は「パコ・ジャストリアス伝」を無限のかなたに投げ込むようである。パコの誕生はまちがいなく、どこかの誰かの意志だったはずである。しかしパコが「パコ」を極限の一点に導くように、パコも導かれていくのである。
このようにして、パコ・ジャストリアスは“人間の淵”で消滅したのである。