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原題「CHILDREM OF MEN」
監督:アルフォンソ・キュアロン
出演:クライヴ・オーウェン、ジュリアン・ムーア、マイケル・ケイン
2006年イギリス、アメリカ製作
ちょっと前に見た映画ですが、たいへん印象に残ってる。今年最初のヒット。主演は『SIN CITY』のクライヴ・オーウェン。
舞台は近未来のイギリス。地球人類はあまねく不妊症に罹患していて、ここ18年ただひとりとして子供が生まれていない。希望を失ったひとびとのこころは荒廃して治安は悪化、世界で唯一、社会性を残して機能しているイギリス国家は、不法移民たちを断固として拒否することでぎりぎりの秩序を保っている。イギリスエネルギー省に勤めるセオ(クライヴ・オーウェン)はある日反乱軍に拉致され、リーダーであるもと妻のジュリアンと再会する。ジュリアンの要求は、不法移民のキーという女性の通行証を手に入れてほしいというものであった。以後セオはジュリアンやキーと行動をともにするが、やがてセオはキーが子供を身ごもっているということを知る…。
やっぱ物語ってのは、細かいことをいう前になにしろおもしろくなきゃダメなんですよね。これは二時間たらずの映画なんですが、おはなしの密度というか、体感時間は三時間くらいという感じでした。それでいて、ありがちにつめこみすぎちゃってるという感じがない。『クローバーフィールド』みたいな手持ちカメラっぽい映像が内容をきわめて皮膚的に、また主人公の主観で知覚させるために、スピード感のある展開と、視界の脇を流れぬける情報の嵐をとりあえず保留させる、きわめてリアリティのある「選別感」のようなものを生み出すのかもしれない。たとえば、人類は不妊症となっているが、その原因や、あるいはその仮説のようなものすら、映画の表面には浮いてこない。というのは、セオが、少なくとも映画の展開における枠内ではそのことを知覚したり思い起こしたりしないからである。僕らだって、電車の窓のむこうに流れる景色をいちいち言語化したり、すれちがう人物の顔をすべて記憶したりということはせず、情報の選別を無意識にでも行っているのである。ふつうのひとの生活における二時間たらずの時間のあいだでも、たいへんな量の情報がその視界の脇を無為に通過しているはずなのである。そういう意味で、このスピード感は非常にリアリティのあるもので、結果として映画の感触が皮膚的になるのだとおもう。
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- 子供が生まれないという状況は、ありそうでなかった気がするな~。まあ僕は、映画を大量に見ているという種類の観客ではないのでなんともいえないけど。ただ、あの終末感というか、絶望の感じはただごとではない。
- そして映画を観終わったあと、特に最後の、長回しの戦闘シーンのおわりあたりを観たあとにまずやってくるのは、子供が生まれるって、奇跡みたいなことなんだなーというじつにシンプルなことだった。セオと出産を果たしたキーは、軍隊と反乱軍との戦闘にまきこまれ、やがて反乱軍にさらわれる。セオはなんとかキーとその赤ん坊を奪還し、逃走をはかるが、重要なのはそのときの、キーの抱える小さないのちを目にした人々のリアクションだ。あるものは顔貌をゆるませ手をのばして素足に触れ、あるものは驚嘆のあまり呆然と立ち尽くして硬直し、あるものは十字をきってひざまずく。セオとキーの抱える赤ん坊を目にした人々は、なんと戦闘の、銃撃の手すらとめて、彼等に道をゆずってしまうのである。彼等があのような反応をみせたのは、子供の生まれなくなった人類のあいだに奇跡的に赤ん坊があらわれたからではない。赤ん坊が生まれるという現象じたいがすでに奇跡だということに気づいたからだ。そのたんじゅんなことが、すべてを超えてしまったのだ。
子供が生まれないという状況が生むこころの荒廃は、死がもたらす虚無感と似たものがある。「こんなことしたってなんの意味もないじゃん」というあの感覚だ。他者からの承認願望ということは、つきつめると「それを継ぐものがいる」あるいは「それを語り継ぐものがいる」という事実に依拠しているのかもしれない。
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