- プラダを着た悪魔 (特別編)
- ¥1,100
- Amazon.co.jp
あらゆる意味で僕とはまったく無縁の世界である。
僕なら一週間ともたずにクビとなるにちがいない。いや、一日で…、午前中に…、どころか開始10分で…。というかそもそも採用されないか。
が
…いやむしろ
それだけに
というべきか。
僕にはこの映画はとても刺激的だった。というか、すげーおもしろかった。
メリル・ストリープ演じるミランダが「命令」の掉尾に冷たく多用する「that’s all(以上)」ということばは、あいまいになりがちなものごとのさかいめ…人間関係や「仕事とプライベート」といったことなどにおける、「明確な線引き」をあらわすものである。完璧な仕事を実行するために弊害となるその他の不純物を内側にもちこまないこと…。しかしミランダのようなにんげんにおいて、仕事の外郭となるラインがそのまま人生の、生活の輪郭となってしまうことは必然である。ここでひとは、「なにか」のためにシゴトをするわけではない。シゴトじたいが動機であり、最大の原動力となっている。
「仕事」というものを、お金をかせぎ、(私的)生活を成り立たせるものだとかんがえるのはべつにふつうのことだ。そのばあい仕事は私的生活のいちぶ、下部構造として機能するので、「プライベート」との比較はナンセンスなものとなる。だがこの映画では、純粋な「仕事」と「プライベート」を分離して衝突させ、ストラグルさせるために、主人公であるアンディ(アン・ハサウェイ)の人間的条件・能力値は、学歴といいあたまの回転といい、また天性の美貌といい(映画的にこの美貌がけっきょくどうあつかわれているのか、どういうつもりなのかということは最後まで表面の理解を出なかったけど)、わりによいものとなっており、つまり仮にここをやめちゃったって飢え死にするようなことはないし、この子ならまた(私的生活を支えるというだけなら)すぐに仕事が見つかるんじゃないかという程度の設定になっている。恋人はいるが、養うべき家族もいない。彼女が高学歴なのは、だから企図的なものだとおもう。おなじ理由からか、シゴトのおはなしながらぜんたいから「金」とか「給料」のにおいはほとんど感じられない。
アンディはもともとジャーナリスト志望だったのだが、あわただしくも刺激的で成長の感じられるこの仕事に明らかにやりがいを見出している。それは恋人や親友たちや、信念までもないがしろにしてしまうほどののめりこみようだった。気持ちのはなれてしまった恋人に、アンディは言われる。
「誠実に仕事するなら君がストリッパーでも構わない」
仕事をはじめた当初アンディは、素人にはじつに些細なことにこだわり、ファッションにいのちをかける仕事仲間たちをばかにしていた。彼はそのことを言っているのだ。
またおしまいあたりでアンディはミランダに言われる。あなたはわたしに似ていると。
「人が何を求め必要としているかを超え、自分のために決断できる」
アンディはそれを否定する。みずからの利益のために他人を蹴落とすようなまねはできない。「明確な線引き」はできないと。これは彼女の真実であった。しかし同時に、ミランダとアンディが「似たもの」であることも真実だったとおもう。なぜならアンディは最終的に「自分のために」携帯電話を水没させる「決断」をしたのだから。アンディにおいては、「ミランダのようなまねはできない」ということが真実であり、「自分のため」であったのだ。そしてこれはぜんたいの真理であったとおもう。アンディはだから「自分のために」いのちをかけて仕事をするミランダやエミリーたちと仕事をすることで、そしてそのことを学び、からだで理解したことで、逆説的に人生の矢印を発見したのだ。あなたのような生き方はできないとミランダのもとを逃げ去りながら、最後のシーンでふたりがあのようにおだやかに視線をかわすのはそのためである。これは決断をくだしたものどうしのシンパシーだ。
彼女たちプロからすれば「ありえない」らしいファッションのアンディだが、素人でしかも男性である僕からしたらアン・ハサウェイは最初からじゅうぶんに愛らしく、「は?どこが?なにが?」という感じだったのだけど、彼女が目に見えておしゃれに変化していく過程では、映画というか、ファッションという表現方法のすごさを目の当たりにした気分でした。
そのうちDVD買います!
- プリティ・プリンセス 特別版
- ¥869
- Amazon.co.jp
- プリティ・プリンセンス2 ロイヤル・ウエディング 特別版
- ¥1,330
- Amazon.co.jp