■『人のセックスを笑うな』山崎ナオコーラ 河出文庫
- 人のセックスを笑うな (河出文庫)/山崎 ナオコーラ
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「19歳のオレと39歳のユリ。恋とも愛ともつかぬいとしさが、オレを駆り立てた……
美術専門学校の講師・ユリと過ごした日々を、みずみずしく描く、せつなさ100%の恋愛小説。『思わず嫉妬したくなる程の才能』など、選考委員に絶賛された第41回文藝賞受賞作/芥川賞候補作。短篇『虫歯と優しさ』を併録!」裏表紙より
うーむ…、よかった!
人目をひくタイトルやペンネームといい、一発で作者のセンスを伝える魅力的な出だしといい…、なるほど、こう書けばいいのだな…。
正直なところ、内容はじつにありがち。年のはなれたカップルなんてもう小説でも現実でもたいして珍しくもないし、特筆すべき事件がなにか起こるわけでもない。恋人の旦那と遭遇してごはんを食べるという程度なら、…具体例は出てこないけど、まあよく見ると言っていいでしょう。
ところがなんでしょうね、すっと肌になじむような、いい小説を読んだという、この心地良い読後感は。
この題名、「人のセックスを笑うな」というのは、誰に(なにに)向けられたことばなのだろう。
主人公の磯貝みるめが、ユリの自宅で旦那の猪熊と遭遇して以来、猪熊がどこまで勘づいていたのかはともかく、仲良くごろごろしていたふたりの夢のような期間は終わってしまう。一ヶ月のミャンマー旅行から帰国したのち、やっと連絡のとれたユリは絵を止めると言い出す。磯貝は、なぜだかわからないが、絵を止めてほしくないとおもう。電話口上の最後のやりとりで、ユリは言う。
「思うような絵が描けない」
「続けていても苦しいだけ」
「人生のための芸術だと思うの。芸術のために人生があるんじゃない。少なくとも私は」
P110
いっぽう、ふたりがまだいっしょにごろごろ仲良く寝たり起きたりしていたころ、セックスにも人づき合いにも自信がない磯貝は、ちゃんとユリを気持ちよくさせてあげられているのか、しゃべってて楽しいのかと気にしていた。そんな心中を察したのか、ユリは言った。
「自分が楽しければ、相手も楽しいと信じること。絵と同じ」
P61
このことばそれじたいはかなり意味深で、むしろ不可解だ。「絵」の、どんなぶぶんと「同じ」なのか?相手とはモデルのことなのだろうか。しかし、これがうえのことばにまっすぐにつながっていくものとすればどうだろう。「絵」や「芸術」を、「恋」とか「セックス」に置き換えればよいのだ。また逆に、「セックス」を「絵」や「芸術」に置き換えることもできるのかもしれない。
ふたりは美術専門学校の講師と生徒であるから、当然絵を描いている。だが、少なくとも磯貝のほうは、ユリの絵をどう評価すればいいのかわからないふうであって、磯貝いわく、「オレたちはお互いの絵をそんなに上手いと思えなかった」のだという。
ユリは決して見目麗しい女ではなかった。部屋は汚いし料理もうまくない。化粧は必要最低限、指先はささくれだらけで唇もかさかさ、お腹も出ている。しかし、じぶんは「かわいい女の子が好き」なんだとおもっていた磯貝は、そういったユリの、ある種の不完全性に夢中になってしまう。恋愛の真理ですよね。
このようなタイトルであるのに、年がひらいていることを他人に笑われたりだとか、あるいはふたりのあいだでセックスの巧拙についてもめたりだとかいうことはいっさいない。ないのだが、一カ所だけこういうところがあった。ユリと最後にはなしたあとだ。
「もし神様がベッドを覗くことがあって、誰かがありきたりな動作で自分たちに酔っているのを見たとしても、きっと真剣にやっていることだろうから、笑わないでやって欲しい」
P112
このあと、磯貝はほんとならなんでもないはずの些細な癖だとかからだの部位だとか、ユリの良いところを思い出してあげていく。
あまりに個人的なユリの絵を、磯貝はどう「評価」すればよいのかわからなかった。絵を見ることじたいは好きだが、いい絵かどうかはわからなかった。それどころか「そんなに上手いと」はおもっていないのだ。そしてこのことは、もちろんユリ本人に対する磯貝のありかたにもつながっていく。くりかえすようにユリは美人ではないし、どちらかというとだらしがない。もし女性のありかたに絶対的なものさしがあるなら、ユリは決して「上手」な女性ではないのである。
そして、タイトルにおける「セックス」ということばを、作品内の「絵」とか「芸術」とかいうことを経由して「(それぞれの)ありよう」といったふうに翻訳してみるとどうだろう。この小説は次のような一文から始まっていた。
「ぶらぶらと垂らした足が下から見えるほど低い空を、小鳥の群れが飛んだ。生温かいものが、宙に浮かぶことが不思議だった」
じつに魅力的で謎めいた出だしだが、ここで「ぶらぶらと」足を垂らすのは誰なのだろう?それは、おそらく「セックス」を、「ありよう」を笑う者、すなわち「絶対的評価」をくだす真理=ものさしを手にした「神様」だ。物語はすでにユリを失っているこの場面から回想するかたちにあるのだが、したがってこのときすでに磯貝は、つまり神様は、この「ものさし」ということを捨て置いている。だからこそ、空にいるこのものは、むしろ我々に親しい低い高さにぶらぶらと足を揺らしながらたたずむのではないだろうか。
なにやらまとまりの欠けた文章になってしまってすみません。
↓映画版DVD。松山ケンイチと永作博美がやってるんですね。
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