『エクリチュールの零度』ロラン・バルト | すっぴんマスター

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■『エクリチュールの零度』ロラン・バルト著/森本和夫、林好雄訳註 ちくま学芸文庫

エクリチュールの零(ゼロ)度 (ちくま学芸文庫)/ロラン バルト
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「『文学的形式(フォルム)を〈アンガジェさせる〉こと』と『サルトル的アンガージュマンをマルクス主義化すること』という二重の企図のもとに書かれた『エクリチュールの零度』は、サルトルの『文学とは何か』によるブルジョワ的〈文学〉神話の〈脱神話化〉の試みを引き継ぐとともに、その人間主義的限界の乗り越えを目指した。言語体(ラング)とも文体(ステイル)とも異なる文学の第三の形式的現実としての《エクリチュール》は、はたして〈文学〉を解明したのか。つねに現代思想の先頭を走り続けつつ、変貌を重ねたバルトのエクリチュールの冒険のすべては、ここから始まった」裏表紙から




バルトを読むのはこれで二冊目なのだけど、つい最近に、丸山圭三郎『言葉とは何か』と澤田直『新・サルトル講義』をたまたま読んであったのがよかった。訳註や解説も非常に充実しているし、べつに不可能ってこともないだろうけどそれでも、言語学や哲学の知識がなにもないとただ読むというだけでも大変な作業になるんじゃないかとおもう。というのは、たとえばアンガージュマンとかラングとかいった用語は、もちろん用語解説などもあわせて、じっさいにそのことばが含まれて動いている文章を読んで、ぼんやりしたままでも印象をつかめているかということが最初は大切だとおもうので。まあそれはこれを読むことについても同じはずだから、どこかでその段階は踏まねばならず、結局は順序の問題なのかもしれないけど。


その用語ということにもつながるとおもうのだけど、こういった文章は、精密を期するためといったらいいのか、抽象的な表現であえて意味の余白を大きくとるということがあると僕はかってにおもっているのだけど(僕が「かってに」と書くのは妥当の一致もなくなにしろ自信がないときである)、これはその印象がとにかく強くて(そのことがバルトじしんの書く内容とどう関係するのかはまだよくわからないが)、最初のうちはほんとうに読むのがたいへんでしたが、後半の「詩的なエクリチュールは存在するか」あたりから、それがたんに文章に馴れてきたというだけのことなのかなんなのかはわからないが、とりあえず読めるようになってきていた。僕にはこれまでも数ページで挫折してしまったものがいくつかあったけど、バルトはなにかひきつけるものがあって、どこかわくわく感のようなものすら覚え、氷河の流れの如く緩慢ながらふと気付くと自然に読み進めてしまっていたのでした。



というわけで、引用や要約といったことは今回はナシで。じつは途中まで書いてみたのですがそうとうに長くなってしまうし、それはバルトが本書でやっていることですので。それに書いてみて改めてわかったのだけど、読み終えたばかりであるのに一知半解な感じがどうしてもして、これであってんのかなと、書いていてなにやら恥ずかしくなってくるほどで、そのような状態で解説めいたことをしてある種の責任みたいなことを負いたくはないので(そんなことを考えているのは僕だけだろうけど)。まあこれは僕個人の問題ですので、なんにしてもバルトに興味のあるかたは必読でしょう。

〈関連図書〉


表徴の帝国 (ちくま学芸文庫)/ロラン バルト
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新・サルトル講義―未完の思想、実存から倫理へ (平凡社新書)/沢田 直
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