■『ストーカー』
監督:マーク・ロマネク
主演:ロビン・ウィリアムズ
-
¥1,340
Amazon.co.jp
この映画はできたら二回観たほうがいいとおもう。というのは、サイを演じるロビン・ウィリアムズがあまりに強烈なので、彼の執着心への恐怖と生理的な嫌悪感のようなものが、特に最初のほうの場面では先に立ってこちらを圧倒してしまい、なかなかそこに沈む哀しさとか虚しさとか、もっとたんじゅんに孤独感とかを追うことが難しくなってしまうのだ。原題の『ONE HOUR PHOTO』がわざわざこんなふうに訳されているのは、このタイトルをつけたにんげんも結局この地点を出ていないことを示しているとおもう。
スーパーの写真現像店に勤めるサイは、常連であるヨーキン夫人とその一家の家族写真を長期にわたって取り扱ううち、まるで一家の一員であるかのような気分になっていた。余計に現像されて持ち帰られ、サイの部屋の壁一面を整然と飾るヨーキン一家の家族写真…。デザインかなんかの会社を経営するかっこいい旦那、きれいでおしゃれで性格のいい奥さん、心優しくかわいらしい顔立ちをした男の子。孤独でさえないサイは、じぶんとは無縁のパーフェクト・ファミリーが享受する幸福感にあこがれを抱くとともに、家族そのものに異様な執着心を見せ、その一部にありたいという妄想をするようになる。このニーナ・ヨーキン夫人を演じるコニー・ニールセンが、見事に「洗練」という言葉がぴたりと合う都会的な美貌の持ち主だから、邦題のコノテーションのせいもあって、なんとなくそちらがわの、性的なストーキングかと予想して、たぶん多くのひとが少なくとも最初のうちは見るとおもうのだが、サイは、もちろん夫人そのものにもあこがれているにはちがいないが、彼が執着するのは彼らの完璧(に見える)な幸福なのである。なんというか、ミスリードを誘う安易なタイトルだとおもう…。
写真のうえにあらわれでる笑顔が示す幸福の裏には想像もされないような争いや悲しみが隠れている。やがてサイは旦那の浮気を知り、失望とともにこのことを思い知る。一連のサイのこころの動きと行動はじつにおもしろい。サイは夫人にもこのことを知らせる。しかし夫人は表面上では冷静をとりつくろう。とりつくろわれた“幸福”のすがたはもちろん写真があらわす幸福と等しい。このことはこれまでサイが写真を通してあこがれてきた「幸せな家庭」という像も虚構だったということを保証してしまうかたちとなる。もし夫人が怒り狂って、つまりサイと同じ心境で、虚構としての幸福にたてついていたら、結果はちがったかもしれない。そしてサイもそれを望んでいたはずだ。だが夫人はじぶんと同じ反応は示さなかった。ショックを受けながらも“笑顔”を通したのだ。隠されることで、幸福の裏側があることが逆に証明されてしまったのだ。あこがれが壊れたのである。
ヨーキン家族以上にその幸福を信じていたサイは、旦那の裏切りを許せない。要は夢を破壊された気分なのだ。そうだなぁ…たとえば熱狂的なアイドル・オタクが、アイドルの結婚・妊娠に落胆するとともに、結婚相手ではなくアイドル本人を「アイドルを破壊した者」として憎むような心理に近いかも。
さらにおもしろいのは、壁一面に貼られた写真の、旦那の顔のぶぶんを削ぐ場面だ。ここからは、これまであった幸福へのあこがれに加え、それを目一杯享受できる旦那という位置への嫉妬と無意識にそこになりかわりたいという願望が、彼の裏切り行為を口実にかたちを伴ってあらわれてくるとおもう。たぶん、その完成された幸福の構図から、サイのこういった無意識の願望は抑圧されていた。しかし旦那の裏切りは、少なくともサイの意識のうちでは、彼からその場所を占める資格を奪い取ってしまった。ヨーキン一家の幸福はあこがれを通して投影され、そのままサイの幸福ともなっていた。サイの旦那への制裁は、もちろんその恨みの反映でもあるし、たぶん本人もそうおもっている。しかしあの偏執的な写真を削る場面からは、「旦那の排除」ということもどこか感じられる気がする。
とにかく、ロビン・ウィリアムズの演技がすごすぎ。神経質にめがねを直すしぐさとか…。なんでしょうね、すごいとしか言いようがない。カメラ・ワークや色使いも見事ですね。
