■『詩集・私』谷川俊太郎 思潮社
私―谷川俊太郎詩集
「禿頭の私にひそむ少年の私
カラダの私に頼るアタマの私
突然泣き出す『私』の私
あなたへはみ出していく私
生身の私から孵った詩の私」帯から
いつもおもうのだが…現代詩を中心に据えた出版社って、もう思潮社くらいしかないんだろうか?いつも「思潮社」って書いてる気がする…。
いくつかの詩を並べた冒頭の「私」を読んで、「これは谷川俊太郎の最高傑作だ」とおもったのだけど、考えたらこのひとのものを読んだあとはいつもそうおもってる…。もちろん日本を代表する詩人としての平均点の高さということは、たぶんあるけど、これはこの詩人のことばに対する態度が一貫しているからだとおもう。誤解を恐れずに書いてしまえば、それは、ことばへの疑念ということ…。現代詩文庫なんかで通して読むとそのことはよくわかる。「定義」や「ことばあそびうた」や「コカコーラ・レッスン」など…。しかし詩人は(というか人間は?)それをことばで表現する以外に方法をもたない。それがもしかすると、武満徹へのおもいを通して書かれる「音楽」への嫉妬みたいなことにつながっていくのかもしれない。
1931年生まれの谷川俊太郎が2002年から2007年くらいに書いたかなり新しいものなのですが、なんというか、不思議なくらい老人くささがない。といって別に若々しいということでもないのだが、年齢がどうとかいう場所とはぜんぜんちがうところにいる気がする。へんに達観したような、悟りを開いたような感じもべつにない(落ち着きはまちがいなくあるが…それはむかしからのようにもおもう)。むりして現代流行語をつかうこともないし、古風なこともない。なんだろうな…
うえにも書いたけど、はっきり言って冒頭の「私」はすばらしい。しかしなにがすばらしいのかはよくわからない…。静かなことばからは遠いところに眠るじゅくじゅくとした違和感か…ちがう。高橋源一郎を召喚したい。