顎で受けなさい | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

『ME AND MY GIRL』、サリーのうた「TAKE IT ON THE CHIN」。ころころ転がる旋律もそうですが、跳ねたようなリズムもかわいくて、むかしから大好きな曲です。いつ買ったのか知らないけど、手元にあったこのミュージカルのピアノ譜を見たら驚くほどシンプルで、もうすこしで弾けるようになりそう。


イギリスの名家・ヘアフォードのあととりだということが判明した下町ランベス育ちのビル。遺言執行人の公爵夫人やジョン卿はこのならずものをどうにか貴族らしくしようと苦心する。連絡を受けてビルとともにヘアフォードにやってきた恋人のサリーも、最初のうちは屋敷のあまりの豪華絢爛にはしゃぎまくるが、じぶんの存在がビルにとってよくないということにやがて気づく。公爵夫人もサリーを追い出そうと、ビルから離そうとしているのが見え見えだ。サリーは身をひくことするが、ビルは彼女を離そうとしない。サリーは実際以上にみずからの無知をビルの前で演じてみせ、じぶんがいかにヘアフォードにふさわしくない女かということを示してみせる。そんなサリーが、つらいことも笑ってうけとめよう、流してしまおうと強がる、作中のサリーを象徴するように健気なうた。


オリジナルはイギリスなのですが、こう見るとサリーのありかたってきわめて日本的なんですよね。つまり、ニッポンの女性的というか(最近はよくもわるくもそうではない気もするが)。要は、わたしがまんすればすべてうまくいくっていう。日本でこのように大ヒットしてるってのは、だからなんかわかる気がしますよね。


だからこれはビルのノブレス・オブレージの物語…貴族(高貴なもの)が貴族であるためには、その代償として果たさねばならない義務がある、というありかたのおはなしと見ることもできるわけですが、ビルが「愛」をあきらめ、サリーを捨てなければならないというのは「貴族の義務」ということになるのでしょうか。結末としては、この「義務」と「愛」の両方を満たす解決が得られるわけですが、このはざまにおけるこころの揺れはサリーのほうがずっと大きい気がする。ビルはその性格のせいもあるのか、あるいは男性というものがそもそもそういうものなのか、無鉄砲な、ノープランな感じが目立っていて、主人公はむしろサリーなんじゃないかという気すらしてきますね。そしてこの曲はそんな「サリーの義務」をあらわすようにおもいます。かわいらしいリズムの背後に隠れている笑っとけばいいんだよ、というようなサリーの苦しみと哀しみがわかれば、この曲はほんとにクる。


じつはコレ、もう一回観にいけることになったんですよね…。どんな観方しようかな~。





ミュージカル/ミーアンドマイガール/シンコーミュージック
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