■『3年で辞めた若者はどこへ行ったのか――アウトサイダーの時代』城繁幸著 ちくま新書
「すでに平成二十年。いまだに、多くの会社で、昭和の時代から続く風習や決まりごと、働き方が支配している。『若者はなぜ3年で辞めるのか?』でその状況を描いた著者が、辞めた後の、いわば『平成的な生き方』とは何なのかを指南する。“完全実力主義の企業で数千万円稼ぐ若者”“建築現場から人事部長に転身した若者”など、アウトサイダーたちの挑戦と本音が語られる。自分がいかに昭和的価値観にとらわれているか、そして、時代が本当に変わりつつあることを実感できる」カバー折り返しより
帯の宣伝文句がうまい。明快に本の内容をあらわしてる。↓
「昭和的価値観にとらわれていませんか?
・実力主義の会社は厳しく、終身雇用は安定していること
・仕事の目的とは、出世であること
・言われたことは、何でもやること
・フリーターは負け組だということ
・新卒以外は採らないこと
・人生の大半を会社で過ごすこと
・新聞を読まない人間はバカであるということ
…一つでも共感したら、ぜひ読んでください」
おこがましいはなしですが、違和感はあったんですよね。なんかヘンだ、こんなのおかしいとおもいながらも「それが現実なのだ、社会というものなのだ」と割り切って訳知り顔でくちにするのがカッコイイ大人だ、みたいな風潮に。望んでその環境に身を沈めるならともかく、ただの諦念から言ってるのだとしたら、それはたんなる思考停止なんじゃないかってね。
年功序列制を筆頭に、“レール”があることを前提とした「昭和的価値観」、もののみかた、考えかたの多様化認知を第一とする「平成的価値観」、このふたつの対立する価値観の名付け、ネーミングによる概念の構築は、この違和感の所在を非常にわかりやすくしてくれます。書かれていることじたいは単純なんだとおもう…。すなわち、「もうレールなんかないんだよ」と。それぞれの価値観に支えられるさまざまの生き方、平成的なありかたが結果を出せる社会であるべきだと。
しかしそのような筆者の論理、“価値観”をそのままおしつけてしまうのは、それこそ昭和的価値観というもの。そのために本書は、現代のこの日本になにが起こっているか、あるいは起ころうとしているかを多角的に観察し、「じぶんで気付ける」ように、さまざまなギョーカイのアウトサイダーたちを取材・紹介し、語ってもらうという形式になっています。僕のように無知な人間ももちろんだけど、毎日がむしゃらに会社に勤めながらふとした瞬間腕を組んで考え込み、あげく虚無に陥ってしまうことのあるひと、あるいはあたまのかたすみに「転職」の二文字がかすめながらぶんぶんあたまを振って忘れようとしているひと、それからこれは年齢を問わず、世代間の認識の隔絶をじかに感じているひとに読んでもらいたい。よーするに、「最近のワカモンは…」というひとたち。意識の高い日本の若きエリートのほとんどが就職先に外資系企業を選んでしまうという状況は、こんなふうに言うこともできるのだ。
「最近の若者は…という人たちは、その程度の学生にしか相手にされていない、という言い方もできるでしょう」P179より
だからすべての若者を認めるベキだ、なんて意味ではなく、そうなのかもと、想像したことがあるのだろうかということです。絶対なんてないというこたえは、なにも哲学や文学が社会と別個に、かってなところで言ってるわけじゃないんですよね。
「大学出ただけで人生が上手くいくなんて、昭和の悪い夢のようなものだ。その夢から目覚めさせ、現実を認識させる努力を怠っているのなら、たとえ最高学府であろうと、いずれ凋落するに違いない。
二十一世紀のエリートとは、自分の足で歩いていける人間なのだから」P169より