またつまらない日記的な記事です、申し訳ない。
前に書いたようにいまあんまり読書できていないんですが…、まったくしてないというわけでもなく、けっこうパラパラ、あれを開いたりこれを閉じたり、読書に向けた微細な動きのようなことはいちおうあります。それでもやっぱり集中できなくて、いまいちばん読んでるものは、施川ユウキを除いたら、サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』の原文、『The Catcher in the Rye』です。読者がいるのかいないのか、とにかく去年の五月か六月くらいに「いま読んでます」と書いていたもの。「このペースだと一年くらいかかってしまうなー」ということを書いた覚えがあるけど、最近までこの本の存在じたいをすっかり(うっかり?てっきり?)忘れてしまっていて、まだ半分というところなので、このままだと二年はかかってしまいそうです。
僕は英語なんかぜんぜん得意じゃないし、単語や構文もすっかり忘れてしまっているのだけど、かたわらに辞書があれば、意外というかなんというか、ふつうに読めてしまうものなんですよ。もちろん、内容をよく知った『ライ麦畑』であることや、作品独特の口語的なビート感がよく働いているということはあるとおもうけど、とにかく英語の苦手な僕でも読めないことはないんですよね。
ところが、このあいだの勤務中、アメリカ人に道を訊かれてですね…。外国人がくることは別に珍しくないのですが、道を訊かれることってあんまりない。たとえあっても、ひとりくらいは拙いながら日本語ができるとか、できなくても想像力の優れたひとがひとりいるとかして、あんまり困ったことないんですよ。最悪地図つかえばいいし。ほとんどのばあい英語をつかう必要すらないんですよね。また、僕はホテルでバイトしていたこともあったし、リスニングに関しては完全に聞き取れないまでも空気感やらの微妙な機微といったこともそれなりにつかんでいたつもりでした。しかし今回は困った。ひとりも日本語しゃべれない、地図開いても漢字だからかぜんぜん読めない…。ぎりぎり行き先はわかりました。そして不幸にも僕は行きかたを知っていました。しかしそれをいざ英語にしようとしたとき…愕然としましたよ。単語がいっこも出てこねえ!信号はsignalでいいの?フェンスはfenceでいいわけ?じゃあ十字路は?Y字路は?国道は?「あの信号を右に曲がって、その
まま十字路を抜けて、フェンスづたいに進んで、二個か三個信号越えたらY字路を左に…」って…、単語でむりやりつなぐことすらできないことに気付いたのです…!おまけに、こういうときの僕ってやたら冷静なんですよね。つまり全力でこのレベルってこと。よくマンガなんかでありますよね。英語のできないおじさんが「イエス、イエス。パーク、あっち、あっち、ベリーソーリー、センキューセンキュー」みたいなの。冷静な意識のなかで、この状況アレじゃん!と僕は気付いたのでした。マイルスが来訪したときの石岡君の気分だったぜ…。そしていくら英文で小説読めた気になってもそれは辞書ありきの、まだまだ「理解できる」という程度の段階であり、あのホテルでの英語にしたところで、結局は条件が常に等しいからこそ成立する、マクドナルドのマニュアル言語とかわらないものだったんだということを悟ったのです…。
たんに単語忘れてる、ってだけだといいけどな…。