サラリーマンくん19/第110話
車のなかで寝過ごし、うっかり神田先生との約束をすっぽかしてしまった小堀はあせりにあせっていた。
小堀は、さまざな角度から必要以上に睡眠時間を奪おうとする会社、上司、妻を呪う。
しかし小堀は、崩れかけた冷静さを「こんな考えは幼稚過ぎる」として、なんとかぎりぎりのところで立て直す。
「誰かのせいにしても何も始まらない。
なんとかしなきゃ…
神田先生とやっと仕事の話が出来て…信頼関係を作るチャンスだったんだ。
新しい営業所で、やっと成果を出せるチャンスなんだ」
えらい…、えらいぞ小堀!
えらいけど…不自然な、明らかに無理のある自己欺瞞は、自滅への第一歩だ。そして小堀じしんも、じつはそのことが見えている。この状況のなにがいけないのか、よくわかっている。
仕事がもらえそうな喜びから一転、あまりのショックで、じぶんはこの仕事(営業)に向いてない、と小堀は不安定にひとりごちる。会社辞めたい、家で引きこもる仕事がしたいと。しかし現実の問題…生活、家族、ローン、学費といったきわめてリアルな難題が、ぼろぼろの小堀を無理矢理に立たせる。
このショックが尾をひき、小堀は一日中ミスを連発し、会社にもどってからの仕事も上手くはかどらず、結局終電で帰宅して残りの仕事を持ち帰ることとなる。家で待つのは、冷えた鉄板みたいに平板な表情で夫をにらむ、妻の結子。
死に物狂いで仕事を終わらせて床につくが、不安が襲ってくるのか、眠ることができない。
翌日、小堀は病院に謝罪に出向く。神田先生はどちらともとれる表情で、これを許す。生きることの苦悩に直結したすさまじい不安に支配されている小堀は、当然これにも混乱する。もう、発狂の一歩手前だ。ほとんど呼吸困難に陥って、荒い呼吸でどこかの道端にしゃがみこむ。
「なんで俺はこんなに打たれ弱いんだろう
どうしていつまでたっても自分に誇りが持てないんだろう
どうせサラリーマンなんて替えが効く存在だ。
俺がいなくなっても誰も困らない存在だ…
わかってる。
わかってるつもりなのに…
でもなんでこんなに虚しいんだ…
誰かに必要とされたい…」
たぶんここは、このエピソードでもっとも重要なシーンだろう。小堀は理解しているのだ、この状況がどんなものかを。他者の好意的な視線による自己規定が欠けているために、複雑な社会のシステムに組みこまれながら現実には無人島にいるのと変わらない環境にあるということを。そうなれば当然、自我の輪郭はあやふやになり、かたちを失いかける。
「創(息子)がやっと歩けるようになった頃、創と二人っきりで冬の公園に行ったことがある。
人気の無いだだっ広い公園でふと思ったんだ…
創の頼りない、足どり。
頼りない、存在…
俺が護ってやらないと、だめなんだ
弱音は…
死んでから吐けばイイ」
悲壮感漂う決意とともに、小堀は立ち上がり、歩き出す。このラストの絵は…すさまじい迫力に満ちている。思考しないアホ以外、ある目的を規定し、信じこまなくては、ひとは生きていけない。“愛”はその目的にふさわしい。しかし決意して歩き出す小堀の姿はあまりに痛々しく、苦しく、そしてどこか違和感がある。それはたぶん、誰かに必要とされたい、とした直後に創くんのはなしが出てくるからだろう。幼い創くんは明らかに親の保護を必要とした不完全な存在だ。ここでは愛は原動力ではなく、やはり自己欺瞞の先にある鞭のようなものなのかもしれない。現実に小堀が創くんを愛していることとはまた別に。
リアルな物語とはこのことだ。一部のラッパーにときどき見られるのだけど、アンダーグラウンドの世界にいること、またその世界を描き、表現することが、「リアル」なのではない。たんにそういった世界のほうがダイナミズムがあるために表出しやすいというだけのはなしだ。リアリティのある物語とは平凡な(そして過酷な)サラリーマンの生活にもあるのだ。目的を見出だし、成長しようと努力する行為と、生きることの虚無・不安は、いつも背中あわせだ。ウシジマという漫画が「アンダーグラウンドをリアルに描いた」漫画とはあまり読めない、と僕が書くのは、そういう意味です。「~くん」はメタファーにすぎず、これは真剣に生きるひとすべての物語なのだ。
来週は作者取材のために休載だそうです。真鍋昌平…まだ物語の行く先が見えてないのかもしれないなー