■『SILENT HILL』
監督:クリストフ・ガンズ、主演:ラダ・ミッチェル
2006年製作 日本、カナダ、アメリカ、フランス
今年の映画初めは、コナミの同名ゲーム原作の、どホラーでした。ラダ・ミッチェルは『ピッチ・ブラック』にパイロットの役で主演してた女優。他に父親の役でショーン・ビーンが出ています。
■『ピッチ・ブラック』
http://ameblo.jp/tsucchini/entry-10048580233.html
ローズ(ラダ・ミッチェル)とクリス(ショーン・ビーン)の夫婦は、養女としてもらいうけたシャロンの夢遊病に悩まされていた。夜な夜な家を抜け出し、半睡の状態で発見されるシャロンは、必ず「サイレント・ヒル…」という言葉を口にする。これがウエスト・バージニアに実在するゴーストタウンの名前だと知ったローズは、シャロンを連れてここに向かう。しかしこの街は、一度入れば脱出不可能の、文字通り死の街だった。
これはかなり掘りごたえのある作品だと思う。ぱっと見よりずっと深い意味が、あちこちに隠されているのを感じる。
以下、ネタバレあり。
僕は原作となったゲームをやったことはないし、知りもしないのですが、まず映像がきれい。サイレンとともにはじまる地獄の風景、画面からしみだすように出現するモンスター、まがまがしいフリークスも、じっとりした生々しい感触とゲーム的な無機質の共存した不思議なもので、胸の悪くなる映像でもなぜか目が離せなくなる。
もっとも不思議なのはラスト。あれは、いったいどういうことなのか?なぜローズたちは「サイレント・ヒル」の世界を脱出できなかったのか。またなぜローズはそのことを疑問におもわないのか。
まず考えるべきは…あの空間、「サイレント・ヒル」という異次元が、誰に対しても現れるものではないということ。というか、現れない場合があるということ。
ローズは、ガソリンスタンドで偶然遭遇したベネット巡査に追跡され、おそらくはアレッサの影をよけようとしてスリップし、事故をおこす。このとき、ベネット巡査のバイクも転倒し、ふたりはそれぞれに気を失う。両者が目を醒ますと、シャロンはどこかに消えていて、あたりは灰の降りしきる薄暗い不毛の風景、「サイレント・ヒル」になっている。
いっぽう、妻と娘の出発前から予感めいた不安を覚え、また街の異常に気付いたローズが雑音混じりに留守電に残したメッセージを聞いたクリスは、街の裏事情も知るグッチ警部とともにサイレント・ヒルに入るが、彼らの目にする風景はローズたちの見るそれとは異なる、太陽のあたるただのゴーストタウンだ。それどころか、ローズとクリスは雰囲気のちがう同じ場所ですれちがうが、お互いの姿はまったく見えない。これはむろん「サイレント・ヒル」が物理的にただある街とは別の段階にある、異空間であることを示している。すれちがう際、姿は見えないが、クリスはローズの気配、具体的には香水の匂いを感じとる。このことから両者が少なくとも同じ時間軸にあることはまちがいない。
三十年前、考えることを放棄し、信仰にしがみつく街の狂信者たちは私生児のアレッサを魔女であるとし、これを焼き殺そうとする。しかし数は少ないが、良心的な住民もいた。そのひとりがグッチ警部である。したがってアレッサの復讐の的にこの男は入っておらず、むしろ救うべき人間であるのだろう。だから、異空間としての「サイレント・ヒル」はグッチとクリスを受け入れなかった。ではなぜローズ、シャロン、ベネットの三人はこの街に吸われたのか。それはアレッサがシャロンを必要としたからだ。そしてローズが養女としてシャロンを選んだからだ。
全身丸焦げになりながらも生き延びたアレッサは、憎悪から現在のシャロンそっくりな“死神”を生み出す。その死神がいうには、シャロンはアネッサの“良心”がうんだものなのだという。逆ピッコロ大魔王ですね。死神的アレッサが復讐を果たしたい住民たちは、彼女の入れない教会に隠れている。体を借りて教会のなかに入るために、ローズが必要だったのだ。またローズが、愛するシャロンのために、このささやきに応じるにちがいないことは、死神にもわかっていた。死神は、シャロンの存在につけこんだのだ。死神みずから赤ん坊のシャロンを孤児院に届けながら、再び呼びよせたことからも、死神のなかでこのシナリオができていたことがわかる。教会に入るために、シャロンを命にかえても救いたいとおもう者が、とにかく必要だったのだ。
アレッサが、死神の“あとに”良心としてのシャロンを生み出したというのも興味深い。復讐の権化となったアレッサは、死神の呪いで街を隔離すると同時に、定期的に悪霊が跳梁跋扈する地獄を見せている。なぜあの地獄が断続的なものであるかはわからない。アレッサが眠るときに見る夢の具現なのかもしれない。しかしおおざっぱに考えると、これはアレッサの良心ではないかとおもえる。フロイトは「悪」について、「(他者からの)愛の喪失の脅威にさらされること」としている。本来悪をなす人間というものが、愛を失うことの不安から、これを「罪」とする。そして他者との関係性における自己というものが確立され、超自我が構築されたとき、この意識は内面化され、いわゆる「良心」となる。神や悪魔が出てくるはなしに痛烈な宗教批判をしたフロイトを引き合いに出すのはまったくとんちんかんのようだが、そのように考えてみるとおもしろい。アレッサが悪をなす際に罪の意識を感じたとすれば、良心は生まれ出てくるのかもしれない。まず最初に「悪=復讐の権化としての死神」が誕生し、そのあとに「良心=シャロン」が生まれていることからもそう言えると思う。しかしそれなら、アレッサは何に対して罪の意識を、すなわち「愛を失うことへの不安」を感じていたのか?映画を見る限り、これは狂って街のなかを徘徊し、追放されて教会にも入れてもらえない母親・ダリア以外にないんじゃないか。他には、はっきりいって失うものなどなにもない。愛の喪失とは、ここではそのまま母親の死にあたるのではないか。くわしい描写がないので、サイレン後、地獄の世界でダリアがどうしているのかはわからない。教会前のあの場面についても、ダリアがアンナを指差すとアンナの背後にあのマスクをかぶった筋肉モンスターが出てくるが、あれはたまたまなのかそれともダリアが出したものなのか、いまいちよくわからない。だがいずれにせよ、ダリアにとっても完全に安全な世界とは言い難いだろう。サイレン前の、あの灰が降りしきるサイレントな世界は、誰あろうダリアの安全のために用意されてるんじゃないか。
そしてさらにおもしろいのは、映画中の「母親は子供にとって神と同じ」というセリフである。“信仰”ということがこの物語の大きなテーマであることはまちがいない。死神入りローズのセリフ…「盲信は死をもたらす!」。母親は神であるとされている以上、唯物的な信仰はここでは否定されていない。運命から目をそらし、みずからすすんで思考停止に陥る「盲信」が否定されている。結論を書いてしまうと…ラストの意味は、ダリアからローズへの、「神の交換」ということなのではないかな。復讐を終え、存在の意味を失った死神は、明確な描写はないが、直前の映像、仕草や表情を見る限り良心=シャロンと同化したようだ。このじてんでシャロンは善悪兼ねた存在、シャロンとアレッサが共存したひとりの人間となっているはずだ。だからこのシャロンにとっての神は、ローズとダリアのふたりがいるわけである。だが死神としてのアレッサは復讐を遂げたため実質的にその存在価値をなくしている。神の愛による自己規定を必要としなくなっている。必要なのはあらたに主体となったシャロンへの愛、すなわちローズである。だからシャロンは、「サイレント・ヒル」のサイレン前、すなわち良心=シャロンの世界にローズを取り入れたのではないか…。そうなら、ローズがあの世界に疑問をもつはずもない。なぜならあれは、サイレンのない、愛するシャロンの世界だから。
長々と書いたけど、いちばんかんたんなのは、あの自動車事故のじてんでみんな死んでたって解釈なんですがね。どうも気に入らないんで、力任せに論理無視で広げてみました。もうダメだ。あたまいたい。矛盾あっても、もう知らね。考えられね。