■『ハイドラ』金原ひとみ 新潮社
「迫ってくる体温を感じながら感じた、世界が変わっていくのを―。堕ちてゆく痛み。翳りない愛への恐れ。自身に注がれる冷徹なまなざし。クールさと瑞々しさをともに湛えた最新恋愛長編」
帯より
第一印象は、こんな文章を書くひとだったかなということ。言葉の配置とか読点の位置がやたら気になってしまって…。これが文章の癖というものだろうか?『蛇にピアス』しか読んでないからなんともわからないが…。しかし物語としての起伏、会話文の配分、描写の濃淡なんかは、やはり芥川賞作家、上手いです。
このひとも村上龍や山田詠美の流れで、少なくとも潜在的には…というよりは小説上の潜在意識として、セックスとカニバリズムということがキーワードになっていると思う。このように生々しい文章を嫌うひとも、なかにはいるはず。うえのふたり(同じように表現が露骨でも、高橋源一郎なんかとは別もの)が苦手なひとは、きっと拒否反応を起こすと思う。すなわち、相手の中に入りたい、一部になりたい、あるいは相手を体内に取り入れたいという、きわめてプリミティブにして誠実な、愛の感情…。シンプルでスタイリッシュな恋愛を好むひとには、たぶん受け入れ難いんじゃないかと思う。これは生理的な、好みの問題だ、と断言したいところだけど、他者による究極の自己規定というものが恋愛だと考えると、なんとも言えない…。
主人公の早希は、新崎という写真家の専属モデルにして、プライベートの恋人でもある。しかし新崎との淡泊な、機械みたいな関係にもやもやしていた早希は、松木という、画用紙みたいに真っ白なミュージシャンと出会い、こころを動かされる…。
早希は、モデルという仕事が象徴するように、新崎の前では恋人でありながら“個”としての意味をもたない。いわばマネキン。あるのは、新崎の写真集に出ているモデルの早希さん、という括りだけ。体型維持のため、食べ物を口のなかに入れ、噛んでは吐き出すという「噛み吐き」をくりかえす姿は、不気味でもあり、またせつなく、虚無的でもある。この「噛み吐き」が、すなわち噛んで味わうのみで、いつまでも飲みこんで体の一部になることがないということが、新崎にとっての早希の価値である、という想像は別にむずかしくないだろう。
しかしそうはいっても、早希は新崎の存在によってしっかりとした役割を規定されていると言えないこともない。だが小説を読めば一目瞭然、新崎との関係をある理由から秘密にしなければならないためにつく数々の嘘や、ビジネスの延長のようにすら見える新崎の接しかたに、みずからも欺きつつ、葛藤している。これはどういうことか。早希じしんが考える、というか感じる「私」というものと、タテマエの向こうにあるマネキンというジョブとして他者の認める「早希」というものの差異が、違和をもたらしているのだ。他者のおもう私とみずからのおもう私の相違…誰しも経験があることだろう。これは…タテマエの「私」によって、ホンネの「私」が規定されている、というふうに言えなくもない。このようにタテマエが他者との関係性においてきちんと機能しているぶん、「本来の私」という意識が強まり、ホンネが沈んでしまっているのだ。
そんな早希が、なぜ松木に惹かれたか。言うまでもなく、彼が「みずからのおもう私」を生ききっているからである。
「きっと彼には一つの矛盾もない。美月に対して、新崎に対して、松木さんに対して、仕事で会う人に対して、私はそれぞれ違う人格を持っている。でも彼は人と接する時、目上だとか目下だとか、男だとか女だとか利害関係上下関係全てを無視して、誰に対しても自分を変えない人なのだろう。矛盾のない人にはきっと、逃げ場がない」
しかし、じぶんでおもっているだけでは、なにもない。それはあいまいな振動みたいなものにすぎない。他者の存在…じぶんではないなにか「在るもの」がこちらに接続してくることではじめて、僕らはじぶんの存在を確認する。存在のたしかさ、意味はなくともただ「在る」ということの喜びを知る。
「黒いキャデラックの中から手を振る松木さんを見つけた時、初めて、かつてないほどの、存在を感じた。私はどこにも存在していない。新崎さんも、美月も小島蘭も京子さんもリツくんも誰もかれも存在していない。ずっとそんな気がしていた。でもそこに、松木さんだけは本当に存在していた」
しかし不安定なじぶんのホンネを上手く感知できない早希は、罪悪感から逃れられず、松木の脆さを心配すらする…。このさきに続く複雑な精神的葛藤、特にリツくんとのやりとりは、圧巻。
陳腐な感想になるけど、この小説家は、すさまじい恋愛を…言い方を変えれば不幸な恋愛を、たくさん経験しているんだろうとおもう。こんな書き方は、経験してないことは書けないみたいで、僕の本意ではないのだが…。ホンネとタテマエを、もっと無神経に無思考に使いこなせたらいいのだけど、誰も彼もが思考停止を良しとするわけではないから。そもそも、そんなふうに、二元論的に、使いこなしや、交換のきくものなのか?だいたい、ホンネとはなんだ?なんだかフツーの恋愛小説だなーという途中までの印象もおしまいが近づくと一変、そこらへんのわけのわからないしょーせつとはひと味もふた味もちがう、毒を含んだ、生きるということに直結した、すごい小説だった。
いずれにせよ、金原ひとみは非常に地力のあるひとだとおもう。まだ二冊目だけど、コンスタントに質の高い小説が書ける、平均点の高い作家なんじゃないかなー。
それにしても…このひと僕とタメなんですよね。やるなぁ…。