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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

本屋に行ったら、村上春樹の新作が出ていました。





■『走ることについて語るときに僕が語ること』村上春樹 文藝春秋




またそのとなりには内田樹の本も。





■『村上春樹にご用心』内田樹 アルテスパブリッシング



どちらもとってもおもしろそうだった。買わなかったけど。村上春樹はあとがきを書かないし、批評嫌いから作品に解説なんかもつけないので、作品以外にヒントがないという作家だから、このように生の声を聞けるというのはそれだけでおもしろい。


しかし…ぞっとするような村上春樹の冷徹さを、僕はときどき感じます。『村上春樹にご用心』をちょっとだけ立ち読みしたんですが、彼の批評嫌いというのは、要するに作品の内容をぜんぶ書いてしまうような下手くそなものが嫌いということらしい。批評とは、それが仮に悪く書かれていようとも、このひとがこんなふうに書く小説とはいったいどんなものだろう、として、読んでみようと思わせるのが本来の働きであるし、それこそが批評力である、みたいな。しかし『風の歌を聴け』から読んでいる熟練の春樹読者なら、こんなことはわざわざ断られるまでもなくたやすく理解できることでしょう。作品は作品であり、それ以外のなにものでもないということですね。ある作品に書かれるべきことは、すべてその作品に書かれていると。しかしここには…彼の描く登場人物たちのもつ冷たい距離感も、同時に感じられる。つまり筆者じしんは明らか意図やテーマ性をもって仕掛けを施しているのに、別に好きに読めばいいじゃん、とするということは…読めていないひとにきちんと読むことを要求していないということなんですね。村上春樹はもうけっこうな年齢だけど…現代人特有の「おせっかい嫌い」とでもいうか、「あなたがよければそれでどうぞ」的なクールネスがものすごい感じられる。彼は…作品が示すように、ひととひととは、どうあってもわかりあえないものだ、他者と自己は決して交差しない、ということを確信している。だから、多くの天才たちが思い悩んだ、理解されない苦しみ、果たして読者はオレの書いたものをちゃんと読んでいるのか、というような苦悩を感じることがない。だからそれで書けなくなってしまったりとか、読んでないなら一生懸命に書く意味なんてない、じゃあもうなんでもいいからおもしろ「そう」なものだけポンポン書いちまえ、みたいに共有を忘れて共感に走ることもない。悪くいえばあきらめてしまってるんですね。だから、読めてようが読めてなかろうが知りません、僕も好きに書くからそっちも好きに読んでください、というふうになる。ここには村上春樹の懐の深さ、ぬくみが感じられるとともに、まったく逆の、孤独と凍るような諦念も感じられる。彼が非常に平易で、かつリリシズムに富んだ美しい文章を書く作家だということも、問題をややこしくしている。比喩表現もすばらしい。僕の永遠のお手本です。そしてこれはまた文学のもう一方の、非常に重要な側面でもありますからね。どれだけすばらしい意識のもとに書かれても、文章が下手だったらおはなしになりませんし。(現実にはこれは表裏一体なんですが)


これには彼がまさに大学生だったときの「学生運動」ということが大きく影響しているはず。『ノルウェイの森』を読めば一目瞭然。たぶんこのことを書いた論文なんかも、探せばあるんじゃないかな。



へんな言い方になるけど…村上春樹とZEEBRAの立ち位置って、ちょっと似てるかもしれないですね。『GOLDEN MIC』という曲で、ジブラは自分やみずからの作品のことを、「オーバーグラウンドで唯一のリアル・シット」と言っています。