緊張感、一回性 | すっぴんマスター

すっぴんマスター

(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

高校のころのクラスメートに、シャーペンや鉛筆はいっさい用いず、板書からなにからぜんぶボールペンを使って書く男がいました。このあいだ書いた天才肌のIくんなんかと比べると彼は努力のひとで、どちらかといえばがり勉タイプでした(柔道黒帯のものすごくいかついおとこでしたが)。


あるとき、僕は訊ねました。なんでボールペンなの?まちがえたら消せないじゃん。
彼は言います。緊張感を保つためだ、と。




…。




瞠目。
もはや、自分は、完全に、彼を見直しました。
その後、彼はしっかり第一志望に合格しましたよ。


パソコン全盛のなか、いまでも手書きにこだわる作家がいるというのは…同じ理由からなのかもしれない。パソコンを使えば、かんたんに修正がきくし、脱稿の直前まで付け加えや削除もできる。しかしむろんのこと、文章がはじめて生まれたその瞬間の、一回性の、生身の感触は…手を加えるごとに失われていく。それは推敲をくりかえすことで得られる美しさとはまたべつの、ナマのリズム感。緻密に計算されたクラシックと、できるだけ計算を排除しようとするジャズとのちがい。オシャレに洗練された都会的な女の子のかわいさと、赤ん坊のかわいさとのちがい。おそらく身体的な詩性というものは、最初の一回にしか含まれていないものなんだろう。そしてかんたんにやり直しがきくということが…、文章から緊張感を奪うというのはあるんじゃなかろうか。ジャズでも、スタジオ録音とライブではやはりちがうもの。



完璧を求め、幾度もテイクを重ねるジョン・コルトレーンに対し、デューク・エリントンはこう諭したそうです。


「スポンティニアスな音楽は、いちどしか演奏されないのだよ」