高校のころのクラスメートに、シャーペンや鉛筆はいっさい用いず、板書からなにからぜんぶボールペンを使って書く男がいました。このあいだ書いた天才肌のIくんなんかと比べると彼は努力のひとで、どちらかといえばがり勉タイプでした(柔道黒帯のものすごくいかついおとこでしたが)。
あるとき、僕は訊ねました。なんでボールペンなの?まちがえたら消せないじゃん。
彼は言います。緊張感を保つためだ、と。
…。
瞠目。
もはや、自分は、完全に、彼を見直しました。
その後、彼はしっかり第一志望に合格しましたよ。
パソコン全盛のなか、いまでも手書きにこだわる作家がいるというのは…同じ理由からなのかもしれない。パソコンを使えば、かんたんに修正がきくし、脱稿の直前まで付け加えや削除もできる。しかしむろんのこと、文章がはじめて生まれたその瞬間の、一回性の、生身の感触は…手を加えるごとに失われていく。それは推敲をくりかえすことで得られる美しさとはまたべつの、ナマのリズム感。緻密に計算されたクラシックと、できるだけ計算を排除しようとするジャズとのちがい。オシャレに洗練された都会的な女の子のかわいさと、赤ん坊のかわいさとのちがい。おそらく身体的な詩性というものは、最初の一回にしか含まれていないものなんだろう。そしてかんたんにやり直しがきくということが…、文章から緊張感を奪うというのはあるんじゃなかろうか。ジャズでも、スタジオ録音とライブではやはりちがうもの。
完璧を求め、幾度もテイクを重ねるジョン・コルトレーンに対し、デューク・エリントンはこう諭したそうです。
「スポンティニアスな音楽は、いちどしか演奏されないのだよ」