敬語 | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

昨日のはなしにも似てるのだけど、敬語って、ほんとうめんどくさいですよね。いや、敬語の使い分けがもたらす諸々といったほうが正しいか…。推理作家の島田荘司は、文化論、日本人論といった分野の優れた考察者としても有名ですが、彼は日本人の「威張り屋体質」が、この、韓国語をを除くと、他の言語体系にはほとんど見られない「敬語」からきていると指摘します。すなわち、敬語を使わせたい、タメ語を使いたい…。他の言語にも、ほんのわずかの丁寧語くらいなら、いっぱいあります。しかし日本語のように上下が明らかになるような、というか明らかにするためにあるような言葉はほとんどないんだそう。


「世界の先進国の言語において、日本語ほどこみ入り、しかも徹底した尊敬表現機能を持つものはほかにない。(略)
ところが日本人はこういう封建制をうち捨て、世界にも例を見ない平等の国家を急遽創造した。しかし世界有数の封建的言語は、そのまま残らざるを得なかった。日本語の改造はどう知恵を絞っても完全に不可能だったのである。(略)
日本人は、社会的地位が高い者ほど、ぞんざいな日本語を口にできる。日本語は前述した通りこういう方向では実にきめ細かいので、非常に丁寧な表現から極限的にぞんざいな表現まで、その段階は無限といってよいほどに、微妙な工作が可能なのである。(略)
日本人にとって、自身の出世とともにこういう言葉遣いが許されていくということが、報酬額の増加や、社会的地位の向上と同等、もしくはそれ以上の喜びなのである」
(講談社文庫、島田荘司『自動車社会学のすすめ』より)


小学生のときに読んで以来あけていなかったので、どの本のどのぶぶんだったか、探すのにえらい時間かかってしまった(笑)

以下、島田荘司は、ぞんざいな口をきくためのルール――年齢や地位などを、皮肉たっぷりにいくつかあげていき、年下の上司にはどのような口のききかたをすればいいのかというような矛盾を指摘する。しかし、威張りたいことは威張りたい。結果、日本人は老けて見られる(要するに、風格があるように見られる)ことを好み、できるだけひとには貸しをつくるようにし、田舎の警察官のように高飛車な態度を選ぶようになる。これはまさに、「世界の眉目をひそめさせている日本人」の典型的姿であると――…


「そしてこのような形で互いに交換される、尊敬、被尊敬のコミュニケーションは、あえて芝居にも似た嘘のものとしているのであるから、実質的精神交流はどんどん制限され、限りなくゼロに近づいていく。一方は自分の尊敬意識が嘘であるという負い目をどんどん抱え込むから、この事実が露見することを怖れて発言不能となる。どんどん自閉していく」



僕も、敬語の存在が欝陶しい。というのは、敬語をつかう局面とそうでない局面の、線引きがめんどくさいし、嫌だから。島田荘司が指摘するように、年齢とか、空手でいうところの帯の色、会社内での上下関係、そういうかんたんに明示できるラインがあれば、まだいい。しかしそうでないとき…敬語を使ってしゃべるひとより、そうでないひとを下に見ることになるから。お互いにそうおもっていなくとも。これはじぶんに対してもおなじこと。敬語が最初からなければ、「え?なんでこいつオレにはタメ語なの?」とか、感じ悪い後輩に「敬語つかえよ」とかいちいち言わなくてもいい。しかし敬語じたいは、とってもきれいなことばだとおもう。いっそ日本語ぜんぶを敬語に統一してしまえばいいのに。


芦原空手の創始者、空手家の故・芦原英幸は、目上の人間はもちろん、みずからの門弟や道場生の女の子や子供にも敬語をつかっていたそうです。しかしこれをもって、なにか「寺子屋の先生」的な人物を想像されるとちょっとちがう。彼は大山倍達の直弟子、本職も恐れるような超実戦派の豪傑でした。だからどうというはなしでもないのだけど、考えさせられます。


「敬語」についてはまだまだ書きたいことがたくさんあるので、そのうちまとめてみたいと思います。