『MURDER BULLETS 』The BROBUS | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

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『マーダー・バレッツ』ザ・ブラバス
MURDER BULLETS

B.D.、BAZOO、DWEETの3MC、HASSY THE WANTED、DJ FOOCHの2DJから成る、宇田川の次世代クルー、ブラバスのメジャー・デビュー・アルバム。先日、やっとこさゲットしました。


はじめてMIKRISやKEN WHEELを聴いたときにも思ったことだけど…日本語ラップは確実に進化していっている。それも、なんとなく惰性で才能の登場を待ってるみたいな感じじゃない。ムロ、ジブラ、ダボ、デリといった実力も人望もあるベテランのアーティストから、彼らを見て育ち、新たに登場した、ぎりぎりまで引っ張った弓の如く、爆発寸前の危険なエネルギーを孕んだネクスト・レベルまで、そしてたぶん彼らを現場で支えるヘッズも含めて、すべてのヒップホッパーたちの意識の高さ…自分たちがいまなにをやろうとしているのか、それがもたらすものはどういうことなのか、そういうことに自覚的な、強力な流れみたいなものが…まちがいなくある。ヒップホップが日本に輸入されてから、さまざまなラッパーたちが、さまざまの解釈で日本語ラップを呈示してみせて、それぞれに一定のスタイルみたいなものが確固としてできていき、それらも踏まえて、日本のヒップホップ全体もやはり確固としたどこかに向かっているように見えるのだ。ちょうど吉本隆明が、文学の
広い意味での奔流を、文学史的に、つまり既成概念から読み解くのでなく、環境に規定される文学の潜在的な表出史として考えたように。MCにしてもDJにしても、ブラバスはそういう全体の先にあるひとつの到達点だと思う。


たとえばこの彼らの1stアルバムを手にとって、無作為に曲を選んで聴いてみるといい。どれを選んでも一定以上のものが聴かれることに気付くと思う。なんというのかな、音楽としての、ヒップホップ的基礎体力の充実とでもいえばいいのか…。僕はあっちの、本場のラップを、ほとんどかじった程度にしか聴いていないので、比較はできないわけだけど、ほとんどが好みのうえであるとはいえ、このようにある程度聴いてきている日本語ラップの流れを考えると…この到達点はやっぱり感慨深い。あ、ついにここまできたか、っていう理屈抜きの感動がやってきます。この作品にフィーチャーされているミクリスやJBMなどを含むTEAM 44 BLOXの若手についても同様。もうすごすぎて、ぜんぜん素直にほめられない。どうにかこの感激を伝えようとしてしまって…。しかしあたりまえのことだけど、手法や意図を分析するのならともかく、音楽的感動を言葉にすることは原理的に不可能なことです。だってそれで伝わるなら、音楽なんていらないことになるから。そしてこの理
不尽なくらいの衝撃は…なにが、どこがすごいのかということの分析すら霞ませてしまう。もう少し聴いて冷静になれたらそれはわかりませんが…。

とにかく聴いてみてください。バラエティなんかで「ラッパー」という生き物をイロモノ扱いしている場面をいまでもたまに見掛けますが…変な言いかたになるけど、もう逆に、それをやったら寒いだろ、恥ずかしいだろ、ぐらいの段階まできてるとおもう。(いや、個人的にはとっくにそうだとは思うんですが…)


トラックやラップについては、書けたらいずれ書きます。僕が購入した町田の新星堂にはもう一枚置いてあったので、近くに住んでるひとはB-BOYもA-BOYも、おとなもこどももおねーさんも、軽くどうですか?