(ネタバレしています)
『オデッサ・ファイル』
おもしろい映画でした。ジョン・ボイトの若さを見る限り相当古い作品みたいだけど…。ダスティン・ホフマンと共演した『真夜中のカウボーイ』のころかな?(どうでもいいけど、彼はアンジェリーナ・ジョリーの父親です)
WOWOWでやっていたのを途中から見たのですが、まあ筋は次のような感じです。
新聞記者のピーター・ミラーは、友人の記者から、つい最近自殺をしたあるユダヤ人の残した戦争手記を手に入れる。家畜のように扱われ、ゴミでも捨てるみたいに虐殺されていくユダヤ人たちの悲惨な運命を読み進めながらミラーは、ロシュマンというナチスの軍人に行き当たる。ロシュマンの非道なふるまいの数々を目にしたミラーは、20年たったいまも逃げ延び、まだ生きているにちがいないこの男の探索・調査をはじめる。しかし彼がどう手を尽くしても、なにやらかにやら透明の壁みたいなものがあいだに立ちふさがり、調べはいっこうに進まない。やがてミラーは、ナチスの生き残りを保護し、真のドイツ復活を企てる「オデッサ」という秘密結社の存在を知る。
調査を進めるうちミラーは、イスラエルの諜報部みたいな連中からオデッサに潜入しないかともちかけられる。見ているこちらが不可解におもうくらいの熱心さで、ミラーはこれに応じる。徹底した訓練と偽装により、おそろしく厳しいオデッサのテストもクリアして、ついにミラーは潜入に成功する。
だがオデッサの情報網はやがてミラーの偽装を見破り、彼は殺し屋に狙われることとなる。ミラーはしかし逆に殺し屋を殺害し、身分を変えて社会に潜むオデッサのメンバー・ファイルをも手に入れる。もちろん、ロシュマンの身許も、彼は知る。
すでに新しい身分でも一家をなしていたロシュマンの屋敷へ拳銃片手に侵入したミラーは、ついにロシュマン本人と対峙する。ミラーの顔を見て一瞬にして事情を察したロシュマンは、彼の正義感を鼻で笑う。いまのドイツがあるのは我々のちからだし、これからもドイツはちからをつけていく。あれは虐殺ではない、軍人としての仕事だと。
ミラーは一枚の写真を取り出し、ロシュマンに覚えているかとたずねる。それはロシュマンがふとしたもめごとから撃ち殺してしまったドイツの軍人の写真だった。ここにきてやっと、どうにも理解不能だったミラーの熱意の正体がはっきりする。その軍人は、ミラーの父親だったのだ。
ミラーはロシュマンを殺害する。彼はしかし勾留はされたものの、起訴すらされずに三週間で出所する。オデッサは解体し(たぶん)、ドイツ社会に深く巣くっていたナチズムはいちおう、消滅する。…ということでいいのかな?はっきり崩壊したとは言ってなかった気もするけど、少なくとも以前と同じかたちでは存在できないでしょう。
ミラーのあの熱心さの意味、動機が判明するまで、これはいったいどういう映画なのか、と考えこんでいました。うーむ、ひとの役割、ジョブによってどのように人間が規定されるか、そういうおはなしなのかな、なんておもっていた。だって…。ひとりのたんなる新聞記者が言葉を通して真実を明らかにするという、ありがちなおはなしかと思いきや、どんどんわけわかんないほうに物語はすすんでいき、ついにはスパイになっちゃうんだもん。ミラーは作中で何度も痛い目にあうし、いちどはホームから突き落とされ、はっきりいってほとんど死にかけます。それでも彼は調査をやめない。恋人にもうやめようと言われても、僕には調べる責任がある、としてとりあわない。いまおもえばもちろんこれは父親のことだったわけですが…。このことを、映画的に最後まで隠していたというのは、いったいどういう意図なんだろう。(僕の見ていない最初のほうで明かされている、というのはたぶんないと思いますが…)。ミステリ的などんでん返しだろうか。たしかになるほど、とは思
ったけど…。だが誰だって、正義(ロシュマンにユダヤ人虐殺の罪を償わせる)からの行動にしてはなにかおかしい、やりすぎだという違和感を覚えるにちがいないし、先のセリフだってかなり思わせぶりだ。
それでもとに戻って、人間のジョブについてのおはなしだっていうのはあながちまちがってないのかな、なんておもいました。いや、ミラーに限らず、ナチスの人間や、虐殺されたユダヤ人たちなんかもぜんぶ含めて。ロシュマンの「命令に従っただけだ」というセリフや、殺し屋とロシュマンのふたりを殺害した、軍人でもなんでもないミラーがなんの罪にも問われなかったこととか。あれだけの人脈と情報網をそなえたオデッサがあっさり崩壊する運びとなったのは、もちろんミラーの持ち帰ったファイルのちからでしょう。オデッサ内で実権のあるメンバーはすべて化けの皮をはがされることとなったわけだから。しかしそれにしたって…かんたんに壊れすぎじゃなかろうか?そもそも…ファイルが明るみにでることで、彼らの「正体」を知ったのは具体的に「誰」なのか。僕が映画からうけた印象では、ドイツ社会の重要人物はあらゆる角度からオデッサの影響を受けているようだった。こんなファイルくらいかんたんに揉み消せそうな感じすらした。しかるにオデッサは崩壊した。それは
…オデッサじたいをも含む、さらに大きな「規定する側」があったからか…。現実にそれは、それこそ一方的な「正義」とかなんだろうけど…。映画的には、ミラーは釈放され、いわば「勝利」し、「復讐」は認められちゃってるわけだし。
父親のかたきを探す、という動機を隠すことで、いったいどんな効果があらわれているだろう?それは、熱意の意味はとにかく置いて、役割に徹するひとりの男、ということではないか。行動の是非ではなく、与えられたジョブに規定された人間というものが浮き彫りになっていないか。はっきりいってミラーは、役割に振り回されている。映画を見終わったあとでは、この原動力が「復讐」だったのかと僕らは知るけど、いずれにせよ、彼は運命に翻弄されてるといっていいでしょう。そのためにふたりを殺し、自身も何度か死にかけてるんだから。ドロップアウトもできるのに。だけどミラーは、役割に逆らって(つまりうらみを忘れて)生きようとはせず、徹底的にこの役割をまっとうする…。そして、役割から逃げ、別のジョブに隠れたオデッサは敗北する。なんだかこわいはなしだなぁ。自分で選びたいよジョブは。わけわかんないものに規定されるしかないなんてな…。