『Waltz for Debby』Bill Evans Trio/RIVERSIDE
1961年6月25日 NYCヴィレッジ・ヴァンガードにて、ライブ録音
これもまた、オニ有名盤。これからジャズを聴いてみようとする人がもっとも手にすることの多いアルバムなんじゃないですか。
まずこのアルバムはジャケットがかっこいいですよねー。リバーサイドはジャケがオシャレな気がするけど、どうですか?これ、写ってる影のこの人、横顔の残像を残しながら、こっち見てますよね。村上春樹の小説に出てくる、内側に人にはうちあけられない、というか表現できない闇を抱えている登場人物みたいだ。そう、『ノルウェイの森』の直子みたいな。緑からワタナベくんへの手紙にあった、『あなたはいつも自分の世界に閉じこもっていて、私がこんこん、ワタナベ君、こんこんとノックしてもちょっと目を上げるだけで、またすぐもとに戻ってしまうみたいです』ということばが思い出されます。余談ですがこの作品は、その村上春樹『ノルウェイの森』で、ワタナベくんと直子が、彼女の誕生日に、最初にして最後の夜をすごしたあのとき、かけられていたレコードの一枚です。
ジャズを初めて聴く人が手にとる、と書いたけど、実際のところどうなんだろう。少なくともはじめのころ、僕はよくわからなかったけど。中学の卒業論文で僕はジャズについて書いたのだけど、ここでもところどころ、クエスチョン・マークが点滅してる感じがします。
一曲目、スタンダード・ナンバー「マイ・フーリッシュ・ハート」。僕は原曲を知らないからはっきりしたことは言えないのだけど、これ、いわゆる「アドリブ」がないんですよね。つまり、テーマを演奏してから、コード進行だけを残して、そのうえで好きに弾くっていう、一般的なかたちがない。エバンスは、原曲を、そのまま弾いてるんです。しかし…この、いま初めてこの曲を知ったかのような、初見で弾いているような、ものすごい緊張感はいったいなにごとか…。エバンスの音楽が「こわれもの」みたいな言われかたをされる所以ですね。まあ、『ポートレイト・イン・ジャズ』なんかを聴くと、一面なんだなーとは思いますが。だからながいあいだアドリブがないことに気付けなかったんです。原曲どおりに弾いてるにも関わらず(たぶん)、アドリブ演奏ばりの音楽的緊張が漂っているから。白人でありながらまちがいなく黒人音楽であるジャズをやってのけるエバンスは、ビートでもなく構成でもなく、またエバンスの(あるいはジャズの)一般的認識であ
る(?)「ムード」でもなく、やはり即興音楽の一回性にジャズの本質を見ていたことが、この一曲で逆説的にわかります。エバンスは演奏するごとに、その曲と、音楽的には初対面でいるわけです。
で、これもぜったい書かなきゃいけないことだろうけど、やっぱりベースのスコット・ラファロですね。インタープレイというはなしになると、必ずといっていいほどこの二人はひきあいに出されるわけですが…。当たり前だけど、こうやって音楽をプッシュしあい、いっぽうが弾いた音に対し、こういうことだろ?とばかりに、音を付け加え、会話をするには、相性云々以前に、よく耳をすませて、相手の言いたいことを聴きとるちからが必要なわけで、そういう意味ではドラムスのポール・モチアンも優れた耳をもっていると思います。もう、なんというか、合体しちゃってるもの、音のなかに。
音楽から聴かれる、繊細な、海岸に建てられた砂の城みたいな美しさからは想像できないけど、実際のところスコット・ラファロはかなりの変わりもので、演奏中に、はやく金をよこせ、みたいなことをずっと言っていたようですが、まあどうでもいいか。天才=変人みたいな図式は、事実そうであってもどうでもよくて、その図式にしばられてジャコが早死にしてしまったこともあるし、僕はそういう見方はいやだなー。実際これの録音直後、ラファロも自動車事故で死んでしまうのだけど。僕は、ただただ、残念です。
