『THE ALBUM 』D.L | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

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『THE ALBUM(ADMONITIONS)』D.L
THE ALBUM(初回生産限定盤)(DVD付)

DEV LARGE aka D.L渾身の1stアルバム。今年のはじめに発売されたんだったかな?ずいぶん長いあいだ活動してるけど、ソロでは1stなんだな…。


評価はですね…



最高傑作!!
以上!(笑)


初めて聴いてから何年たっても、いろいろなものを聴いて見識が深まっても、ずっと最初の印象のまま、傑作であり続ける作品って、ありますよね。僕のなかでは、たとえばチック・コリア『リターン・トゥ・フォーエバー』や、ジャコのソロアルバム、ウェザーの『8:30』、ミシェル・ペトルチアーニ・トリオのブルーノート東京でのライブアルバム、それにm-flo『ASTROMANTIC』なんかがそれですが(他にもあるんだろうけど、思い出せないです)、これはそういうマスターピースのなかに並べたい、すばらしい作品だと思います。

いまあげたもののほとんどがインスト、つまり「うたもの」でないのは、たぶん理由がある。僕はジャズの楽器音楽しか知らない時期がかなり長かったから、「うた」というものに対して、いまではかなり薄まってはいるけど、それでもまだ、少し違和感があるのです。アート・ブレイキーみたいにぽかんと口を開けて演奏する人間もいれば、ジャコみたいに、恥ずかしそうに観客に背を向けて爆音を鳴らす人間もいたり、つまりそのアプローチは多様ではあるのはまちがいないのだけど、変わらないのは瞬間瞬間に、ほとんど偶発的に、また爆発的に音楽が生成される、その危なっかしい過程にジャズ的な表現があることもまたたしかで、だから「音楽=ジャズ」だった当時の僕の「音楽」の認識は、坂本龍一に出会うまではそういうもので、一面的なものでした。ここに「言葉」が加わるなんて、思いもよらなかったのです。

こう書くと坂本龍一で「うたもの」に目覚めたみたいだけど、これもまた少し意味がちがって、彼は音楽のなかに「うた」を持ち込むとき、まあ本人が言っていたのを聴いたわけではないのですが、明らかにこれを音楽的オプションでなく、ひとつの付属品として扱おうという意識があると思います。現在一般的にきかれる「うたもの」は、まず「うた」と「詞」があり、それを歌う「歌い手」がいて、これをサポートするために、いわば補完的にその他の楽器がある、そういうふうに、僕には見えるのですが(むろん、一概に言えることではありませんが。でも、「うたもの」を聴き慣れてる人は、このベース渋いな、誰だろう?みたいにはならないんじゃないでしょうか)、坂本龍一=教授の「うた」は、音楽的要請以外のところからきているみたいなんです。むしろ、教授は「うた」が嫌いなんじゃないか、とすら思うこともあります。たとえばYMO時代の曲に「オンガク」というものがあって、これは、僕はよく知らないけど、手法的には60年代のアバンギャルド音楽
へのオマージュとして書かれたもので、また歌詞の内容は当時まだ赤ん坊だった教授の娘、坂本美雨に捧げられたもののようですが、ここでのボーカリングというのがすごい奇妙で…。言葉を、音楽表現の道具として扱おうとしていないんです。ラップじゃなくても、言葉を音にのせて、それなりの躍動感を出すためには、ヒップホップでいうところの「フロウ」が不可欠です。(HI-Dさんの歌を聴くとよくわかります)。特に日本語は一語一語に母音を含むとっても律儀な言語だから、英語みたいに最初からリズミカルにあるわけではむろんなくて、たしかに韻は踏みやすいのだけど、ただ踏んでもべたべたするだけみたいな、宿命的な性質を孕んでいます。しかし「オンガク」ではこれが無視されている…。これは僕には、もし言葉にメッセージをのせて発信するなら、それは音楽とは別物である、というような教授の宣言みたいに見えます。(いっぽうで、YMOのリーダーだった細野晴臣は、サザンの桑田と並び、ロックに日本語を、音楽的にもちこんだパイオニアでも
ある…。そういうところをつかれると困っちゃうんですが…。ビハインド・ザ・マスクみたいな曲もあるわけだし)。
簡単に言っちゃうとね、すでに確固とした「意味」を含む「音」、すなわち言葉っていうのが、言葉と同様の、いち表現形態である音楽に持ち込まれるというのが、僕は最初のころどうしても納得いかなかったんです。いまのポップ・ミュージックみたいに、「うた先行」になることが予想できた…わけはないけど、でもやっぱり、どんなに練習量の多いピアニストでも、人生のうちで、ピアノを鳴らすのと言葉を発するのとどちらが多いかっていうのは明白で、言葉があったら、そりゃ言葉の「意味」を「聴く」んですよ。(前にも書いたけど、特に日本の場合、これは「カラオケ」の罪が大きいな、と僕は思います。いや、みんなで遊ぶぶんには楽しいんだけどね)。


とにかくまあ、そういう独善的というかひどい偏見が、僕のなかにはいまだにあるのです。頭堅いってのはわかってるんですが…。たぶんたくさん聴いて慣れていくうちに全体も聞けるようになるのかもしれないけど…。


それで、本題にもどると、D.Lさんのなにがすごいって、彼は、「意味」を含ませながら、徹底して言葉を「楽器」にしてしまってるんです。ミクリスなんかもこのクチですが…。フロウ重視、って言ってしまえば、それはそうなんだけど。こればっかりは聴いてもらうしかないです。「言葉」の響きでもって、「音楽的」な「表現」をするというのがどういうことなのか、D.Lさんのラップはひとつのこたえを示してくれています。
D.Lはそのトラック・メイキングにも類い稀な才を発揮していて、これらはトラックだけを聴いても彼の作品だとわかるようなどぎついものです。D.Lのアルバムなんだから当たり前なんだけど、だからこのアルバムは音の一滴からジャケットのアートワークまで、徹頭徹尾、スティンキーなD.L臭にくるまれていて、もうどこだかわからないような、ものすごい濃厚な世界に僕らを連れていってくれます。文字通り全曲名演ですので、最初から通して聴くことをおすすめします。