この人については、いくら語っても語り尽くせないようなところがあって…
ジャコはウェザーリポート最盛期のベーシストで、僕が初めて彼のプレイを聴いたのもウェザーだった。ジャコがウェザーに入る以前に、こんなエピソードがある。
1975年頃、ジョー・ザビヌル(ウェザーのキーボード)はジャコと出会った。(略)。 サウンド・チェックを終え、ザビヌルがシアターの外の通りに立っていると“やせっぽちで長髪のワイルドな身なりの若者”が近づいて来た。
ジャコ「あんたの音楽はキャノンボール・アダレイの頃から聴いていて、大好きだ」
ジョー「それで何か用でもあるのかい?」
「俺の名前はジョン・フランシス・パストリアス三世で、世界最高のエレクトリック・ベース・プレイヤーなんだ」
「あっちへ行けよ!」
(ビル・ミルコウスキー著『ジャコ・パストリアスの肖像』より抜粋)
ジョーくらいの大物ミュージシャンともなるとやっぱりこういう持ち込みみたいのは多いだろうし、この反応も別におかしいことはない。しかし先のジャコの言葉はまったくの真実だった。
当時ウェザーのベーシストだったアルフォンソ・ジョンソンもすばらしいベーシストだったし、ジョーも彼のプレイに満足していた。名作『ブラック・マーケット』のレコーディングを半分ほど終えたころ、しかしアルフォンソは他のバンドを組むためにウェザーを抜けてしまったのだ。そこでジョーはジャコのことを思い出したというわけである。
「そこでジャコに電話をかけた。電話して、私が最初に聞いたことは『お前はエレクトリック・ベースも弾くのかい?』だ。私はてっきり、あの温かく豊かなサウンドはアップライト・ベース(コントラバス)のものだと思っていたんだ。フェンダーのフレットレスで奏でていたなんて驚きだった」
(同書より)
僕はベースを弾かないので、技術的なことはよくわからないけど、このジョーの聞き違いにはすべてがあらわれていると思う。ある楽器から、これまで考えられなかった音を出すということは、ただ表現の幅が広がるとか、ひとつの楽器でふたつぶんお得とか、そういうはなしを越えている。楽器に、音楽に対する概念が変わってしまうということだ。ギタリストのパット・メセニーが、ジャコの死後、こんなコメントを残している。
「ジャコほど周囲のミュージシャン、いやミュージシャンみんなに影響を与えたやつはいない。それはベース・プレイヤーに限ったことではなく、ジャコは音楽の持つコンセプトそのものを根底からくつがえし、変えてしまったのさ。今、レコードを聴くだろ。もしもジャコがあんなプレイをしなかったならば、今、この世にあるありとあらゆるレコードの音はちがったものになっているはずさ。ジャコはそれだけ音楽の世界を変えたし、ミュージシャンのプレイの仕方、そして音楽そのもののありかたを変えてしまったのさ」
音色、音の表現が特殊であるということ、それは小説における文体が筆者の思考作用、ひいては世界の捉えかたにつながるように、音楽そのものへのアプローチが特殊であるということに他ならない。ジャコ自身はコルトレーンやパーカー、ジミ・ヘンドリクスやバッハなど、たくさんの音楽家を愛し、影響を受けていたが、僕にはなにかそういうこととこの音楽とは別のように思える。もちろん、彼らの曲をカバーすることでオマージュとしたり、実際手法的にも影響はあるんだろうけど、それを地味な存在だったベースでもってやってしまうというところに、なんだか非常にシンプルなものを感じる。
今日は時間がないので、ジャコについてはまたそのうち書きます。