川上弘美『おめでとう』(新潮文庫)
これもまた、短編集。
いつかカギカッコの会話文について書いたけど、あれはやっぱり自分の書くヘタクソなもののみに関してらしく、川上弘美は会話文の名手だと思います。
「からだ、冷たいね」
「冷たいね」
「でも、冷たいのすきだから、いいよな」
「ちがうの。さめて冷たくなるのは、さみしいの。最初から、冷たくしようと意志して冷たくするのがいいの」
「そうか」
「そうなのよ」
「でもさ、世の中にはルシャトリエの法則ってものがあるよ」
「ルシャなんとかって、なにそれ」
「世界は平衡状態を好む、っていう感じのことかな」ふうん。
(「冷たいのがすき」より)
言葉を貼り付けているというよりは、流れに吹かれ、文字のあいだで鳴っているような、そういう会話。ありがちな不倫小説にみられる生臭い文章と比べて、この人肌の「温み」はなんだろう?(並べて比較したいところですが、ここはディスりブログではないので…)
こういうことに限らず、川上弘美の小説には「かわいいもの」がよく描かれていると思います。たとえば『神様』(中公文庫)収録の「夏休み」にでてくるへんな生き物(?)。目の前に映像が見えるわけではないんだけど、くすぐったいようなそれらの動きが優しく伝わってきて、とにかく「かわいい」。そういうことに欝陶しさがないのは、「かわいいもの」を描き出そうとしてるんでなく、その視点について、あくまで冷静に、引き出そうとしているからでしょう。
「お鍋の準備をしましょう」と私は言い、小さな台所に立った。トキタさんは手伝いをしたそうにまわりをうろうろしていたが、あまり役に立たなかった。
「酒屋に行ってくるよ」しばらくするとトキタさんは言い、そのことを思いついたことが手柄のように胸を張った。
(「冬一日」より)
この、うろうろ役に立たず、「しばらくすると」っていうところが「かわいい」んだけど…説明しちゃうのは野暮というものか。これはたぶん、そういう吸ったり吐いたりする日常の視点のなかにこそ、好きなものを発見できるからなのでしょう。だから文章が温かく(そうあろうとしているわけではないのに)、またそういうことに冷静であるために、くどい感じがしないのかな。
一方で、どきりとするような距離感もみられます。
「ガラスの靴が永遠にはずれないシンデレラって、何を意味するのかしらね」章子は蕎麦湯をつぎながら、ひっそりと聞いた。
「簡単そうな隠喩ともいえるね」
「そうなんだけど」
そうなんだけど、と言いながら、章子はつゆとうまくまざっておいしそうに色づいた蕎麦湯の表面をじっと眺めた。
そうなんだけど。
(「冷たいのがすき」より)
カギカッコなしの、そうなんだけど、が、死んだ人間の平凡な古い写真のように、おはなしに響く。避けられないなにか、みたいなことを、ひっそりと、感じさせます。