MURO | すっぴんマスター

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(※注:ゲーム攻略サイトではありません)書店員。読んだ小説などについて書いています。基本ネタバレしてますので注意。気になる点ありましたらコメントなどで指摘していただけるとうれしいです。

MCにして世界レベルのサンプリングDJでもある、KING OF DIGGIN'、ムロが、アルバム『Sweeeet Baaad A*s Encounter』をだして、Blast誌にインタビューされたときのものを抜粋。

インタビュアー:…ですよね。あと、B・ボーイについての話で前に言われてたと思うんですけど…。
ムロ:ああ、自分を貫き通す奴こそがB・ボーイだって話ですよね。それは凄く思ってますね。勿論、その時代時代の流行があって、それも絶対避けて通れない所だし、『いいな』と思うポイントも多々あると思うんですけど、何かブーム的に飛びついてすぐ飽きちゃう、というのは違うんじゃないかって。俺自身もその時代と共に色々聴いたりハマったりしてきた訳ですけど、当時好きだったものを後から否定するような事はしないですから。


この最後のところ、意訳すると、過去を否定しない=常に肯定できる過去を生み出していく、って、口でいうよりずっと難しい。なんでも自分のやったことを頭ごなしに認める、というのとはちがう。それは言葉の一粒一粒に責任をもてるかということに他ならない。僕は昨日村上春樹『風の歌を聴け』について、作品中の人物ハートフィールドを、作品に、ある種のタフさを加えるための超次元的なギフトである、と結論づけたけど、たとえば、たとえばですよ、僕が今日それを読み返してみて、あれれ、妙だな、ちょっとちがうんじゃない。これはむしろ「失われたもの」の具象なんじゃないか。それに失われるはずの鼠に「顔」があるというのはどうなのか、と思ったとして、それだからといって昨日の記事を削除してしまう(ブログから消す、という意味だけではない。「なかったことにしてしまう」ということ)というのは、やっぱりちがうわけです。なにがおかしくてどこが明確なのか。よく考えて次の記事を書かないと、それこそただの自涜行為になってしまう。その「反
省」をできる態度というのがどうして生まれてくるかというと、この、昨日の記事を書いた時点で自分がいかにガチだったかということを覚えているからです(ガチだった…よな?)。結果がでてなきゃ(つまり正確な記事が書けてなきゃ)そんなもんいくらイキがってみたってただの失敗作だ…って、そうではない。これはキレイゴトでもなんでもない。これがなかったら、日々の成長なんてありえない。だから僕はヒップホップが好きなんです。彼らの、それがどんなものであるにしても、呆れるほどに自信満々な姿勢に惹かれるわけです。頑迷が停滞につながる可能性というのもそれはもちろんある。しかし「聞く耳もたぬ」保守的頑迷さと、彼らのそれはやはり大きく異なっている。それはたやすいことではむろんない。すべての言動を意識のもとにとるなんて…大変なことです。でも、とにかくこういう「姿勢」でいることが大事なんじゃないか…。


ムロの言葉を引用するだけのつもりだったのになにを熱くなってるのだか…。まあ、それは置いておいたとしても、毎日成長するものでないと、ときどき生きてる意味わかんなくなることってありますから…。人が「老い」を怖れるのは、単に死が近づいているからというだけではなく、きっとそういうこともどこかにあるんじゃないかな。いっぱい小説読もっと。