tsucchie stresses. -5ページ目

1月連休随想

ソーシャルコミュニケーションツールは
ぱったり連絡が取れなかった人と
繋がれたりするのは 当たり前


もぉ数週間前になるが一連のツールで
古い古い知人と繋がった。


お察しの通り
僕の過去の素行はお世辞にも
『良い』とは言えないので 出会い頭に
『ずっと前から発見してたけど』
『僕から連絡出来なかった』


どーして?という僕からの問いには
『虐められそうでビビってた』と記してあった


多少なりとも 大袈裟や照れ隠しを差し引いても
全くもって僕がそんなキャラや なかったら
そんなワードが出てこないはずやもの


当時 怒突く とか 特にそんな記憶あれへんけれど
今で言うパワハラの類の事だと認識してんねんけど
沙汰を聞かぬ間に言われたその一言で
過去の自分がしていた事を
思い返すと、顔面が真っ青


ぞ!っとする。


彼と沙汰を話し始めると
『ほんまにツチダマサシ本人か?』とも言いはる


言われたいう事は 過去『そうだった!』と
言われてるのと同じ。


自分の事やけれど
過去は悪態ついてた過ぎて
つまり今の姿はからはシャレかウソ!
過去からはそんなん想像も出来ません という分析で相違ない


ここまで来たら 過去の自分と対面して
2時間くらい理詰めで詰めて泣かしたい
(恥ずかしい)



僕の親友の ある1人も
同じ様な事を言ってたなぁー


話の中身は割愛するが
当時 ハラを刺し違える程の喧嘩をして
その出来事を気にはしてたけど
復縁する きっかけが掴めなんまんま 疎遠になってもぉた1人と
最近ソーシャルコミュニケーションツールを介して
再開したと・・・・・


仕事や 今居る現実社会では怖いものなんてないのに
再開する前は ちょっと怖かったとも言ってた


今、その気持ちが痛いほどわかる


人の痛みを知らなかった自分が情けなくなって泣きたい。



あの当時、これから先の未来
つまり 今こんな後ろ髪を曳かれる
気持ちになる事が解っていたんなら
対応の一つも替わったのに

ただただ 一過性の『享楽』しか
目がいかなった自分の至らなさと
今更消し去れない過去が容赦なく
掛け算になって自責の念に駆られる


未来、その帳尻あわせ以上の
パフォーマンスはこれから出来るので
その点を話したいのではなく
新大阪から新幹線に乗ったら
やがて東京に着く様に
時間と手段と目的地との因果関係みたく
過去と現在の因果に押しつぶされそうになる


その過去があるから
今の現在があることも間違いない


ほんの一握りの輝かしい過去と
両手で足りないくらい悪態ツキまくった過去を持ち寄って
今の僕がある。


スレていた過去は
勿論 悪態コンプレックスとなって
今 真剣に向き合うからこそ
公益への道を歩み
気持ちの上での悪態コンプレックスの回避も
僅かながらにでも
法人設立に至る 意思決定の要素としてあると思う


せやけど 決して僕個人のコンプレックスの
穴埋めになってしまってはいけないと思うし
それだけの為じゃ 立派な大儀が勿体無い


一連の沙汰話の中で
『公益法人なんて僕には解らん』と言われた

即答で僕は
『家族や大事な友達や護りたい人はいるか?』と聞いた

勿論彼にも大切な人は居る

『僕はその大事な人に自分が今出来る事をしてるんだ』と答えた

言葉で言うと大袈裟やけれどそんなタイソウなもんやなくて
誰かて 当たり前に日々してる事を看板上げてしてるに過ぎひん


個人レベルで皆がやってるように 子供を護る! 好きな女を護る!
それの延長線かも知れん


そんな当たり前の事を態々20年近く沙汰を知らなかった彼に
態々言う言うことは
『認めて欲しい』願望があったんやなぁー。


我乍(なが)ら思うけれど 僕は結構『面倒臭いやっちゃ』
という事を気づいたという随想