78年前の8月9日 11時2分







長崎に原爆が投下されました。







もともと九州出身なので、修学旅行では長崎の原爆資料館に行っていたし、東京に来る前の約2年の新婚生活は長崎で始めました。少ししか住まなかったけれど私にとって身近で思い出が沢山詰まっている愛着のある街です。








昨年の8月夫と原爆資料館に行きました。東北出身の夫は初めてでした。










大人になって、自分のペースで回った資料館はまるで初めて訪れたような感覚でした。資料や写真、隅から隅まで見させてもらいました。








ただ、ただ、むごい。











これが現実に起きたこととは信じられない…








赤ちゃんを抱えた母子も夢をもった小さな子供も、容赦なく命を奪った原爆。






命は助かっても放射線による被爆でじわじわと弱って命が消えていく様子も記録されていました。










来場者の年代は幅広く、家族も多かったです。印象的だったのが、お父さんが小学生くらいのお子さんに一生懸命に説明されている姿でした。お子さんは真剣にお父さんの話を聞きながら展示物をみていました。








私たちが小学生の時には夏休みの登校日は「平和授業」とし、全校生徒が体育館で戦争映画を観る日でした。






『火垂るの墓』などを観て感想文を書いた記憶があります。



  





いつからか、どの小学生に聞いても登校日はないし、夏休みの平和授業はないと言います。まぁ、この猛暑では登校も危険ですしね…。







長崎にいた時、市内の高校に通っていたという20歳の子と友達になりました。その高校は爆心地から1番近い学校だったのもあるのか、毎週のように平和授業があり毎月のように原爆資料館に行っていたと言っていました。つい2.3年前のことなので恐らく今でもこの学校は若者たちに伝え、考えさせ続けているのだと思います。








そういった教育を受けている人たちと、全く受けていない人たちでは、戦争や平和に対する意識は全然違ってくると思います。こういった教育に地域差があるのは残念です。







例えば、全世界の人がこんな教育を日々受けていたら今泥沼化しているウクライナ戦争のようなものは起きていなかったんじゃないかとも思います。









戦争体験者は年々亡くなり、直接伝えることが難しくなっていますが、せめて教育の力で伝え続けて風化しないでほしい。そして、悲しい歴史を持ってしまったこの8月は皆が平和について考えていける月であればと思います。









長崎や福岡では原爆投下の時刻にサイレンがなり、毎年職場で黙祷をしてそれぞれが静かに祈っていました。東京ではサイレンがなかったように思います…これも地域差を感じました。





 



我が子が無事に生まれて、物事が分かるようになったら、どこに住んでいても、長崎か広島の原爆資料館には必ずや家族で訪れたいと思っています。





 




私の祖母も福岡大空襲の被害にあっていますが、生き延びて命を繋いでもらったことに感謝しかありません。


































焼き場に立つ少年

幼子の亡きがらを火葬にする順番を歯を食いしばって待つ様子

1945年、長崎、ジョー・オダネルさん撮影








戦争で亡くなった方々の魂が癒えますように



 



そして戦争のない世界になりますように