こんにちは。ただの地理好きです。

「なぜ四国山地は山深い場所にまで

人が住んでいるのか?」という興味から

平家の落人伝説の地を調べてみようと

思い立ち、今回は四国編になります。

 

邪馬台国もそうですが、こういう謎が

残っていることに心惹かれてしまいます。

 

四国にはたくさんの平家の落人伝説が

ありますが、今回はその中から3か所を。

 

歴史的な視点ではなく(詳しくないためすいません。)

平家の落人伝説が残る地は、どんな土地なのか

という地理的な視点から見ていきます。

 

 

それでは、まず1か所目。

【徳島県三好市祖谷(いや)】です。

「天空の集落」や「かずら橋」で有名。

日本3大秘境にも挙げられる場所です。

(残りの2つの秘境は、合掌造り集落が

世界遺産になっている白川郷と、宮崎県の

椎葉村。椎葉村も平家の落人伝説があります。)

 

三好市は四国の中で最も面積が広く

祖谷地域もとても広大です。

吉野川とその支流がいくつも蛇行しながら

流れていて、深い谷を形成しています。

よって急な傾斜地が多いです。

山の斜面に集落が点在しています。

 

現代でこそ、JR土讃線が通っていて

祖谷の一部地域には、鉄道でもアクセスできますが

昔はとてつもなくアクセスしにくい場所だった

ことが想像されます。

大歩危(おおぼけ)、小歩危(こぼけ)は

昔から交通の難所として有名な場所。

(現在は上記JR線のほかに国道32号も

通っていて、大歩危は比較的観光地化され

遊覧船にも乗れるそうです。)

 

ただ、祖谷地域は広大ですから、鉄道や国道が

通じているのはほんの一部。

(日本三大酷道に数えられる国道439号も

祖谷地域を通っていますね。)

 

もちろん、それだけ行きづらい地域だからこそ

討手から逃れるのに適していたのでしょう。

 

 

2か所目にまいりましょう。

【愛媛県にある佐田岬半島】です。

愛媛県の西側に伸び、東西に細長い半島です。

その長さは約50kmもあります。

 

佐田岬半島は山がちな地形です。現在は

国道197号線が通っていますが

昔は陸路でのアクセスは難儀だったんだろうな

と想像されます。

 

討手が陸路からやってきたら、船で逃れることが

できそうですし、海からやってきた場合は

山に逃げ込んで陸路で脱出するか、もしくは

南北には狭い半島ですので、反対側に出て

船で脱出することもできるな、などと想像する

ことができます。

 

源頼朝が鎌倉に幕府を開いた理由が

三方を山に囲まれ前方が海のため守りやすい

ということでしたが、平家の落人たちが

佐田岬半島に住んだのも、周りを山に囲まれ

前方が海のため、敵を発見しやすく逃げやすい

ことが理由なのかな、と想像しました。

 

 

今回の最後になります。3か所目は

【高知県四万十市半家(はげ)地区】です。

大歩危・小歩危、そして高知県の後免(ごめん)

とともに珍しい地名として登場したりもしますね。

 

「半家」という地名は、平家の「平」という漢字を

少し変えて「半」にして、「平家」を残そうとして

名付けたそうです。

 

現在は、JR予土線の半家駅があり

公共交通機関でアクセスできます。

半家の隣の江川崎は、2013年当時に

国内最高気温41.0℃を記録して話題になりました。

 

四万十川中流域の川沿いの地域で愛媛県との

県境に近く、高知県側の太平洋沿いからも

愛媛県側の宇和海沿いからも距離があります。

ちょうど中間位に位置する場所です。

やはり昔はかなりアクセスしにくい地域だった

ことが想像されます。

 

四万十川が山の合間を縫って蛇行しながら

流れています。(四万十川の沈下橋は有名ですが

半家にも「半家沈下橋」と「中半家沈下橋」が

あります。写真を見ると、山の緑と清流四万十川

そして沈下橋、やはりとても絵になりますね。)

 

以上、四国で落人伝説が残る地域が

どんな場所なのかを見てきました。

 

想像通り、山深い場所やアクセス困難な場所でした。

現代は交通インフラが整っていますので

列車や自動車でアクセスできますが

船と徒歩しかない平安時代末期から鎌倉時代には

相当に行きづらい場所だったはずです。

もちろん、そんな場所だからこそ選ばれたのでしょうね。

 

次回は、四国以外の平家落人伝説が残る地域を

調べていきたいと思います。よろしくお願いします。