藀田 雄䞀郎さん

funds 代衚取締圹

 

 

早皲田倧卒業埌、サむバヌ゚ヌゞェントに入瀟。

2007幎にWEBマヌケティング支揎事業を行う䌁業を創業し、

2012幎に䞊堎䌁業に売华。2016幎11月に株匏䌚瀟クラりドポヌトを創業。

囜内初、貞付けファンドのオンラむンマヌケット「Funds」を運営。

 

詳しくはこちらのnoteから

 

 

 

䞀床䌚瀟を売华しおキャッシュを䜜ったのちに、

お金は掛かるが䞖の䞭に倧きなむンパクトを䞎える

スタヌトアップ起業ずいう僕の理想のキャリアプランを歩み぀぀

事業を倧きく成長させおいる凄腕経営者。

 

たた、元サむバヌ゚ヌゞェント出身ずいうこずもあり

事業䜜りや、キャリアプランに぀いお

お話を聞かせお頂きたく、DMを送った。

 

するず是非お話ししたしょうず快く返事を頂いた。

 

オンラむンでも可胜だずいっお頂いたが、

盎接話を聞きたかったため、

東京のオフィスに蚪問する機䌚を頂いた。

 

 

 

面識もない、ただの孊生の僕に貎重な時間を頂けたこず、

本圓に感謝しおいたす。

 

 

金髪の僕がオフィスに入った時、

ガラス匵りの䌚議宀からの芖線が集たった。

「䞍審者が入っおきた」

そう思ったんだろう笑

 

するず藀田さんが出迎えおくれお䌚議宀に案内しおくれた。

 

 

こんな僕に察しお本圓に腰が䜎く、優しく接しおくれた。

ビゞネスの話では、ずおも論理的に様々な事を教えお頂いた。

 

元サむバヌ゚ヌゞェント出身の起業家なだけあっお、

なぜか身近な先茩のような安心感があった。

 

 

ここからはQ &A方匏で孊びをアりトプットしおいく。

 

 

 

Q, 垂堎遞定の方法はどのようにされたしたか

 

A, 䌞びおいる垂堎、事業を䞊堎䌁業の決算曞などを芋お真䌌する。

少しだけ倉えるだけでいい

バフェットコヌドやテッククランチで海倖事業を調査する

 

https://www.buffett-code.com/industries

 

 

 

 

Q, 思い぀くアむデアの䞭でやるかやならいかの基準はずこずん詊すタむプ

 

A, ずこずん詊しおみる

䌞びる事業はすぐに倧きな売り䞊げがでる。

圓たった反応がいい事業に絞る

 

 

 

Q, 自分にアドバンテヌゞのない、埗意ではない領域でも飛び蟌むべき

 

A, いぇす

マヌケティング䌚瀟を運営䞭、幎の近い人が

時流に乗っおいる事業を立ち䞊げ、

倧きな売䞊を䞊げおいたのを芋お

アドバンテヌゞが無くおも時流に乗っおいる領域

に飛び蟌むべきだず思っおいる。

 

 

 

Q, 金融商品取匕業のラむセンス取埗など時間がかかり、

法的な制限の倚い金融業をやろうず思い、

やり続けれた理由は勝機が最初から芋えおいたから

 

A, もずもず瀟債の仕組みがあったし、お金が倧きく動いおいた。

そしお、䞖の䞭に必芁な事業だず思った。

でも、1番最初からやる事業ではない。

01はお金もかかるしハヌドルが高い。

 

 

 

Q, 最初からスタヌトアップを起業するorスモヌルビゞネスを䜜っお

売华をしおキャッシュを䜜っおからスタヌトアップを挑戊する

今から初起業ならどちらを遞びたすか

 

A, 資金調達の手もあるが、たずは資金を䜜る

キャッシュ゚ンゞンを創っおからお金のかかる挑戊する。

 

 

 

Q, 起業する䞊で重芁なポむントは

 

A, 自分より優秀な仲間をいかに集め、いかにモチベを高く維持させるか。

巻き蟌み力共感性 実珟可胜性 人栌

 

 

 

 

 

事業䜜りにおいお貎重なアドバむスを沢山頂いた。

 

 

たた、zoomでも就職先で掻躍する方法など瀟䌚人になる䞊で

必芁な心構えも教えお頂いた。

 

 

 

それらの2回の面談の機䌚で孊んだ、

事業䜜りず掻躍する方法をたずめた。

 

 

 

 

孊びのたずめ

 

 

事業䜜りのポむント

1, 事業領域にこだわれ


倧きな利益の出おいる事業に少しだけの゚ッセンスを加えよ

「誰がやるかより、い぀䜕をやるかが倧事」


䟋タむミヌアルバむト垂堎に短時間ず蚀う゚ッセンス

M&A総研M&A垂堎にりェブマヌケの゚ッセンス

りィンチケット競茪垂堎にITず蚀う゚ッセンス
䟋倖web3、りマ嚘アヌト、再珟性䜎いが圓たったら爆発する

 

利益の出おいる事業の芋぀け方

→バフェットコヌドで利益率の高い䌚瀟を探す

 

 

2,優秀な仲間を集めろ

 

そのためには巻き蟌み力が必須だ

巻き蟌み力の芁玠

①共感性②実珟可胜性③人栌

『共感できるビゞョンを実珟可胜だず感じさせるための熱量を持぀人栌者』

こんな存圚になれ

 

 

 

抜擢、掻躍の方法

結果を残す目の前の仕事を完璧にやる
↓
仕事倖の䜙った時間で他の仕事をする
䞊叞に勝手に提案する

こうした方がいいず思いたす、資料䜜っおきたした
↓
自分で仕事が取れるや぀になっおいる
↓
抜擢したい候補入り

 

 

 

 

 

 

 

目暙から逆算しお事業䜜りをしおいくこずが

最短で事業の成功に぀ながるず確信を持おた。

 

たた、たずは最適だず思う配属先でずにかく結果を残すんだずいう

芚悟が出来た機䌚になった。

 

 

憧れであり、越えたい人。

 

藀田さん、貎重なお時間ず孊びを頂き本圓にありがずうございたした。

 

 

 

 

 

 

 

今埌も、圱響を受けた方からの孊びをブログにアりトプットしおいきたす

 

 

 

 

 

〜䜕かを成し遂げたい倧孊生掻〜

 

 

 

倧孊受隓に倱敗したものの、

悔しさから滑り止めの倧孊でも、どでかいこずを成し遂げおやる。

そしお、優秀なや぀に勝っおやる。

 

 

なぜが悔しさよりも闘争心が勝っおいた。

 

 

入孊した。

 

 

倧孊1幎目

 

 

ずりあえずお金を皌ぐためにバむトを始めた。

䌑日は䞞䞀日匕越しバむト、平日は授業埌居酒屋バむトをやっおいた。

 

しかし、ずっず焊りを感じおいた。

 

早く倧きな成果をあげたい。

 

そんな䞭、運動がおらラクロス郚の䜓隓䌚に参加した。

 

倧孊では起業するために郚掻には入らないず決めおいたが

その考えは䞀瞬にしお芆った。

 

それは先茩からの䞀蚀だった。

「日本䞀にならないか」

 

ラクロス郚は倧孊で数少ない匷い郚掻だった。

日本代衚を䜕人も茩出しおいた。

 

すごいや぀に勝ちたい。

倧孊で花を咲かせたい。

 

そんな思いが重なり入郚を即決しおしたった。

 

 

 

しかし、起業する目暙は必ず達成したかったため

同時にバむト代で起業の知識を孊べお事業䜜りを経隓できる

半幎間の起業スクヌルWILLUに入䌚した。

 

 

 

朝緎のみの郚掻のため、

睡眠時間を削っお朝早く郚掻に行き、

空き時間に事業䜜りもするこずを決めた。

 

 

そこから毎日始発5時34分の電車に乗っお

郚掻に行く日々がスタヌトした。

 

 

 

起業スクヌルでは

 

初めお2぀の事業䜜りを経隓した。

 

1぀目は、子䟛服販売。

2぀目は、カフェだ。

事業䜜りの詳现は別の蚘事にたずめおいるので気になる方はチェック

 

どちらもいい経隓にはなった。

 

入孊時点で50人いた生埒は卒業時、自分含めお3人だった。

 

先生は僕らに䞀蚀

「起業はいかに継続するかが重芁なんだ。」

 

僕は、ピボットしおでも本気で継続するこずの重芁性を孊んだ。

 

 

 

スクヌルに通いながら経営者ずの繋がりを䜜ろうず

むンスタのDMで自称経営者にアポをずり話を聞きにいった。

 

結果的にマルチ商法の詐欺にあった。

FXの自動売買などの詐欺にもあった。

 

アクティブな孊生には怪しい倧人や詐欺が近づいおくるものだ。

 

・お金があるのをチラ぀かせる

・無駄にハむブランドを身に぀ける

・韓囜っぜいメむクで少し゚ロい投皿をする女性

・ぶちあがろうず蚀う人

 

倧孊1,2幎生は特に気を぀けおほしい。

 

盎感っお倧䜓あっおるものだ。

少しでもモダモダしたら信甚できる倧人に盞談しおほしい。

 

 

 

僕は1幎生で倚くの人ず出䌚い、沢山の経隓をしお

人を芋る目が぀いた。

 

 

 

1幎生が終わる頃には毎日の郚掻の努力も実り

東海地区の遞抜に遞ばれるようになった。

 

 

 

 

 

 

さぁ2幎生。

 

もっずでかいこずをしたい。

もっず成果をあげたい。

 

そんなこずを思っおいるある日、

芪が新聞の蚘事を芋せおきた。

 

 

そこには

同じ倧孊の同い幎の子Kさんが茉っおいた。

ビゞネスコンテストで最優秀賞をずったらしい。

 

悔しかった。ずにかく悔しかった。

負けず嫌いの自分にずっお同じ倧孊で同い幎の子が

自分より先に新聞に茉るこずは耐えられなかった。

 

 

 

䌚っおすべお吞収しお抜いおやる。

 

 

そう思った僕はすぐさた倧孊に電話をした。

 

「新聞に茉っおいたKさんは䜕孊郚ですか。」

 

倧孊偎の返答は

「個人情報ですので教えられたせん。」

 

あたりたえだ。

 

萜ち着いお考えたら分かるこずだがずにかく焊っおいた。

 

その埌むンスタで探しお芋぀けた。

 

今考えたらストヌカヌ䞊みにキモい。

今は友達なので安心しおください笑

 

名叀屋駅のスタバであっお聞きたいこずを聞きたくった。

 

するずビゞネスコンテストで䌚ったある

メンタヌの方のお陰だず蚀っおいた。

 

スタバを出るず真っ先にそのメンタヌさんをSNSで

芋぀けお連絡をした。

 

「Kさんの友達です。」

嘘です。

 

実際にメンタヌの方にZOOMで倧きなこずをやりたいず

䌝えるずVCでのむンタヌンを掚奚しお頂いた。

 

VCずはスタヌトアップに察しお投資をしお

リタヌンをもらう投資䌚瀟のこずだ。

 

初めおVCずいうワヌドを聞いたが

創業期の䌚瀟をたくさん芋れるこずにワクワクしお

むンタヌンを探した。

 

その頃、愛知県にはVCのむンタヌンは無かったが

東京でVCが䞻催する囜内最倧玚のスタヌトアップむベントIVS

が孊生スタッフを募集しおいた。

 

 

それに応募し、初めお䞀人で東京に行っお倚くの経営者ず䌚った。

 

刺激的すぎた。

 

スタッフが名刺を亀換するこずは犁止されおいたが

色々な経営者の方を繋げおもらった。

 

そこで出䌚ったのがFUNDINNOのマネヌゞャヌず瀟長だ。

株匏投資型クラりドファンティングを運営しおいる䌚瀟で

VCよりも幅広い領域を芳れるず思い、

瀟長に働かせおくださいず䌝えた。

 

 

それがきっかけで倧孊2幎生でむンタヌンを経隓するこずになった。

 

入瀟埌、その䌚瀟は蚌刞䌚瀟だずいうこずがわかり

資栌勉匷をしお無事、入瀟2ヶ月埌から働くこずができた。

 

 

そこでは瀟長ずマネヌゞャヌず僕の3人チヌムで

資金調達をしたい䌚瀟ぞの営業を担圓した。

 

郚掻は続けたかったため䌑孊をせずにオンラむンで仕事をしたため

コミットしきれなかったこずに埌悔しおいる。

 

しかし、瀟長の倧浊さんやマネヌゞャヌの鈎朚さんから

沢山のこずを孊んだ。

 

瀟長からは営業のコツや䌞びる䌚瀟の芋分け方。

マネヌゞャヌの鈎朚さんからは芖座の高さず巚人の肩を借りる重芁性。

 

今埌の瀟䌚に出お生きおいく䞭で倧切なこずを教えおくれた

FUNDINNIOの方には感謝しかない。

 

 

むンタヌンを通しおスケヌルする事業を䜜りたいずいう欲が

曎に湧いおきた。

 

アむデアはただないが䞀歩螏み出したい。

 

そう思った僕は、ずりあえずビゞネスコンテストに申し蟌んだ。

 

以前、Kさんが受賞した東海孊生アワヌドずいう名のコンテストだ。

 

アワヌドは2ヶ月の合宿を通しお自分が本圓にやりたいこずを芋぀けお

最終日にプレれンするずいうものだ。

 

必死に自分がやりたいこずを探した。

 

思い浮かんだのは、父芪が軜い認知症の祖母ずの関係性が日に日に悪くなり、

家の䞭で喧嘩しおいる光景だった。

 

介護関係者にヒダリングを重ね、

䞡芪の介護疲れを軜枛し぀぀良い関係性を保぀ための方法を考えた。

 

ショヌトステむを即日䜿えるプラットフォヌム『゜クステ』だ。

 

このアむデアは認められ優秀賞を受賞した。

 

 

この経隓から瀟䌚に良い圱響を䞎える事業を䜜りたいを思うようになっおいった。

 

 

そこから介護事業者向けのDXシステム、

独居老人ず孊生を繋ぐマッチングサヌビス『たご助』

などピボットを重ねた。

 

 

しかし、ボランティアが圓たり前ずなっおいる

介護事業ぞの参入はずおもハヌドルが高かった。

 

瀟䌚保障は敎っおいる日本ではお金を払っおいいサヌビスを利甚する

文化が根付いおいない領域が存圚する。

䟋えば犏祉、介護業界だ。

 

この業界ではボランティアなど善意の搟取が倚いため、

支揎者が増えない珟象が起こっおいた。

 

 

瀟䌚を本気で良くするには倚額のお金が必芁だ。

0から瀟䌚貢献味が匷い事業を立ち䞊げるよりも、

儲かる事業をしっかりず拡倧させおから

そのお金を甚いお瀟䌚貢献に目を向ける方が

よっぜど瀟䌚のためになるず感じた。

 

 

瀟䌚貢献を掚奚しおいるコミュニティに参加しすぎるず

皌ぐこずに察しおマむナスな感情を持っおしたうし

ビゞネス化を考えずらいマむンドになるため

泚意しようず感じた経隓にもなった。

 

 

 

これらの経隓から2幎生で

どの環境に属するかの重芁性に気付いた。

 

 

䞀方郚掻では、2幎生の終盀に日本代衚の遞考䌚に参加した。

東海地区では最幎少で遞考䌚に参加したず思う。

 

結果は最終遞考で萜ちた。

 

悔しかったが2人の先茩が受かったため、

远い぀くために緎習をもっずしようず感じた。

 

 

 

さぁ3幎生。

 

 

 

 

スケヌルする事業をしたい、そのためにデカい事業を䜜るこずを孊べそうな

レベルの高い環境を探した。

 

そこで名叀屋垂が䞻催しおいる起業プログラム2぀に参加するこずを決めた。

 

1぀めは、グロヌテック名叀屋ずいうグロヌバル展開を目指す

スタヌトアップのための成長支揎プログラムだ。

 

䞖界で通甚するための起業家マむンドやビゞネス戊略を、

シリコンバレヌの起業家や投資家から孊ぶずいうものだ。

 

しかし、孊ぶだけで行動に移さないこずに意味が無いこず。

そしお、埌に匕けない状況を䜜らないず行動しない

ずいう自分の性栌を知っおいたため、

同時にアりトプット重芖のプログラムにも参加した。

 

それは名叀屋BOOSTずいうプログラムだ。

AI・IoTの技術や事業開発に必芁な
様々なスキルず知識を孊ぶ䜓隓型プログラムで、

参加者同士がチヌムを組み、
孊んだスキルをフル掻甚しお、

アむデアの具珟化を目指すものだった。

 

それらのプログラムの参加者は9割が瀟䌚人で堎違いだず感じた。

 

 

しかし、堎違いだず感じるくらいが成長できる環境だず

2幎生たでの経隓で孊んでいたのでワクワクが倧きかった。

 

これらのプログラムを通しお、熱量を䌝えたこずで

なんでも出来る瀟䌚人、倧孊院生゚ンゞニア、倧孊生デザむナヌ

の3人がメンバヌずしお集たった。

 

僕たちは

独居老人ず近くの倧孊生をマッチングするプラットフォヌム

『たご助』ずいうサヌビス䜜りに取り掛かった。

 

高霢者が集たりそうな斜蚭やむベントに出向いお、

アンケヌト調査や実際にチラシを配垃しお

家に出向き、困りごず解決ならなんでもやっおみた。

 

庭の芝刈り、電球亀換、買い物代行など

ずにかく顧客の真の困り事を解決しようずサヌビス䜜りに励んだ。

 

3床のピボットを経お300人の前で最終プレれンをした。

 

結果は、瀟䌚人の8チヌム䞭2䜍の優秀賞だった。

 

このプログラム埌、新たなメンバヌを远加し5人で運営を続けたが、

介護保険が圓たり前、若者による高霢者向け詐欺事件の倚発、

高霢者のITリテラシヌの䜎さなどのハヌドルにより事業化は困難だった。

 

資金調達の遞択肢もあったが、郚掻を蟞めおコミットするこずは出来ず

事業の撀退に陥った。

 

これらの経隓から5぀の孊びを埗た。

 

ビゞネスずしおの孊び

①  ペル゜ナ1人をファンにするくらいのサヌビスの質にこだわるこずの重芁性。

② 顧客も気付かない朜圚的な真の課題解決にこだわる重芁性。

③ å„²ã‹ã‚‹ãƒžãƒŒã‚±ãƒƒãƒˆéžå®šã®é‡èŠæ€§ã€‚

 

リヌダヌずしおの孊び

① 誰よりも熱量を持ち、本気になり続ける重芁性。

② 自分よりも優秀な仲間を持぀こずの重芁性。

 

 

 

プログラム終了埌の9月、呚りの同期は就掻を始めおいた。

 

 

将来、デカい䌁業を䜜るずいう目暙は決たっおいたが

䞀旊就職するのか、いきなり起業するのかは迷っおいた。

 

スタヌトアップ界隈では、むケむケの孊生が起業せずに

䞀旊就職するず逃げたように思われる。

 

しかし、就職しおから起業した人の方が明らかに成功確率が高い。

 

呚りの目は気にせずに、本気で倢を叶えるキャリアプランを決めよう。

 

そう思っおいた時、偶然サむバヌ゚ヌゞェントの瀟員さんからDMが来た。

 

僕は本圓に運が良い。

 

その面談で衝撃を受けた。

 

䌚瀟員は䌚瀟のために働かされおいるず思っおいたが、

俺が䌚瀟を21䞖玀を代衚する䌚瀟を䜜るんだず目を茝かせおいたのだ。

 

自分で䌚瀟を䜜るずいう考え方ず、若い人の挑戊機䌚の倚さに魅力を感じお

サむバヌ゚ヌゞェントで修行するこずを決めた。

 

 

そしお、最終面接で人事の曜山さんず30分話し蟌んだ時

『䞖界最高の人材育成䌁業にする』ずいう個人のビゞョンを聞いお感動した。

 

この䌚瀟で掻躍しお、成長したくりたい。

そう思えた瞬間だった。

 

たた、曜山さんから2぀の孊びを埗た。

1぀目は、応揎されるビゞョンにするこずの重芁性。

2぀目は、倧きなビゞョンを公蚀し、

目の前のこずを愚盎に取り組むこずの重芁性。

 

そしお、その面接を通じお俺のビゞョンが明確になった。

 

そのビゞョンずは、

 

『日本䞭にむンパクトを䞎える䌁業を創る』

 

ずいうものだ。

 

サむバヌ゚ヌゞェントでの内定を頂いた埌、内定者遞抜にも遞んで頂いた。

 

そこで圹員に察しお自分の玹介ずビゞョンの宣蚀をした。

芚悟が決たった。

俺は本気でビゞョンを達成しおやる。

 

 

 

 

サむバヌ゚ヌゞェントから内定をもらっおから

内定埌は孊生の間にしかできない挑戊をしようずした。

 

郚掻に励みながらも、䌑日には郚掻の同期で芪友のたいしず

ふざけた挑戊をした。

 

それは、0円旅だ。

名叀屋からヒッチハむクで枋谷たで行き、お金を払わずに楜しむずいうものだ。

 

䌑日の朝の電話で圓日やるこずが決たった笑

結果は、6時間で到着。

昌ごはんも倜ご飯も奢っおもらい、

倜はお金を持っおそうなおじさんに声をかけお

クラブの入堎料ず5000円をもらった。

 

人生初東京のクラブは無料で楜しんだ笑

 

 

 

たた、ある日には倧孊近くでベントレヌ高玚車を駐車しおいるずころ

を目撃したので、降りおくるタむミングで声をかけおみたりした。

 

「僕も将来ベントレヌに乗りたいんですが、どうしたら良いですかね」

 

むカ぀めのおじさんでしたが、気に入っおくれおご飯に招埅しおくれた。

スキュヌバダむビングの瀟長だったので面癜い話を聞けた。

 

 

 

あずは、高校で講挔䌚をしお人生初のテレビ出挔も経隓した。

テヌマは『楜に倢を叶える攻略法』だ笑

実は校長先生になりたいず思ったこずもあるので楜しかった。

 

 

孊生に䌝えたこずは

「倢を叶えたいなら誰が倢を叶えおくれるかを考えろ」

 

実力に芋合わない成果を挙げおきた自分が

4幎間で気づいた成果を䞊げるコツみたいなものだ。

 

詳しくは、俺が将来「日本䞭にむンパクトを䞎える䌁業」を創っおから

テレビで偉そうに語っおやる

なんおね笑

 

 

 

そんな孊生でしか出来なさそうな思い出を䜜っおいった笑

 

珟圚は、タむで象䜿いの免蚱取埗を蚈画䞭

 

 

 

こんな感じで3幎生は様々な経隓から、

机䞊の空論で終わらせずに、やっおみるにこだわるこずの重芁性を孊んだ。

 

 

 

 

 

 

4幎生になった。

孊生最埌の代。

 

頑匵っおきた郚掻もラスト1幎。

この幎は、郚掻に䞀番本気で向き合った。

 

自チヌムの目暙は『孊生日本䞀』だった。

 

しかし、自分の実力は日本䞀ずは蚀えないものだった。

 

そこで、昔から日本代衚遞手を茩出しおいる

仙台のコヌチのずころに修行しにいった。

 

そこで技術面はもちろん、マむンドも倉わった。

 

『自分の匱さを認め、倖郚の意芋を受け入れるこず』

 

最も響いた蚀葉だ。

 

この修行を経隓しおから、自分の足りない点を芋぀けお

最適な人にアドバむスをもらうずいうこずを繰り返した。

 

1幎間ずおもハヌドだったが、コヌチや倖郚の意芋を取り入れお

 

個人ずしおは、東海遞抜キャプテン・東海地区ベストプレむダヌ、党日本孊生遞抜

組織ずしおは、東海史䞊最高蚘録「党囜3䜍」

を達成するこずができた。

 

本圓に最高の瞬間だった。

 

郚掻を通しお孊んだこずは別のブログに曞く予定

 

 

郚掻に泚力し぀぀も、

『日本䞭にむンパクトを䞎える䌁業を創る』

ずいうビゞョン達成に繋がる必芁な芁玠を孊ぶために

䌑日は東京に足を運んで

倚くの凄腕経営者に話を聞いおいった。

 

 

経営者からの孊びは別のブログにたずめおいく

 

 

䞖界平和を本気で考えおいる経営者もいれば、

ビゞネスはなんでもありの戊争だず考えおいる人もいた。

 

それらの出䌚いから

自分の芖座の高さで成し遂げれるこずのデカさが倉わる

こずを孊んだ。

 

 

4幎生では、

自分の可胜性を感じ぀぀も、

どこか制限をしおいた自分を脱华するこずの重芁性

に気付いた。

 

 

 

たた、4幎間で

『謙遜は自分の魅力を消す事』だず孊んだ。

 

自分よりもレベルの高い人ず繋がっお

芖座を䞊げるチャンスを䜜りたいなら

実力がなくおも、おもろいや぀でいろ

 

自分の肝に銘じおいる蚀葉だ。

ある投資家ずのミヌティングで謙遜しおいたら、

おもんないし魅力を感じないっお蚀われたこずがきっかけ

 

だからこそ、ちょっずでたかせを蚀っおも良いから

おもろいや぀でいるこずを心がけおいる。

 

 

 

 

 

自分の人生では、自分が䞻人公。

 

やりたいこず、なりたい姿を本気で远い求めよう。

 

俺は匷欲で負けず嫌いだ。

 

なら党おの欲を本気で満たしにいこうじゃないか。

 

達成したら新しくできる欲を満たすためにも、

次できるデカい倢を叶えにいこうじゃないか。

 

そっちの方がおもろそうだし、ワクワクしない

 

あぁ、将来が楜しみすぎる。

 

今埌ずも、翌の人生に泚目しおください。

 

 

 

 

 

 

〜瀟長を目指すきっかけ〜

 

 

 

 

子䟛の頃から父芪の圱響を受けお、譊察官になるこずが倢だった。

 

しかし、僕の倢は高校2幎生の頃に倉わっおいたのだ。

 

 

その倢ずは

 

 

 

『瀟長』だ。

 

 

 

なぜ、芪が経営者でもない僕が瀟長を目指す様になったのか。

 

 

 

それは、8個䞊の兄の圱響だ。

 

 

 

兄は、譊察官の父芪がいるずは思えないくらいダンチャだった。

 

 

 

高校では垰宅郚で友達ずバむクを乗り回す日々。

 

家の前にはたくさんのバむクが来るこずもあった。

 

父芪ずはよく喧嘩しおいお、今でも家の䞭には

ケンカで開いた穎が沢山ある。

 

たた、その穎を隠すためのカレンダヌがやたら倚く壁にかけおある。

 

 

 

そんなお兄ちゃんが僕の憧れだったのだ。

 

 

 

ただのダンチャだけではない、やりたいず思ったらずこずんやっおみる。

 

その䞭で成果を䞊げおいく姿がカッコよくお仕方なかった。

 

 

 

底蟺高校から這い䞊がったらカッコいいだろうず

俳優をやりに東京に行っおドラマに出たり

 

名叀屋でキャッチの䌚瀟をやっおみたり

 

AMEXずいう倖資系のカヌド䌚瀟から声がかかり

入瀟埌半幎で党囜衚地されたり

 

いきなり孊校に通い出しお医孊療法士の資栌を取ったり

 

など

 

 

楜しそうず思うこずをひたすら挑戊し぀぀、

成果を䞊げおいったのだ。

 

 

 

底蟺高校出身でも有名倧孊出身の瀟員を

マネゞメントする立堎になったり、成果を䞊げた経隓から

 

孊歎の無意味さず、成功した時の呚りから

認められる気持ち良さを感じたずいう。

 

 

そしお、ク゜みたいな人生からでも自分の遞択次第で最高になれるず

ク゜みたいな人達の助けになれるようになりたいず蚀っおいた。

 

 

 

たぁ、実際はこんな堅い蚀い方は蚀っおいなかったんですけどね。

 

 

 

実際は、

 

 

぀ん僕のあだ名は自分が楜しそうっお思えるこずをやったらいいやん

 

お兄ちゃんは倢ずかないけど

衚地匏ずかで名前呌ばれた瞬間ずか、

新しい取り組みが成功しお呚りが認めおくれお

キャヌキャヌ蚀われるのが気持ちいいで、

曎に倧きくなりたいっお思ったんよ

 

誰からもキャヌキャヌ、すごいっお蚀われたいっおね

皆ず違うこずしおそれがハマった時の刺激が欲しんだろヌね笑

 

あずは死ぬ時は、ラオりや

『我が生涯に䞀片の悔い無し』

こんな人生にしたいわな🀣

 

 

 

っお感じです。

 

 

 

カッコよくないですか笑

 

 

 

呚りに流されるこずなく

楜しむずいう自分をブラさず

本胜のたた挑戊しお

成果を䞊げおいく。

 

 

 

こんな兄の圱響を受けお、

自分も挑戊を楜しみ、倢を䞎えたくる存圚

になりたいず思う様になった。

 

 

 

 

自由に挑戊するこずが可胜で、頑匵った分認められおお金がもらえる。

そしお、倚くの人に倢を䞎えるこずができる。

 

 

そんなこずが可胜な職業は䜕か。

 

 

高校2幎生の翌は䞀぀しか思い぀かなかった。

 

 

それが「瀟長」だったのだ。

 

 

 

僕は、兄から倢を䞎えおもらった。

次は僕が呚りに倢を䞎える存圚になりたい。

 

 

 

 

では倢を䞎える存圚になるために必芁な芁玠はなんだろうか

 

僕は以䞋の3぀が必芁だず思う。

 

それは

 

『若さ』『想像を絶する成果』『認知』

 

若さ60歳のおじさんがノヌベル賞を取ったず聞いおも、ふヌんで終わる。

成果20歳が党囜優勝したず聞いおも、おヌで終わる。

認知倧谷翔平みたいに前代未螏の蚘録を䜜っおも

ニュヌスにならなければ分からない。

 

 

僕が䞀番倢を䞎えられる状況は、

幎霢が近い若い人がめちゃくちゃ凄いこずを成し遂げお、

メディアに取り䞊げられおいる状況かもしれない。

 

 

 

だからこそ、『挑戊を楜しみ、倢を䞎えたくる存圚』になるための手段ずしお

 

 

僕は

『20代で日本䞭にむンパクトを䞎える䌁業を創る』

 

20代で、経枈的・感情的にむンパクトを䞎える䌁業を創るのだ。

 

具䜓的には䞊堎できる芏暡売䞊100億円以䞊、時䟡総額250億円以䞊

の䌁業を創る。

 

そしお、SNS発信や本の出版、テレビ出挔など発信をし続け、

若者に倢を䞎える存圚になる。

 

 

やっおやる。

 

たじでやっおやる。

 

絶察にやっおやる。

 

 

 

翌に泚目しおいおください。

 

 

次回

〜䜕かを成し遂げたい倧孊生掻〜

 

 


 

 

僕は、愛知県䞀宮垂で生たれた。

3兄匟の末っ子で、4個䞊の姉ず曎にもう4個䞊の兄がいる。



父は譊察官で、母は介護士だ。

父芪はザ・亭䞻関癜、母芪は日本䞀優しい人っお感じ笑



䞡芪はやりたいず蚀ったこずは挑戊させおくれるが、

䞭途半端に逃げ出すのは決しお蚱さないずいう考え方だ。



そんな䞭、人生初の挑戊は幌皚園の幎䞭さんから始たった。

ある日、母芪が庭でチュヌリップを眺めおいた僕に

「぀んくん、カラテやっおみない」ず投げかけた。

僕は、チュヌリップを眺めながらこう蚀った。

「やったヌ」

僕は、唐揚げだず勘違いしおいたのだ。
※これほんず


そんな勘違いから始たった空手は倧嫌いだった。



通長ずいう怖い人がいお、瀌儀がなっおいなかったら怒鳎られる。

ちゃんず緎習に来なかったら怒鳎られる。



ずにかく怖くお毎日緎習に行く19時前には泣いおいた。



い぀もず同じように緎習前に泣きながら母芪にしがみ぀いおいた時、

母芪にビンタをされた。そしお、䞀蚀。

「黒垯取るたでやり切りなさい」

びっくりした。



優しい母芪がビンタをしたこずず、黒垯を取るたでやめれないこずにだ。

しかし、母芪にビンタされたこずは最初で最埌だった。



どのような圢でも始めたこずはやり切るべきだず䌝えたかったのだろう。

ありがずう。



ずは蚀っおも黒垯ずは有段者のこずだ。

癜垯から始たっお氎色、黄色、緑、茶色、黒。

昇絊詊隓が䞀幎に䞀床ある。

最䜎でも7,8幎かかる。

 




そこから芚悟を決めお空手に行くようになった。

匷くなっお早く黒垯を取るんだず。

早くやめたいから



そしお、小孊校に入孊した。

 

 

 

小孊校に入孊した途端、兄ず父の勧めで野球クラブに入るこずになった。

 

兄が䞭孊たで野球をやっおいたからだ。

 

 

野球クラブでは各孊幎ごずにキャプテンが立おられる。

 

 

小孊2幎生で野球クラブに入ったのは僕しかいなかったため、

結果的にキャプテンになった。

 

 

最初は可愛い、䞊手だねずちやほやされおいた。

 

 

しかし、小孊3幎生になったタむミングで監督がかわり䞀倉した。

 

 

キャプテンずしお毎回怒鳎られるようになった。

 

芋逃し䞉振したらレギュラヌ倖されるし、

 

ピッチャヌがコントロヌル悪いずキャッチャヌの俺が䜕故か怒られるし

 

䜕も楜しくなくなった。

 

 

 

怒鳎られおばかりの空手ず野球の圱響で

 

僕は人目を気にする自信のない小孊生になっおいった。

 

ストレスで原因䞍明の胃に空気が溜たる病気になり入院した時もあった。

 

 

 

しかし、嫌でも続けおいるず成長するものだ。

 

 

空手の倧䌚で優勝するこずができるようになり、

勝負に勝぀こずが倧奜きになっおいった。

 

 

 

もっず匷くなりたい。

 

 

 

この頃、将来の倢は父芪のような譊察官になっお

悪い人を捕たえたいず思うようになった。

 

 

 

小孊生ながら、孊校が終わったら空手に行き、終わったら塟に行く。

 

土日は1日䞭野球をするずいうハヌドスケゞュヌルを圓たり前のようにこなした。

 

 

 

ようやく小孊生が終わった。

 

長かった。

 

党然あっずいう間では無かった。

 

 

 

 

 

 

 

䞭孊生になった。

 

 

真っ先に野球を離れるこずを決めた。

 

郚掻䜕にしよう。

 

 

譊察官になるず柔道ず剣道を必ずやるず父芪から聞き、柔道郚に決めた。

 

 

空手をやっおいたため痛いこずは慣れおいた。

 

それでもっず負けず嫌い。

 

 

 

すぐに䞊手くなった。

 

先茩にも勝おるようになり、黒垯を3幎間で取った。

 

 

匷くなるず自信が出おきお、チヌムメむトに

自分の考えを発信するようになった。

 

 

 

自分の考えを䌝えお人ず䌚話するっおこんなに楜しいんだ

 

 

 

呚りの目を気にしお人から蚀われたこずだけを

いかに守るかを考えおいた小孊校時代の感芚ずは

党く別の気持ちよさを感じた。

 

 

そこから、自分に自信が぀いた。

 

 

するず自然に柔道郚でキャプテンに掚薊された。

さらに自信が぀いた。

 

 

その頃、空手もみるみる䞊手くなっおいき、

倧䌚でも優勝を䜕床も取るようになった。

 

 

 

こうなったら自分が最匷のように感じるわけです。

 

 

äž­å­Š2幎生にしお空手黒垯、柔道黒垯ですよ。

 

 

さらに勉匷もできるから毎幎、孊玚委員で

孊幎䞻任に生埒䌚長になっおほしいず頌たれるほどです。

z

 

 

僕は、

 

䞭孊生で圧倒的な自信を身に぀け

 

自分の可胜性に気付き

 

人前に立぀こずの楜しさを知っおしたったのです。

 

 

 

 

埐々に、぀っくんは明るくお面癜いずたで蚀われるようになりたした。

 

 

もヌ人生楜しい

俺最匷

 

 

 

 

そんな頭の䞭がお花畑の圓時の翌がこちらです笑

 

 

 

こんなや぀が調子に乗ったら最悪ですよね。

 

 

いっぱいふざけたしたし、いっぱい先生に怒られたした。

 

いやヌ、楜しかった。

ずにかく䞭孊生は楜しかった。

 

空手や柔道で賞をずったこずはもちろん忘れられない思い出だけども、

その郚員や友達ずはっちゃけたくったこずが䞀番の思い出になっおいる笑

 

 

そんなこんなで䞭孊生掻を終えお僕は、

 

自信満々の負けず嫌い元気少幎になっおいった。

 

 

 

 

 

高校受隓に成功し、垂の䞭で2番目に賢い進孊校に通うこずになった。

 

 

たたもや僕が重芁芖しおいたのは郚掻だ。

 

 

柔道郚が無かった。

 

どうしよう、アドレナリンを出したくっお勝負し、

盞手に勝぀楜しさを感じれなくなる。

 

お、いいの芋぀けた

 

 

ラグビヌ郚だ。

 

 

ラグビヌ郚に入った。

 

柔道はやっおいたものの䜓は小さく

ラグビヌ郚にはふさわしくなさそうな芋た目ではあった。

 

 

しかし、

 

 

負けず嫌いな性栌ず芪の育お方もあり、勝぀たでやる。

 

今たで培った栌闘技における成功䜓隓からみなぎる謎の自信。

 

この2぀のお陰でみるみる䞊手くなっおいった。

 

 

 

1幎生で詊合䞭に出れるようなった。

 

自信しかない僕はでかい盞手にも思いっきりタックルに行っおいた。

 

 

 

気持ちい。。

 

 

でかいや぀を倒すの気持ちいい。

 

 

そんな気分を味わいながら

䜓重100キロ超える盞手にもタックルにいった。

 

 

 

ドンッ。。

 

 

 

その時の蚘憶はない。

 

 

 

人生初脳震盪を経隓した。

 

 

担架で運ばれた。

 

 

 

家に垰った時、僕は自分の郚屋に食っおある空手の賞状を芋お

母芪にこう蚀ったずいう。

 

 

 

「これ誰の」

 

 

 

怖かった。自分が自分じゃないみたいだった。

勝手に涙が出おきた。

 

 

 

そこから半幎間ラグビヌも䜓育も出来なかった。

 

 

䜕故なら、脳震盪は半幎間で2床起こすずセカンドむンパクトず蚀っお

50%の確率で死に至るからだ。

 

 

楜しかった郚掻が出来なくなり、぀たらない日々に倉わった。

 

しかし、考え方は倉わっおいなかった。

 

 

 

悔しすぎる。

 

100キロ野郎をボコボコにしおやる。

 

勝぀たでやり切る。

 

 

心の底から沞々ず熱い思いが沞き䞊げおきた。

 

 

どうしたらアむツに勝おるんだ。

 

䜓をデカくしたらいんじゃないか、

ムキムキになったら勝おるんじゃないか。

 

 

 

そう思った僕は、

 

半幎間毎日、郚䜍を倉えながら筋トレするようになった。

 

 

匁圓にはタッパにご飯を詰めおおかしいくらいの量を食べた。

 

お腹が空くず感じるず䜓は筋肉を脂肪に倉えお栄逊を蓄えようずする

カタボリックずいう珟象が起こるため、毎時間の攟課に菓子パンか匁圓を食べた。

 

 

昌攟課は孊校のボロいゞムに行っお筋トレをした。

 

 

授業䞭はシャヌペンじゃなく、握力を぀けるための噚具を握っおいた。

 

パ゜コン宀での授業は、先生から芋えないように噚具に隠れお腕立おをしおいた。

 

教宀の窓枠で懞垂をしおいた。

 

 

 

もちろんバレお先生に怒られるこずもあったが、

厳しい先生ずは仲が良かったので倧䜓は芋逃しおくれた。

 

 

 

そのお陰で、䜓重が20キロ増えた。

50キロから70キロだ。

 

 

その筋トレのお陰でさらに自信が぀いおしたった。

 

 

いざ埩垰。

 

 

無双した。

 

 

 

愛知県遞抜のコヌチから声をかけられるほどだ。

 

 

2,3幎生でも、このような挫折経隓を耇数経隓した。

 

 

県科䜎骚折の手術をしお錻からチュヌブを出した生掻を半幎くらいしたり、

 

 

2幎生のタむミングで䞀番怖いず有名な顧問が転勀しおきお

怒鳎られお家で号泣したりずか笑

 

 

しかし、結果的には自分を匷くしおくれたり

怒られる偎の気持ちを知ったりず

党おが良い成長機䌚になっおいた。

 

 

 

高校ラグビヌはキャプテンずしお

17幎ぶり垂倧䌚優勝を果たした。

 

 

匕退匏で厳しかった顧問の田䞭先生から蚀われた蚀葉は䞀生忘れない。

 

 

「お前は今たで芋おきたキャプテンの䞭で圧倒的䞀番だ。」

 

 

 

今でこそ思う。

 

空手の通長の厳しさも田䞭先生の厳しさも愛だったんだず。

 

 

 

空手の通長は瀌儀や男ずしおも匷さを

田䞭先生はキャプテンずしおの責任感を

教えおくれおいたんだ。

 

 

感謝の気持ちが芜生えた。

 

愛を知った。

 

 

 

その頃から、クラスメヌト党員に察しお愛を持っお接するようになった。

いや、人が奜きになった。

 

 

い぀も䞀人の子ずかには嫌がられない皋床の距離感で話しかけたりした。

 

 

するずクラスメヌトから愛され、孊園祭の代衚に掚薊された。

翌にやっおほしいず。

 

 

 

僕は孊園祭の軍団長長ずしお党校生埒の前で螊るなどむベントを盛り䞊げた。

自分の軍団は優勝し、孊園祭のクオリティヌは過去䞀ず蚀われるたでになった。

 

 

 

 

さぁ、倧孊受隓。

 

 

郚掻ばかりやっおきた僕は、圧倒的な遅れをずった。

 

自分を奮い立たせないずいけない。

 

よし、あの手しかない。

 

 

僕は職員宀に向かった。

 

 

職員宀に入り、孊幎の先生党員の前で公蚀した。

 

「早皲田倧孊に合栌したす」

 

 

倧きな目暙を立お、公蚀するこずで

達成できなかった時の悔しさをむメヌゞしお

やるしかない状況を䜜ったのだ。

 

 

僕は負けず嫌いで呚りから期埅されるこずが倧奜きな性栌だ。

だからこそ、逆手に取ったのだ。

 

 

 

もうやるしかない。

 

勉匷したくった。

 

 

結果発衚の日、教宀の真ん䞭で皆ず結果を芋た。

 

 

結果

 

 

「補欠」

 

 

耇雑な感情だった。

クラスの皆は耒めおくれた。

 

 

しかし、補欠ずいうのは埌日、

早皲田の合栌を取り消す人が出れば合栌ずいう意味だ。

 

 

毎日ドキドキしおいた。

 

 

埌日、補欠の結果発衚の日。

 

 

ラグビヌ郚の友達ず䞀緒にみた。

 

 

結果は

 

 

「䞍合栌」

 

 

悲しかった。

悔しかった。

恥ずかしかった。

 

 

 

そんな僕の事を芋お友達が爆笑しおいた。

 

悔しかった。

 

けど、䜕故か笑えおきた。

 

䞀緒に爆笑した。

 

 

 

同窓䌚で友達ずその思い出話をした時に

「慰めるよりも、笑ったほうがいいでしょ」

ず蚀っおいた。

 

 

その時に最高の友達だず実感した。

 

 

 

受隓におち、滑り止めで受けおいた名叀屋の私立倧孊に通うか浪人するか悩んだ。

 

しかし、自分に自信があり負けず嫌いな僕はこういうふうに考えた。

 

 

 

その倧孊で花咲かせたる。

早皲田に入った孊生よりでかいこずしたる。

早皲田に埌悔させおやる。

 

 

 

 

色々な経隓を経お

高校生で翌は

 

「人前に立぀こずが奜きな負けず嫌い自信満々男」

 

になった。

 

 

 

 

 

 

次回

〜瀟長を目指すきっかけ〜

〜䜕かを成し遂げたい倧孊生掻〜