12月。
凍てつく冬の廊下を、歩夢はある場所へ向かって必死で走っていた。
「廊下を走るな」なんて小学生でも知っているルールで、
学級委員長も務める「普段は」品行方正な歩夢らしからぬ振舞だが、
今、歩夢にはそうせざるを得ない理由があった。
事の発端は4月まで遡る。
高等部に上がっても、結局引き続き学級委員長を務めることになった歩夢は、
風丘からの頼まれごとで職員室を訪れていた。
しかし、風丘は取り込み中のようで、教頭たちと話している。
どうしようかな…と逡巡していると、
その様子に気付いた風丘がそこからそのまま声をかけてきた。
「歩夢君ごめんね、あと2~3分待っててくれる?」
「あ、はい!」
言われてそう返事したものの、職員室で一人というのはとても手持無沙汰だ。
今の時間、たまたま職員室内にいる教師陣も少なくて、
話し相手になってくれそうな他の教師もいない。
「んー…あれ?」
何とはなしに目線を彷徨わせていた歩夢の目に、ふとある1枚のプリントが飛び込んできた。
それは、生徒たちには抜き打ちで行われる、今年度の持ち物検査の予定表だった。
何なら重要機密とも言うべき書類だ。
(水池先生…もう、不用心だなぁ…)
プリントが置かれていたのは水池のデスクで、デスクと透明なデスクマットの間に挟まれている。
とりあえず失くさないようにそこに挟んだのか、
ならせめて裏返しにすればいいのに…などと思いながらその日付を眺めていると、風丘に呼ばれた。
風丘との話の内容は次のホームルームの、結構がっつりした頼まれごとだったので、
話を終えた頃には、見かけた予定表のことは歩夢の頭からすっかり消えてしまったのだった。
しかし、その次の週。
歩夢はふとした時に、その予定表の存在を思い出した。
「はーい、今日は持ち物検査するわよー」
「「「「「「「えぇぇぇぇぇ」」」」」」」
朝のホームルームで、唐突に教室に入ってきたのは金橋だった。
風丘のクラスは、持ち物検査は担任ではなく、地田や金橋といった生徒指導担当がやることが多い。
風丘自身が持ち物検査を嫌っているのと、
風丘だと甘くする、と地田たちに思われているのがその理由で、
生徒たちも何となく感付いているものの、
持ち物検査については中1の時のトラウマ級の検査のこともあるので、
好き好んでこの話題に触れようとする生徒はいなかった。
(うわ、当たってる…)
金橋の宣言を聞いて、歩夢はふとあの時見た予定表の日付を思い出した。
そう、初回はまさに今日の日付だった。
かくして、高等部に上がって初めての持ち物検査。
教室から不満の声が上がるものの、覆ることはないわけで、
生徒たちは渋々カバンを机の上に出す。
高等部になってから、中等部のあの厳しい校則は何だったんだ、というくらい
だいぶ校則は緩くなったこともあり、持ち物検査でアウトになる物品も多少減っていた。
最たるものは携帯電話だが、部活の時間も伸びるからか、お菓子類も咎められない。
女子がメイクポーチを調べられ、多少メイク道具が出てきたが、
大量の持ち込みではなかったので口頭注意で済まされた。
こうして、皆不満を口にはしたものの、引っかかるクラスメイトはほぼいなかったのだが…
「新堂君。これはダメね。没収。」
「チェッ…サイアク。」
惣一のカバンからマンガが出てきて、金橋が勝ち誇ったような表情で取り上げていった。
風丘は中学時代から持ち物検査に寛大なので、引っかかっても風丘からお仕置きされることはないが、
あの中1最初の持ち物検査で地田たちから返された没収物を
風丘が1週間程度で惣一たちに返してしまったことから
以降風丘のクラスの没収物は風丘に返されることがなくなってしまい、
風丘も取られたものは自分で取り返しなさい、というスタンスになってしまった。
惣一はマンガを取り返したければ金橋、すなわち生徒指導部にお願いに行くしかない。
初回だから反省文が濃厚だが、今後続けば指し棒でのお仕置きもついてくることは否定できない。
結局、今回引っかかったのは惣一のみで、
金橋が出て行ったあと、惣一が特大のため息をついた。
「あー、もう!!! せっかく昼休み読もうと思ってたのに!!!」
「ご愁傷様―」
「ってか仁絵! お前金橋とか地田に諦められてるのずるくね!?」
「いや、服装と髪だけだろ。持ち物は、今日はたまたまなかったんだよ。
ってか、俺に注意しないの、向こうが勝手に俺にビビッてるからで俺のせいじゃなくね?
そもそも、一発アウトの物持ち込むなら少なくとも馬鹿正直にカバンに入れっぱにしねーよ普通…」
「グッ…」
「フフッ、正論返されてんじゃん。」
「うるせぇ夜須斗!!」
(うーん…)
言い合う惣一たちを横目に、歩夢は一気に信憑性が高まってしまったあの予定表の存在を、一人思案していた。
歩夢も別に、持ち物検査に引っかかるようなことはほぼほぼないのだが、
違反物が出てきた時の地田や金橋の満足そうな顔にはちょっとだけ、ほんのちょっとだけ、ムカついていた。
水池があの予定表をあのままにしている可能性は高くはないが、もしあれば利用できるかもしれない。
そう思った歩夢は、昼休み直後、いつも通り屋上に向かおうとする仁絵にそっと話しかけた。
「ねぇ、仁絵。お昼前にちょっといい?」
「ん? なんだよ委員長。」
「ちょっと内緒の話。」
歩夢はニコッと微笑んで、仁絵を廊下に連れ出した。
校舎の外れの廊下まで来て、歩夢はその予定表の存在を仁絵に伝えた。
仁絵もまず水池の不用心さに呆れていたが、
続いて湧いてくるのはなぜ自分にだけこっそり伝えてきたのか、という疑問だ。
「今日の日直俺だから、放課後日誌を置きにもう一回職員室行くんだよね。
で、今日放課後職員会議があるから日誌は机に置いといてって風丘先生に言われてる。」
だから…と、歩夢が続けた意外な言葉に仁絵が目を見開いた。
「もう一回水池先生の机見て、プリントが残ってたらこっそり写真撮ってくるから、
万が一の時のためにちょっと職員室近くで見張っててくれない?」
「は…? どうした委員長、そんな…」
頭でも打ったか…?と心配する仁絵を余所に、歩夢はだめ?と小首をかしげ、
仁絵はダメじゃないけど…と狼狽える。
「そんな写真撮ってどうすんだよ。委員長、別にいつも検査引っかかんねぇしメリットないじゃん。」
仁絵の至極真っ当な疑問に、歩夢はうーん、まぁ、そうなんだけど、と言いつつ、笑う。
「クラスメイトが生徒指導の先生たちに目の敵にされてるの、正直あんまり気分良くないんだよね。
いくら普段の素行がよろしくないって言ってもさ。
担任の先生差し置いて口出してくるのおかしいってずっと思ってたし。
まぁ単純に言っちゃえば、たまには空振りしてもらったって良くない?
中学の時から、いっつもうちのクラスだけターゲットにされてるんだから。」
突き詰めれば仁絵たち5人だけど、と歩夢は笑いながら言う。
そんな歩夢を見て、仁絵は意外な一面を見た、と驚きつつも、つられて笑ってしまった。
「ヘマしたらいくら委員長でも売るからな。」
「えー、助けてくれないのー みんなのためにやるのにー」
「嘘つけ。半分楽しんでるだろ。」
「フフッ、いいじゃない、少し引っ掻き回すくらい。
元々抜き打ちで俺らの方だって引っ掻き回されてるんだし。」
「委員長からそんな屁理屈みたいな言い分聞く日が来るとはな…」
「クス…それに、なんかミッションみたいでちょっとドキドキしない?」
放課後の教室に残るのは、日誌を書く歩夢とそれを待つ仁絵の二人だけだった。
惣一たちは仁絵が何かと理由をつけて体よく追っ払っていた。
二人して軽口の応酬をしながら、歩夢はよし書けた、と日誌を閉じる。
「じゃー、とりあえず先行くね。二人で一緒に行く方が怪しまれるだろうから。」
「おー、適当に後から行くわ。」
教室を出ていく歩夢を見送りながら、委員長、変わったな…と、内心昼休みに引き続き驚くとともに、
持ち物検査を引っ掻き回してやろうなど、だいぶ発想が自分たち寄りになっている気がして、多少の罪悪感も感じる仁絵なのだった。
職員室に入った歩夢だったが、やはり職員会議中で部屋の中に教員は誰もいなかった。
日誌を手に持ったまま、先に水池の机を確認すると、そこにはまだあのプリントが挟まれていた。
どうやらプリントが配られてとりあえずそこに挟んだのではなく、自分の確認用に意図してそこに挟んでいるらしい。
職員室なんて生徒も好き好んでやってくる場所ではないし、
歩夢のように目ざとく見つけるような生徒はそういないだろうと油断しているのかもしれない。
歩夢はポケットの中のスマホを取り出し、シャッター音が鳴らないカメラ機能のあるアプリを起動させた。
そして最後にもう一度周囲を確認して、手元を反対の手で持った日誌で隠しながら、
そのプリントをこっそり写真に収める。
その後はすぐにスマホをポケットに戻し、何食わぬ顔で風丘の机に日誌を置いて職員室を後にした。
職員室を出てすぐに、トークアプリの仁絵との個人トーク画面を開き、そこにあの写真を投下すると、
すぐに既読がついて、一拍置いて仁絵から、[お疲れ][了解]と2つのメッセージが返ってきた。
その画面を見て歩夢がふぅ、と息をついたのも束の間、
更に数拍おいて、再び画面を見ると、その2つのメッセージが即座に送信取り消しされていたことに気付く。
仁絵の意図をくみ取って、歩夢も廊下を歩きながら、送った写真を送信取り消しした。
その後歩夢がスマホから顔を上げると、廊下の向かいから歩いてきた仁絵と鉢合わせた。
二人は目が合うと、仁絵はニヤリと不敵な美しい笑みを見せ、歩夢も微笑を浮かべるのだった。
その後二人は話し合い、画像を大人数で共有すると漏れるリスクが高くなるし、
万が一漏れた時にすぐに盗撮だ、となって出所はどこだとか騒ぎになってしまう、それは避けたい…であれば、
出所は内緒ということにし、日程が近づいたらその都度クラスのグループトークに投下することにしよう、
という方針で固まった。
ところでこの時仁絵は、自然とグループトークに情報を投稿する役割を請け負っていた。表面上、「風丘と同居していると知られている自分が投稿した方が、
直接的に出所を明かさなくてもみんな勝手に関連付けてくれるから信用が高まる」
「惣一やつばめに恩を売っておきたい」なんて言っていたが、
実は全く別の意図があったことに、歩夢はまだ気づいていなかった。
持ち物検査は、大体1ヶ月に1回のペースで行われた。
結局あの予定表通りで、クラスは毎月順調に検査を切り抜けていた。
ただ単に全員突破が続くと怪しまれると、
仁絵は実はもう読み終わった雑誌やほぼ使い終わっているヘアワックスなど、
口頭注意はされても没収までいかない、もしくは没収されたとて別に取り返す必要のない物を、
自分や内々で頼んだ夜須斗たちの持ち物に忍ばせた。
「違反者0」をカムフラージュする作戦で、これが功を奏したのか先週末実施された12月の持ち物検査まで無事到達できたのだ。
ただ、あまりにも上手くいきすぎてしまったのかもしれない。
惣一たちをはじめ、持ち物検査はグループトークに事前に知らせが来る、と、
本来抜き打ちで多少心のどこかで身構える、いつ検査されるか分からないという警戒心がクラス全体薄れてきてしまっていた。
そして、12月の持ち物検査が終わったばかりの週明け月曜日。
朝のホームルームで事件は起きた。
「持ち物検査するから荷物出せー」
「「「「「「「「「「えぇ!!!???」」」」」」」」」」」
地田がいきなりやってきて、持ち物検査の実施を告げる。
今日の実施は“あの”予定表にはなく、グループトークにも共有されていない。
想定外の事態に、クラス内が騒然となる。
「どうした? 早く荷物を出せ。」
地田に再度尊大な態度でそう言われ、夜須斗が眉間に皺を寄せながら言う。
「持ち物検査、この前の金曜にやったばっかなんだけど。」
しかし、それが何の意味もない反論であることは夜須斗自身が分かっていた。
そう言いながら、ため息をついてカバンを机の上に上げる。
「それがどうした。持ち物検査は抜き打ち。別に登校日2日連続でやらないなんてルールはどこにもない。
それとも、“今日”、やられたらマズい理由でも何かあるのか?」
「チッ…」
夜須斗が舌打ちして無言で地田を睨む。
図星だから何も言い返せない。
そして恐らく、どこまでかは分からないが持ち物検査の日程が漏れていることを地田たちは掴んでいる。
「みんな…。」
歩夢が力ない声で皆に声をかけ、それを合図に固まっていたクラスメイトたちもカバンを机にのせて広げ、検査が始まったのだった。
今日に限って、持ち物検査は異様にしつこかった。
いつも見られるカバンの中、机の中だけではなく、
廊下に並んだ鍵付きのロッカーの中まで調べられ、
さすがに惣一たち以外のクラスメイトも没収品や口頭注意を受ける物品がいくつか見つかってしまった。
惣一たちも、つばめのマンガと、夜須斗の音楽プレーヤー、
そして一番の大物は惣一の携帯ゲーム機。これらは即刻没収された。
さすがに検査翌日だったので、皆油断していた。
日程が分かっていたいつもなら夜須斗は自宅に置いているし、惣一もさすがにゲーム機は少なくとも部室に避難させている。
そしてこれに勢いづいたのか。
なんと地田は仁絵のアクセサリー類にまで目を付けた。
「柳宮寺。そのジャラジャラしたのは全部外せ。校則違反。こっちで預かる。」
「……はぁ?」
しかしその瞬間、あからさまに声音が低くなって殺気立った仁絵に、教室全体が息をのむ。
絶対零度の視線で地田を蔑むように睨みつけ、吐き捨てる。
「俺、今まで隠しもせずにずっとつけてたんだけど。
そっちが勝手にスルーしてたくせに、今日は没収品たくさん出てきて勢いづいてるからついでに注意するとか
方針ブレブレのテメーの言うことなんざ聞きたくない。」
「フフッ、言えてる。」
仁絵のストレートな物言いに夜須斗が笑う。
するとそれに触発されたか地田が顔を真っ赤にして怒鳴った。
「柳宮寺!!! いつもいつも教師馬鹿にするのも大概にしろ!!!」
「そっちこそ生徒馬鹿にすんのいい加減にしろや。
その日の気分で注意したりしなかったり。だったら最初から態度一貫しろよ。」
まぁ、だとしても俺はつけるけど、と仁絵は嘲笑を浮かべながら立ち上がった。
「そんなに没収したきゃ強制的に外せば?
ピアスとか、引っ張れば耳が千切れて取れるんじゃない?」
想像してしまった女子生徒たちがヒッと悲鳴を上げ、さしもの地田も絶句する。
「なっ…お前っ…」
しかし、仁絵は薄笑いを浮かべたまま畳みかける。
「ビビってんの? じゃあ、ネックレスにする?
あぁ、でも、これはピアスよりも大事なやつだから手出されたら無意識に抵抗しちゃうかもだけど。」
「ひ、仁絵!」
まさか仁絵が本気で手を出すことはないだろうが、これは立派な脅しだ。
さすがに歩夢が慌てて間に入る。
「それは言い過ぎ…ストップストップっ」
そして、その時、朝のホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴った。
キーンコーンカーンコーン キーンコーンカーンコーン
異様な空気の教室にチャイムが響き渡り、歩夢はハッと我に返り、振り返って地田に向き直る。
「あ、ほ、ほらチャイム!
地田先生、あの、チャイム鳴りましたし、1時間目始まっちゃいますからっ
仁絵のアクセサリーの件は、とりあえず保留ってことで、どうでしょうか!?」
生徒側から持ち物検査保留だなんて通常だったら無茶苦茶な言い分であることは百も承知だが、
スイッチが入ってしまっている仁絵を背後にしてこの場をとりあえずおさめるには一旦無茶苦茶を押し通さないと終わらない。
地田も地田で、引き際を見失っていたところがあり、歩夢の提案に、あぁ…と、頷き仁絵から離れた。
「…検査はこれで終わり。没収品は、生徒指導部で預かる。」
地田はそれだけ言うと、先に没収していた物品を持って、教室から出ていく。
そして、それと入れ替わりに1時間目の英語を受け持つ若い男性講師が教室に入ってきた。
「はい、みんなおはよー…ってど、どうしたの、このお通夜みたいな空気!?」
正規の教員ではない雇われの講師だから、持ち物検査の事情なんて知らないのだろう。
いつもフワフワしている講師の素っ頓狂な声を皮切りに、徐々にいつもの空気を取り戻す教室なのだった。
昼休み。
あの日とは逆に、今度は仁絵が歩夢を呼び出した。
朝のことを詰られるんだろうと身構えていた歩夢だが、予想に反し、仁絵はたった一言歩夢に告げた。
「朝のこと、何聞かれても委員長はしらばっくれて黙ってろ。」
「…え?」
きょとんとする歩夢にお構いなく、仁絵は続ける。
「もうクラス全体に検査の日程が流れてたのは十中八九バレてる。
だとしたら、最初に事情聴かれるのは委員長だろ。」
「それは、たぶんそうだけど…。」
「とりあえず今は黙ってろ。いいな。」
仁絵の有無を言わさない雰囲気に、歩夢は怪訝そうに問いかける。
「仁絵…何するつもり?」
「…ま、立ち行かなくなったら委員長のこと売るから、その時の覚悟はしとけよ。」
しかし歩夢の問いには答えず、仁絵はそう言って笑うと、歩夢の肩をポンと叩き、
その場を立ち去ってしまった。
いつ風丘に持ち物検査の件を突っ込まれるかとハラハラしていた5人(と密かに歩夢)だったが、
今日の風丘は中等部と高等部を授業で行ったり来たりで忙しいらしく、クラスの世界史の授業もないので放課後まで全くクラスに顔を見せなかった。
帰りのホームルームも何らかの事情で間に合わなかったのか、
ほとんど顔を合わせたことのない、冴えない副担任が珍しくやってきて特に大した連絡事項もなく締めていった。
そしてその直後。
ホームルームを終え、皆が部活やら下校やらの支度を始めている時。
「宮倉君。ちょっと生徒指導室まで来てくれる?」
金橋が突如教室にやってきて、歩夢を呼んだ。
名前を呼ばれた歩夢は咄嗟に仁絵を見そうになり、慌てて思いとどまる。
「…はい。」
歩夢は返事をして席を立ち、金橋の後に着いて教室を後にした。
「なんで委員長なんだよ?」
歩夢が去った教室で、惣一が夜須斗に尋ねる。
「クラスぐるみって疑われてんでしょ、あんだけ極端だったから。」
「委員長、叱られちゃうの…?」
不安そうな洲矢の声に、夜須斗はいやー…と否定する。
「事情聞かれるだけだと思うけど。さすがに何もなくゲロったりはしないだろうし…ね?」
夜須斗が視線を仁絵に送るが、仁絵はさーな、と興味なさげな相槌を打つだけ。
夜須斗がふぅ、と呆れたようにため息をつきつつ、
目線を教室の外の廊下に向けると、視界の端に一人の人物が映った。
しかし、それを伝えるのは間に合わず、気付いていない惣一が、大声で空気の読まない発言を投下してしまう。
「ったく…仁絵、なーんで今日の情報掴んでなかったんだよ!
それで俺のゲーム機がっ…「バカ惣一黙れっ」
慌てて夜須斗が制止をかけるも、惣一のよく通る声と相手の地獄耳を誤魔化すことはできなかった。
「今の…どういう意味かなー? 惣一君。」
「ゲッ、風丘っ…」
夜須斗が気付いたのは、教室に向かってくる風丘の姿だった。
まさかこんな最悪のタイミングで惣一が名前付きで暴露してしまうとは、と夜須斗は頭を抱えるが、当の本人は落ち着いていた。
「持ち物検査の日程。俺がクラスのグループトークに流してたから。
今日のは元々の予定になかったんだろ?
俺が流せなかったから今日皆引っかかりまくった。
そのあたりはそこのクソババアからもう風丘も聞いてんだろうけど。」
「柳宮寺っ…」
仁絵は、風丘に続いてやって来て、廊下に控えていた地田に視線を向ける。
しかし風丘は、仁絵の暴言を咎めることなく、いつもと変わらぬ調子で続けた。
「そっかー。…どうやって日程分かったの?」
「たまたま職員室行った時、日程のプリント見つけたから写真撮った。」
「その写真残ってるの?」
「消したに決まってんじゃん。そんな証拠。」
「グループトークは?」
「日程文字で流してるだけだし、送信取り消ししてる。」
「随分用意周到だねぇ。」
「……、まぁでも、持ち物検査の何日か前に決まって俺が何かをトークに投げて、
その後送信取り消ししてる記録だけで、十分なんじゃねーの?」
そこのババアには、と仁絵が地田に水を向けると、地田は仁絵に近付いてくる。
「久々にやってくれたな柳宮寺。お前がやったことは盗撮に脅迫だぞ?」
「えぇぇぇ!?」
刺激の強い言葉に、つばめが声を上げ、残って息をひそめていた他のクラスメイトたちもざわつく。
「盗撮ったってその撮った証拠もうないじゃん。」
夜須斗が反論すると、地田はジロリと睨み、切り捨てた。
「証拠も何も、今柳宮寺が自分で白状しただろう。柳宮寺は風丘にはまともに話すからな。」
「えー、お褒めにあずかり光栄ですー。」
「風丘もふざけてないで…」
地田の言葉に、茶化すような返事をした風丘だったが、二言目にボソッと呟いた。
「でも…ほんとにそうかなぁ…」
「っ…」
「ん? 何だって?」
地田も他の生徒たちも聞き取れなかったようだが、一番近くにいた仁絵は何となく聞き取れてしまい、思わず息をのむ。
しかし、風丘は次にはケロッとしてまたいつもの調子に戻り、地田にニコッと微笑みかけた。
「地田先生。今回のことは、あとは俺にお任せください!
ほら、俺にはまともに話してくれるって地田先生も言ってくれたことですし!
地田先生とは相性悪いんで、俺と二人きりにしてもらえるとっ」
「な、何だいきなり…いや、だけどお前は、持ち物検査に関しては甘やかしすぎ…」
「いつもはそうですが…“今回は”、キツーーーーーーくお灸据えますからっ ねっ?」
風丘に詰め寄られ、地田も気圧されてまぁ、分かった、と頷く。
「…仕方ない。後で生徒指導部にちゃんと報告しろよ。足りないと判断したら生徒指導部から追加の罰もあるからな。」
「はいはーい。」
そう言って教室を後にする地田に、風丘は手をひらひら振って見送ると、さて、と仁絵に向き直る。
「お部屋行こっか。柳宮寺。」
「…。」
所変わって生徒指導室。
歩夢は、大方の予想通り、金橋に事情を知らないか聞かれていた。
「何か知ってるでしょう?
クラス全体で持ち物検査の日取りを共有していたんじゃないの?」
「いやー…特に何も…」
「情報の出所はどこなの?」
「情報なんて…」
何とかのらりくらりと躱していた歩夢だが、ここへ来て金橋が揺さぶりをかけてきた。
「今日の検査は、確かに予定になかったの。
…委員長の宮倉君にだから言うけど、貴方のクラスには持ち物検査引っかかる常習犯たちがいるでしょう。」
「…何をおっしゃりたいのか…。」
「それがここ最近、何も引っかからない。正確に言えば、大したもので引っかからない。
初日に引っかかった新堂君を筆頭に誰も。
抜き打ちなのに…ね。生徒指導部でおかしい、って話になったの。」
疑われたあまりの理由に、いくら日々の積み重ねで自業自得とはいえ、歩夢は眉間に皺を寄せる。
「そんな言い方…惣一たちに失礼だと思いますが。」
不快さが顔に出る歩夢に、金橋は感心して笑う。
「フフッ、さすが風丘先生のクラスの学級委員長ね。風丘先生も同じことを言ったわ。」
「えっ…」
「それで『さすがにあの子たちも学んでくれたんじゃないですか』って言ってたわ。
とはいえ、生徒指導部としても一回確かめたい、ってなってね。
だからじゃあ一度、全く突然に、予想されにくいタイミングでやってみましょう、ってことになったの。
それが今朝。そして…この結果だったの。」
「っ…」
「風丘先生もさぞ残念だったことと思うわ。皆の成長だと期待してたのに。
貴方も学級委員長としてどう思ってる?
もちろん宮倉君が積極的に関与してるなんて思ってないわ。
知ってることを教えてほしいの。」
その言葉に、歩夢は拳をぎゅっと握った。
金橋に悪気があるのかないのか、
一番的外れな方向で証言を引き出そうとしているのがひどく滑稽でもあり、
しかし一方で歩夢に罪悪感を与えた。
正に首謀者は歩夢であり、仁絵は歩夢に巻きこまれてくれただけだ。
それに、金橋の言葉がもし全て本当だとしたら、今回のことをきっかけに風丘も傷つけてしまったのではないか、と歩夢が一抹の不安を覚えた時だった。
「宮倉。お前今朝もだけどなんでそんなに柳宮寺のことを庇うんだ。」
「えっ…」
生徒指導室の扉が開き、地田が入ってきた。聞き捨てならない言葉と共に。
「それは…」
「あら、やっぱり柳宮寺くんだったんですか?」
「えぇ。職員室で日程表を盗撮して、クラスのグループトークに流していたと。
風丘に聞かれて自白して…、おい、宮倉!?」
地田の説明を聞いて、歩夢は生徒指導室を飛び出した。
助けてくれとはふざけつつも確かに言ったが、
脳裏によぎったとある展開、それは全く望んでいない。
生徒指導室と風丘の部屋の間に教室がある。
立ち寄ったが、当然、仁絵の姿も風丘の姿ももうなかった。
「委員長! 大丈夫!? 金橋に詰められたり…「仁絵は?」
心配してつばめが駆け寄ってくれたが、申し訳ないがそれどころではない。
遮るように問いかけると、つばめは目を丸くして、しかしその後へにゃりと口を曲げて言った。
「風丘に…持ち物検査の情報源、自分だってバラしちゃって二人で部屋に…」
つばめの言葉に、歩夢は一瞬顔をゆがめ、更に聞く。
「俺の、ことは…?」
「え?」
「俺のこと、何か言ってなかった?」
歩夢の問いかけに、つばめと横で聞いていた惣一が二人して首を傾げる。
「と、特に…」「委員長、別に関係なくね?」
「っ…」
「あ、委員長!」
二人の言葉が言い終わらないうちに、歩夢は教室を後にし、駆け出した。
廊下を全力疾走する歩夢の肺に廊下の冷たい空気が満ちる。
走っているのに、全身が冷えていくようだった。
間に合いますように。歩夢はその一心で、メイン教室群から外れた風丘の部屋を目指した。