10月。

とある日の放課後。

 

「読書の秋」というものの、多くの学生にとってそんなことはどうでも良いことで、

校舎の北棟3階丸々ワンフロアを贅沢に使った図書室にいる面々は、

結局常連の生徒ばかり、いつもの顔ぶれだった。

 

(眠…。)

 

そんな静かな空間で、カウンターに一人座る仁絵は何とか声を押し殺した。

 

学校司書を務める霧山に、

中学2年の下半期から半ば強引に図書委員に引きずり込まれて以来、

仁絵は結局抜け出すことができずにずっと図書委員だった。

しかも、仁絵たちが高校に上がったタイミングで

司書教諭の資格を持っていた高校の教員が異動となり、

霧山が非常勤から常勤司書となるという人事が発生した。

これにより正に図書室は霧山の城となり、

仁絵は図書当番のシフト以外にも週に2日は昼休みか放課後のどちらか、

霧山と共に図書室にいる羽目になってしまっている現状。

 

その結果、貸出はもちろん、新規の本を貸出用に処理したり、傷んだ本を修理したり、

はたまた簡単なレファレンスをしたりと、

仁絵は不本意ながら、おかげさまで一通りの図書業務を一人でやれるようになっていた。

しかしそれによって、更に霧山に都合の良いように使われるようになるという悪循環も生まれている。

 

今日もそのせいで、こんなことになったのだ。

 

 

 

通常、図書委員がカウンター番をするのは、昼休み。

図書室のすぐ下は職員室なので、何かあったらすぐ霧山を呼ぶことになっている。

そして放課後は、基本的に霧山が常駐してカウンター業務を担い、

図書委員は霧山の指示の下、種々の雑務を行う、という感じだった。

したがって、基本的に図書委員の業務は霧山がいることを前提にシフトが組まれている。

 

しかし、今日の夜から明後日まで、珍しく霧山に泊りがけの出張が入った。行き先はまさかの北海道で、司書関係の研修らしい。

先週、その話を聞いて仁絵が(やった、休めんじゃん)と思ったのも束の間、

霧山は仁絵にこう言い放ったのだ。

 

「それじゃあ仁絵君、私が不在の二日間、図書室、よろしくお願いしますね。」

 

「…は?」

 

ポカンとする仁絵に、霧山は何不思議そうな顔をしているんですか、と

何故か呆れ顔で続ける。

 

「貴方なら1人でもある程度イレギュラーなものも含めて

一通りのカウンター業務こなせるでしょう。」

 

あぁ、そういうことか、と一瞬納得しつつも、聞き逃せない言葉があった。

 

「え、何、二日間、昼休みも放課後も俺に一人で番させる気?」

 

「…おや、貴方誰かと一緒に出来るんですか?」

 

しかし仁絵の問いに、わざとらしく驚いたように霧山に返され、何も言えなくなる。

 

「それは…嫌だけど…。」

 

「2日目の放課後は私が帰って来られますから。実質3コマですよ。

それじゃ、しっかりお願いしますね。サボらないように。」

 

「ちょ、ちょっとオイ!」

 

 

 

こうして決定事項、と言わんばかりに決められた図書当番。

一応、その後の当番のシフトを調整してはくれたようだが、仁絵は当番がなくても度々霧山に当番以外の業務を手伝わされるのであまり意味はない。

 

昼休みは無難にこなし、続いて今、放課後なのだが、これが酷かった。

 

カウンター業務以外は、新着本を貸出できるように処理する業務を与えられていたのだが、

今日の放課後は利用者が少なく、

しかも皆が皆その場で読むばかりで誰もカウンターに来なかった。

更に今日は授業が5限で終わりの日だったので放課後が長い。

暇すぎて本の処理が捗ってしまい、

最終下校まで1時間半を残すところで全て終えてしまった。

そして追い打ちをかけるように、図書室に誰もいなくなってしまったのだ。

 

「いやマジ暇すぎだろ…」

 

こんな静かな空間でただ座ってるだけなんてきつ過ぎる。

襲ってきた睡魔に、仁絵が身を委ねてしまおうかと考えた時だった。

 

「すみませーん、返却お願いしまーす」

 

中学の制服を着た生徒が、5冊本を抱えて入ってきた。彼も常連だ。

 

「おー、期限内?」

 

「はい! 今日までで! 何とか読み終えましたっ」

 

「そ。…ん? 返却だけ?」

 

珍しく返却図書だけ置いて出て行こうとする少年に、

仁絵が思わず声をかけると、少年ははにかんで答えた。

 

「はい。もうすぐテスト期間なので… 

テスト期間中に借りると、最後勉強で忙しくなって返すの忘れちゃうから。」

 

「あぁ、中間テストね…。」

 

テスト勉強という概念がほぼほぼない仁絵には思いつかない理由だった。

失礼します、と少年が出て行って、また仁絵は1人になった。

彼がしばらく居座ると思っていたのが拍子抜けして、また眠気がやってくる。

たった5冊の返却処理なら、あとでやろう、と

仁絵はカウンターの椅子に座って、ほんの数分のつもりで意識を手放した。

 

 

 

~~~~♪♪~~♪♪♪~~~~

 

「っ…やばっ…!」

 

次に仁絵の意識が覚醒したのは、

あろうことか最終下校15分前を告げる放送の音楽だった。

そして、まずいことを瞬時に理解した。

この音楽は、同時に図書室の閉室を告げるものでもあるからだ。

そしてこの時間で、自動で貸出システムは締め切られ、

各種記録集計のためにシステムには入れなくなる。

 

仁絵は、先ほどの少年から受け取り、

まだ返却処理していなかった5冊の本を見てため息をつく。

 

「今日までだって言ってたよな…。延滞記録つくじゃん、最悪…。」

 

そもそもたった5冊の返却処理なんてものの数十秒で終わる処理を

何故後回しにしたのか、まさに後悔先に立たずの状況で、

仁絵はもう一度ため息をついてとりあえずその本をカウンター下に仕舞い、

図書室を閉めたのだった。

 

 

 

翌日の昼休み。

 

昼食そっちのけで、仁絵はすぐに図書室に向かった。

図書室は飲食禁止のため、昼休みの開室時間は昼休み開始後15分後なのだが、

仁絵は昼休み開始から5分後には図書の貸出システムを開いていた。

 

「あー…やっぱついてるよな…。」

 

取り急ぎ返却処理はしたものの、

昨日の少年の貸出記録にはしっかり延滞記録がついてしまっている。

延滞を3回すると貸出停止がかかる。

しかも少年は既に1回延滞していた。

今年の6月末、ちょうど期末テストの時期だ。

「返すの忘れちゃうから今回は借りない」という行動は

この反省を生かしてのものだったのだろう。

しかし、となるとこの1回は重い。何としても消さないといけない。

仁絵は、やりたくねー…、と独り言ちながら、一旦システムをログアウトした。

そして、先ほど自分が入ったアカウントと別のアカウント名を入力する。

ログインした後にユーザー名欄に表示されたのは「Kiriyama」の文字だった。

 

「返却日を操作し、延滞記録を消す」なんて特殊な処理は、

仁絵たち図書委員のアカウントでは権限が付与されていなくて出来ない。

やるためには、権限を持っている霧山のアカウントでなければならない。

一般の図書委員なら知る由もないだろうが、仁絵は霧山のアカウントを知っていた。

霧山の権限でしかできない処理も多少任されていたからだ。

しかし、それでも今回のような返却日の操作はやったことがない。

ボタンの名称からやれそうなことは知っていたものの、実際したことはなかった。

 

「これか…? で、こうして…。」

 

そして多少苦戦しながらも、何とか返却日を1日前に変更することに成功した。

もう一度ログアウトし、

今度は自分のアカウントから件の少年を検索し、貸出記録を見る。

すると、延滞記録は6月の1回だけに変わっていた。

 

「はー、何とかなった…。」

 

無事直せたことに安堵の息をついて、仁絵は返却処理した本を棚に戻しに行った。

仁絵としては、これで大丈夫、と言い聞かせていたのだが…。

 

 

 

現実は甘くなかった。

仁絵も、薄々この可能性は大いにあると気付いていたのだが。

 

 

 

「さぁ、では包み隠さず告白してもらいましょうか。」

 

 

 

その日の放課後。

 

出張から帰ってきた霧山は、

自分で「放課後は帰って来て自分が開ける」と言っていたくせに、

高校生の授業が終わった瞬間に、

「急遽図書室は今日の放課後は閉室します」と放送を流したかと思ったら、

帰宅準備をする仁絵を捕まえて図書室に連行した。

 

そして、自分はカウンター内の椅子に座り、目の前の床を指示して一言、

「そこに正座なさい。」と仁絵に言った。

仁絵が黙って示された床を見つめて動かないでいると、

霧山は呆れたようにふぅっと息をついて更に続けた。

 

「それは得策ではないと思いますけどね。

もっと言ってあげないと従えませんか。…貴方、私のアカウントで何をしました?」

 

それを聞いて、仁絵はあぁ、もう終わっていた、と全てを悟った。

 

「私のアカウントの最終ログイン日時が今日の昼休みになっていました。

私に心当たりがない以上、仁絵君以外あり得ない。

でも、そのことについて昼休みの業務日誌には何も申し送りが書かれていない。」

 

仁絵は観念して、今度こそ示された床に正座する。

ログイン日時のことは分かってはいたが、すごく小さい表示だし、

そんなところまで律儀に見ないだろうという望みに賭けたのだが、

その賭けに見事敗北したらしい。

 

そして、正座した仁絵に投げかけられたのがこの霧山の一言。

 

「さぁ、では包み隠さず告白してもらいましょうか。」

 

「えっと…ちょっと、俺の権限じゃできない処理をしたかったから…。」

 

「へぇ。それはどんな処理です?」

 

「えーっと…」

 

一か八か、取り繕ってみるか。

霧山のアカウントでしか出来ない処理を頭の中で並べ立てる。

だが、どれもすぐに調べられれば噓がばれるのは明白で、

そもそもこの尋問も既に全部分かっていてすっ呆けて聞いてきている可能性が高い以上、再びそんな賭けに打って出る勇気はなかった。

 

「返却日の修正と…延滞の…取り消し。」

 

「なるほど? 確かにそれは私の権限でないと出来ませんね。

 では、何故そんな処理が必要になったんですか? 日誌に申し送りもなく。」

 

「そ、れは…。」

 

居眠りしていたらその日の内に処理できなかったからです、

なんて口が裂けても言えない。

仁絵はその部分を誤魔化して言った。

 

「返却処理、なんか上手くいってなくて…やったと思ったんだけど。」

 

「…そうですか。では…」

 

しかし当然、こんな言い逃れが通じる相手ではなかった。

 

「返却処理をしたと思った本の貸出記録を、

どうしてわざわざ翌日に改めて調べたんですか?」

 

「え゛っ」

 

「だってそうでしょう? 

返却処理のオペレーションは、システムで返却処理をかけてから、

本棚に戻すまでが1セット。

処理をしたと思ったなら、そのまま棚に戻して終わりのはずですが。」

 

「あー…えー…」

 

あまりにも正論で、何も返せない。

言い淀む仁絵を、霧山は容赦なく追い詰める。

 

「そんな中途半端で何も理由になっていない説明で私が納得するだなんて、

思われているのなら心外ですし、

一か八かでそんな手を打っているのなら

珍しく最悪手を選択した仁絵君に驚きを隠せませんね。」

 

「っ…」

 

「まぁ、このまま押し問答を続けるほど私も気が長くはないので。」

 

そう言って立ち上がった霧山は、胸ポケットに挿していた指示棒を取り出し伸ばす。

その光景を見た仁絵はサッと青ざめた。

 

「ちょ、ちょっと…」

 

中学時代に一度、どうにも面倒で図書委員の仕事をサボった時、

風丘に告げ口されて終わりと思っていたのに実際は霧山に直々にお仕置きされた。

(ちなみに当然その後風丘にも報告されたが、

霧山が指導済みということも含めて報告したので追加のお仕置きは免れた。)

 

霧山曰く「図書委員は私の管轄ですから、監督・指導は私がします」とのことで。

そしてその時も、今霧山が手に持つ指示棒できっちり指導されたのだ。

 

図書室は防音ではない。霧山は風丘と違って個室を持っていないので、

指示棒を使うのは、音がなるべく出ないように、という配慮の結果らしいが、

風丘はあまりこういう細い系統の道具を使わないこともあってか、

ピンポイントに鋭く響く痛みが、仁絵は嫌いだった。

 

図書委員絡みできっちりお仕置きされたのはその一度きりだったものの、

普段の図書委員業務でもタラタラやっていると容赦なく指示棒がとんでくるので、

霧山が指示棒を手にしたら、反射的に仁絵は飛びのいて霧山から距離を取った。

 

「おや。誰が正座を崩して良いと言いましたかね。」

 

「いや、だって…。」

 

まだはっきり口にしない仁絵に、霧山は、今日はほんとにダメですね、と一刀両断した。

 

「まぁ、貴方がそんなに言いたがらない理由なら相当な悪事なのでしょうね。

だとすれば、早く罪状を明かした方が身のためですけれど?」

 

霧山は静かに最後通牒を突きつけた。

 

「分かってるでしょうけど、罪状が確定する前のお仕置きはノーカウントですから。

まぁ、とりあえず、勝手に正座を崩したことと、

理由はどうあれ勝手に貸出記録をいじったお仕置きから先にしましょうか。

その間に理由を説明してくれることを期待しますよ。」

 

そう言って、サッと間合いを詰めて仁絵の腕を取り、カウンターの机に手をつかせる。

この図書室のカウンターは、座って事務処理をするように造られていて、

天板は低い位置にある。手をつくと、自然とお尻を突き出すような姿勢になった。

仁絵が狼狽えていると、そこに霧山は更に追い打ちをかけてきた。

 

「やっ…おいっ」

 

いきなりズボンのバックルに手をかけてきたのだ。

仁絵が抵抗すると、すかさず霧山は指示棒を打ち下ろす。

 

ビシィィィンッ

 

「う゛っっ」

 

なんとか悲鳴は堪えたものの、やはり嫌すぎる痛みに仁絵はぎゅっと眉を寄せる。

 

「口が悪いですよ。

ちゃんとした説明も出来ないくせにそんな余計な言葉を吐くならいっそ黙りますか? 

そこに養生テープありますけど。」

 

「なっ…」

 

脅し文句だろうが、あまりの内容に仁絵が振り返って霧山を見つめて絶句している間に、

器用にもベルトを外され、制服のズボンのホックも外され、

ズボンはストンと床に落ちた。

もうこうなったら諦めるしかなくて、仁絵はカウンターに向き直ってぎゅっと目を瞑る。

 

「さて、ではまず正座を崩した分、5回。」

 

ヒュッと指示棒がしなる音が聞こえ、仁絵が痛みに備えて更に身を固くする。

が、守る布がたった1枚のお尻に炸裂したその痛みは、想像以上だった。

 

ビシィィンッ ビシィィンッ ビシィィンッ ビシィィンッ ビシィィィンッ

 

「あ゛あ゛っ!? いっ…っあっ…い゛い゛っ…」

 

息をつめても、漏れ出る悲鳴は完全に抑えきれなくて、

何とか姿勢だけは維持して息を乱し必死な仁絵だったが、

霧山はそんな仁絵にお構いなく次の罰を告げる。

 

「次に、貸出記録をいじった分、10回。」

 

「待っ…っ…」

 

待った、と言ったところで聞いてくれる相手ではないし、

むしろ言ったことで本当に口を塞がれるかもしれない。

仁絵はすんでのところで踏みとどまったが、

そんな仁絵の葛藤なんて知ったこっちゃない、と言わんばかりに

再びその痛みは仁絵を襲った。

 

ビシィィンッ ビシィィンッ ビシィィンッ ビシィィンッ ビシィィンッ

 

「あ゛っ…いっ…くぅっ…ゔぅぅっ…っあぅっ…」

 

ビシィィンッ ビシィィンッ ビシィィンッ 

ビシィィィンッ ビシィィィンッ

 

「ぐっ…くぅっ…っぁ…あ゛っ! い゛ぁっ…」

 

最後の二発は足の付け根、下着に守られてないところに炸裂し、

さしもの仁絵も声を上げ、崩れ落ちかけたのを何とか気力で持ちこたえた。

肩で息をする仁絵だったが、霧山は淡々と告げる。

 

「さて。では次は、

いつまで経っても強情で理由を隠し続けている分、でしょうかね。20回。」

 

「やっ…ちょっとストップ!」

 

この状態に今の倍やられたら到底耐えられない。

しかも、どうせその後理由を告白させられて更に罪状が追加されるし、

倍々に回数が増えている今の状況を鑑みると、20回終えたら次は40回、と

この冷徹な悪魔なら本当に言う。

仁絵はついに陥落し、

返却日をいじられなければいけなくなった顛末を正直に全て話したのだった。

 

 

 

「…というわけで…。」

 

「なるほど。つまり返却処理のオペレーションを守らず後回しにしただけでなく、

業務中にも関わらず居眠りをした結果、

返却日当日に処理が出来ずに延滞記録もついてしまったために修正した、と。」

 

「…そんな…ところ…。」

 

改めて言い直されると言い訳しようがない理由に、仁絵も視線を落とす。

ふぅ、と霧山は息をついた。

 

「まぁ、筋は通っていますね。納得しました。

そして貴方が頑なに言いたがらなかった理由も。

これだけの罪状を積み重ねたら、ただじゃすみませんものねぇ。」

 

「っ…」

 

「ではオペレーション無視で20回、居眠りで30回…」

 

「!?」

 

あまりにもな回数に仁絵が目を見開くと、

霧山はフッと恐ろしい微笑みを浮かべて続けた。

 

「といきたいところですが、そんなに打ったら私も疲れるので、

ちょっと道具を変えましょう。こんなにすぐ出番があると思いませんでしたが…。」

 

そう言って、仁絵の背後からガサゴソと霧山が何かを取り出した音がした。

 

「北海道って、乗馬が盛んなんですよね。」

 

「っ…!? や、お前まさかっ…」

 

瞬時に思い立った結論に思わず仁絵が声を荒げて抵抗しようとしたが、

それも織り込み済みだったのか背中を押さえつけられ、

カウンターに腹ばいになるような体勢で固定されてしまった。

 

「また口が悪いですねぇ。暴れたら私が打ち損じて余計に痛いですよ。」

 

「やっ…やだっ…」

 

「5発で許してあげます。反省なさい。」

 

その霧山の声の後に、ヒュゥンッと

指示棒では聞いたことがないような風を切る音が聞こえた。その刹那。

 

ピシィィン ピシィィン ピシィィンッ ピシィィンッ ピシィィィンッ

 

「あ゛あ゛っ…いった…いあ゛っ…ゔぁぁっ…ああああっ」

 

体験したことのない痛みに、仁絵は悲鳴を抑えるのも忘れて悶えることになった。

 

「はい、おしまいです。まぁ、言わずもがなでしょうけど、反省できましたか?」

 

5発打ち終わると、霧山はあっさり仁絵を解放した。

カウンターに腹ばいの姿勢のまま、崩れるように床に蹲った仁絵は、

半ば放心状態でこくこくと頷く。

 

「反省、しました…。」

 

「はい、よろしい。じゃあちょっとそっちのソファに寝ててください。

タオル濡らしてきます。

さすがにこれでケアしなかったら私が葉月に大目玉食らうので。」

 

そう言って、霧山が図書室を後にする。

ここでやるのか、と思ったものの、ほかに行く場所もないししょうがない。

臨時閉室の放送は流れたし、

もう放課後も終盤だから生徒が間違って来ることはそうないだろうが…

そんなことを考えながら一旦ズボンだけ戻し、ソファに横になっていると、

早々に霧山が帰ってきたので、ねぇ、と声をかける。

 

「鍵かけて。」

 

「はいはい、仰せのままに。」

 

そう言って、1つしかない図書室の出入り口の戸の鍵をきっちりかけて、

霧山は濡れタオルを手に仁絵の寝転ぶソファに腰掛けた。

 

「ほら、とっととお尻出してください。なんでわざわざしまったんですか。」

 

お仕置きはもう終わったはずなのに容赦ない指示が飛び、

仁絵は少しむくれながらもぞもぞと一度戻したズボンを再び下す。

ベルトは締め直してなかったのですぐに下せたものの、

下着を下すのにためらっていると、

待ちきれなかったのか霧山が容赦なくずり下ろしてきた。

 

「ゔあ゛っ! ちょっと!」

 

配慮なく下ろされたので腫れたお尻と下着が擦れた痛みに仁絵が抗議の声を上げるが、

霧山は意に介さず持っていたタオルを仁絵のお尻に乗せた。

 

ずいぶん優しさを感じないケアに内心不満に思っていると、

ふとカウンターの上に置かれたあのとんでもない代物が目に入った。

 

「…酷すぎじゃん? 俺馬じゃないんだけど。」

 

黒光りする乗馬鞭を見つめながら、仁絵が霧山を詰るが、

霧山はどこ吹く風、といった様子で、しかも衝撃の事実を告げてきた。

 

「良いじゃないですか。乗馬鞭って言ったって

正確には『乗馬鞭風の人間用』ですし。」

 

「…え?」

 

「…え? 当たり前でしょう、

本物の馬用の鞭なんて使ったら布一枚隔てた程度じゃ出血しますよ。」

 

「え、いや、じゃ、あれは…。」

 

「ちゃんと北海道で買いましたよ。

乗馬が盛んな北海道故のジョークグッズ扱いみたいでしたけど。

何故か普通の土産物屋の片隅にあったんですよね~」

 

「なっ…なっ…」

 

乗馬鞭をわざわざ人間に使う状況なんて基本的には1つ。

つまりこの鞭は、「その筋」の方々用のものということで…。

 

「あんたマジ最低! あり得ないんだけど!! 

結局あんたの趣味に付き合わされたんじゃねーか!!!」

 

「失礼ですねぇ。そういう趣味のために買ったわけじゃありませんよ。

ちゃんとこれはあなた達の躾用にいずれ使う時が来るかも、と思って買いました。

だから言ったじゃないですか。

『こんなにすぐ出番が来るなんて思わなかった』って。」

 

「この鞭見て俺ら引っ叩くことすぐに思いついたなら、

それも余計に気色悪ぃわ!」

 

吐き捨てる仁絵に、霧山はわざとらしく肩をすくめておやおや、と呟く。

 

「仁絵君。口が悪いと今日何度も指摘しているのに治りませんね。

少し躾が足りませんでしたかね。」

 

そう言って、霧山が徐に立ち上がり、凶器が放置されたカウンターに向かって歩き出す。

そして、仁絵は今お尻を出した状態。

仁絵の脳内にたちまち警鐘が鳴り響き、慌てて叫んだ。

 

「やだ、待って、言葉が悪かったです、すみません、だからそれはもういいっ…」

 

「…」

 

仁絵の言葉を聞いた瞬間、霧山はピタリと足を止め、フフッと噴き出した。

 

「さすが乗馬鞭。躾の効果は絶大ですね。」

 

そう言って、カウンター上の鞭を手に取ると、弄びながら霧山は笑った。

 

「心配しなくても、こんなもの、よほどのことがなければ使いませんよ。

仁絵君が素直で、真面目に、図書委員の仕事を全うしてくれれば。」

 

「うっ…」

 

「昨日今日とお疲れさまでした。またよろしくお願いしますね。」

 

パシンッと鞭を掌に打ち付けた音と共に微笑んでそう告げた霧山。

その鞭を携える姿があまりにも様になりすぎていて、

仁絵は(絶対趣味もあるだろ…)と

絶対口にはできないツッコミを心の中で吐きつつ、

このドS悪魔に捕まってしまっている自分の身の上を一人憂うのだった。