※冒頭は惣一Sideですが、全体的には夜須斗Sideで話が進みます。

 

 

 

 

高校生ともなると、夏休みの宿題に追われる、なんてことはなくなるかと思いきや、

そんなことは全くなく。

 

惣一はリビングの壁に掛けられた無駄に大きなカレンダーとその上の時計を見つめ、

何度見ても間もなく0時を回って

残り一日となろうとしている夏休みを思ってうーうー唸っていた。

 

手元には遅々として進まない…というか、全く手の付けられていない数学の課題。

さすがの惣一も、この年になればある程度は急場しのぎの力はついていて、

他の教科は何とか粗方言い訳ができる程度には終えたのだが、

数学だけは全く進まなかった。

原因は、課題の内容にある。

 

「いや、ちゃんとした答え配れよ…」

 

配付されているのはA4プリント1枚につき

一番上に1行だけ問題文が書かれたプリントの100枚一束。つまり100問。

しかしこの課題のどこの質が悪いかというと、

単純な問題の多さではなく、

配られている答えは数字のみで、途中式がない、というところだった。

だがプリントの構成からして途中式は必須。つまり、答え丸写しが不可能なのだ。

分からなければ、参考書を使って自分で調べて途中式を作るしかない。

とはいえ、普段の授業をろくに聞いておらず

元々数学が大の苦手な惣一が、

参考書を使って自力でこの100問の途中式を作成するのは

時間的にも実力的にも到底無理な話だった。

 

悩んだ末、惣一はとっておきの切り札を胸に、一縷の望みをかけて電話をかけた。

 

トゥルルルル トゥルルルル

ピッ

 

「あ、夜須斗…」

 

“嫌だ。”

 

電話を取る音がして、すかさず惣一が口を開くと、

そこに被せるように電話の相手…夜須斗が一言冷たく告げた。

 

「まだ何にも言ってねぇだろ!!!」

 

“このタイミングで惣一が俺にかけてくるって課題のことしかないじゃん。

嫌だ。勝手にやって。”

 

「勝手にできないから頼もうとしてんじゃねーか…」

 

その惣一の返答から、数学の課題を指していることをくみ取った夜須斗は、

へぇ、と少し感心の声をあげる。

 

“数学以外はやったんだ。丸写しだとしても多少は人って成長するもんだね。”

 

いつにも増して辛辣な物言いだが、惣一は怯まず続ける。

 

「だろ!? だから…」

 

“嫌だ。”

 

「なんだよ~~ 別に見せてくれるぐらい良いだろ? 

俺が自分で写すからっ」

 

“そう言って巻き込まれて何度も叱られてるから嫌だ。”

 

「うっ…」

 

そう言われてしまっては反論できない。

中学時代から勉強面では大いに夜須斗に協力してもらい(利用させてもらい)、

助けられたことは数知れず。

…しかし、ズルがバレて叱られたことも同じくらい数知れず。

叱られ度合いは惣一のが大きいにしても、

夜須斗だって同じ回数大なり小なり叱られているのだ。

 

とはいえ、惣一だってそう簡単に引けない。

これで出さなければ、結局すぐに担任の風丘に連絡がいって、

良くて終わるまで居残り、悪ければいきなり部屋行きもあり得る。

ここまで(ほぼ答え丸写しとはいえ)頑張ったのに、

1教科できないからってそれはあんまりだ。

 

こうなったら奥の手、と、

惣一は隠し持っていたとっておきの切り札を切ることにした。

惣一も出来れば使いたくなかったが、背に腹は代えられない。

 

「なぁ、夜須斗。じゃあさぁ…」

 

 

 

夜須斗は惣一の提案を一通り聞いて、答えた。

 

“いいよ。それならのった。”

 

「よっしゃぁぁぁっ じゃあ夜須斗、明日昼前にお前んち行くから!」

 

惣一はガッツポーズをして電話を終えた。

これで、今年はどうにかなりそうだ。

 

 

 

翌朝、課題を持って夜須斗の家に押し掛けた惣一は、

夜須斗の解き終わったプリントを丸写しした。

夜須斗はプリントを渡したら全く手伝う素振りも見せず、

ベッドに寝転んで携帯を見たり、そのまま寝たり。

しかし、見せてもらっているのだから文句は言えない。

惣一はまさに怠惰の極みの夜須斗の隣でとにかく書き写した。

 

結局、丸写しでも夕飯の時間くらいまでかかり、

昨日の夜の時点で夜須斗との交渉に入った自分の判断を褒めたい、

と惣一は心から思ったのだった。

 

そして、同じくこちらは仁絵と洲矢にかなり早期の段階から泣きついて

何とか形にしたつばめと共に

どうにかやり終えた課題たちを夏休み明け提出し、

風丘から「明日は雪かなぁ」なんてベタなからかわれ方をしながらも、

この夏休みは乗り切った…はずだったのだが。

 

 

 

 

 

9月も終わりに近づいたある日の朝。

 

日直で仕方なく早く登校した夜須斗が教室に入ると、先客がいた。

 

「お、来た来た。おはよー。」

 

教卓横に置かれたパイプ椅子に座っていた風丘が、夜須斗に挨拶してきた。

 

「何。朝から気持ち悪い…」

 

風丘が朝から教室にいるなんて珍しい。

あからさまに変なものを見るように怪訝な表情をする夜須斗に、

風丘は少しムッとして繰り返す。

 

「おはようは?」

 

「…はよ。」

 

迫られて返したはいいが、やはり不自然さは拭えない。

今日は朝礼で何かあるのだろうか。

夜須斗は不審がりながらも、とりあえず黒板の日付と曜日を書き換えようと、

パイプ椅子に座る風丘の横を通り、教壇に上がる。

黒板消しで日付を消すと、昨日の日直が書き忘れていたのか

何かの拍子に消えてしまったのか、曜日はすでに消えていた。

改めて書こうとすると曜日感覚が抜け落ちて、

今日は何曜日だったっけ、となってしまった夜須斗は、

曜日を確認するために右手に持ったチョークを置いて、

ズボンのポケットから携帯を取り出す。

 

すると、珍しく朝っぱらから、惣一からのメッセージが届いていた。

そういえば、今日はバスケ部の朝練があると言っていた気がする。

夜須斗が深く考えずメッセージを告げる通知をタップすると、

その内容は「マジごめん!!! 風丘に気をつけろ!!!」という一文の後に、

ネズミのキャラクターが慌てている様子のスタンプが連打されている、

というものだった。

 

「え…」

 

メッセージを見た瞬間、夜須斗が振り返ると、

いつの間にか風丘は立ち上がって教室のドア付近に立っていた。

そして、ニッコリ笑って夜須斗に問いかける。

 

「ねぇ、吉野。昨日の保健室の掃除当番、どうしたの?」

 

「ゲッ…」

 

言われた瞬間、それか、と合点がいった。

 

逃げ場を探して目線を彷徨わせるが、前方ドアは風丘が完全に塞いでいて、

逃げるなら後方ドアしかない。

だが、立ち位置が微妙すぎて今走り出してもギリギリ捕まる気がする。

あれこれ悩んでいる間に風丘が迫ってきて、

夜須斗は咄嗟に左手に持ったままだった黒板消しを風丘の体に向かって投げた。

風丘の白いワイシャツにチョークの粉が色を付ける。

 

「わっ…と。」

 

風丘がそれに気を取られた一瞬で、夜須斗は風丘の横をすり抜けて、

風丘が塞いでいた教室前方のドアから脱出を試みる。

逃げてどうする、というところだが、これはもう条件反射的なものだ。

高校生になったとはいえ、最悪の結果がすぐそこに見えているこの状況で

おとなしく白旗を振れるほど、夜須斗もまだ大人ではなかったし、

仁絵ほどは躾けられているわけでもなかった。

 

引き戸の取っ手に手をかける。

 

ガシャンッ

 

しかし、ドアは開かなかった。

 

「ッチ…」

 

ガンッ

 

風丘がいつの間にか鍵をかけていたらしい。

メッセージに気を取られていてそこまで気が付かなかった。

ドアの鍵が音を立てて、

負けが確定した夜須斗が舌打ちして思わず苛立ちでドアを蹴ると、

不意に腕を取られた。

 

「もー、ワイシャツ汚れちゃったじゃない。しかもドアも蹴ったりして。」

 

バシィィンッ バシィィンッ

 

「いっ…ちょっ…」

 

ドアを蹴った右足の太ももの前と後ろ…お尻の付け根辺りを続けざまに打たれ、

夜須斗は目を見開く。焦って背後を振り返ったが、幸い誰もいなかった。

 

「久々に悪い子だねぇ吉野。はい、お部屋行くよー」

 

また腕を取られ、ここまでくればもう諦めるしかない。

 

今回も結局ダメだった。

 

事の発端となった惣一をちょっぴり恨みつつ、

それ以上に、このほんの数分で下らない罪状を2つも上乗せした

浅はかな自分が情けない夜須斗だった。