「はい、じゃあお膝おいで。」
「っ…」
連れてこられたのは仁絵の寝室で、風丘は早々にベッドに腰掛けて膝を叩いた。
仁絵がお仕置きを受けるのはかなり久しぶりだ。
風丘の繁忙期中は、どれだけ大変な生活かを間近で見てきているから、
学校でも家でも、余計な仕事を増やさないように
かなり気を遣って生活してきていた。
そもそも特に家においては、風丘は元々緩いし、
2年ほど生活してきて、どんなことで風丘が怒るのか分かってきたので、
家でお仕置きされる、という状況は気を遣わずともあまりなくなってきてはいるのだが。
「……」
久々故に恥ずかしくて、仁絵は一歩も動けない。
寝室のドアの前で立ち尽くす仁絵を、風丘がもう一度呼ぶ。
「仁絵。おいで。」
「…やだ…」
風丘の再度の呼びかけにも、仁絵はぽつりとそう零して動かない。
行かなければどうなるかは重々承知だが、
久方ぶりのこの状況に、素直に従えず抗ってしまう。
風丘は風丘で、(これはやっぱりお久しぶりな駄々っ子モードかな)と
リビングから寝室まで連れてくる時から
仁絵の甘えスイッチがほぼ入りかけていたように感じた自分の勘が確信に変わり、
内心苦笑しながら長期戦を覚悟したのだが、仁絵はそんなこと知る由もない。
「あと3つ数える内に来れなかったら、お尻ぺんぺん100回確定ね。
来れたら、50回にまけてあげる。はい、いーち。」
とにかく動くきっかけを与えてあげようと、風丘は無情なカウントを宣言した。
「やっ、待って…」
「待ちません。にーぃ。」
どう考えたって行った方が良い。50回と100回なんてすごい違いだ。
仁絵だって分かってはいるものの、
あからさまに風丘に作ってもらったきっかけで
今更言われたとおりに動くのも葛藤があって、なかなか動けない。
ようやく数歩踏み出した時には
「さん。」
カウントが終わっていた。
4歩ほど元居た場所からは進んだが、
風丘が手を伸ばしてもまだ少し仁絵に触れられないくらいの距離がある。
「もう…ほら、いつまでも駄々っ子してないの。」
「わっ…待ってやだっ…」
風丘はおもむろに立ち上がると、
あと少しだった距離を詰めて、仁絵の腕をつかんで引っ張り込んだ。
そこからはもう慣れたもので、
仁絵の抵抗をものともせず膝に固定し、履いているものを全ておろす。
「さぁ、じゃあ100だね。」
バチィィンッ
「いったぁっ」
家でのお仕置きで、(仁絵としては無意識だが)甘えモードに入っていることもあり、
仁絵は1発目から音を上げた。
しかし風丘もこうなることは織り込み済みで、動じずに罪状を並べ立てていく。
「食べ物粗末にしたこと、」
バチィンッ
「あぁぁっ」
「みらちゃんの録画消して黙ってたこと、」
バチィンッ
「いたぃぃっ」
「素直にお膝に来れなかったこと、」
バチィンッ
「うぅぅっ…」
「それから…」
風丘が一呼吸おいて言った。
「自分のこと下げて傷つけたこと。」
「え…」
最初の3つは自覚していたが、これは無自覚だった。
風丘が続ける。
「『自分の料理なんか』とか言ってたね。自分の作った料理を捨てることもそう。
仁絵自身でも仁絵の心を傷つけるようなことは許しません。」
「っ…」
指摘されて何も反論できない。
確かに、あの言葉を言った時、卵を捨てようとした時、
心がモヤモヤしたのを感じたのを自分自身がよく分かっている。
あのモヤモヤは、心が傷ついていたのだろう。
そして、身を固くする。経験上、この罪状は風丘が一番嫌うものの一つ。
風丘は、仁絵の予想通り、ひときわ高く手を振り上げた。
バッシィィンッ
「あぁぁっ!? いっ…ぅぇ…」
とはいえ痛い。お尻に真っ赤な手形がついて、仁絵の涙腺は早々に決壊した。
ぐすぐす泣いているが、
しかし、仁絵がいくら甘えモードでも風丘のお仕置きは甘くない。
「反省しなきゃいけないこといっぱいだねぇ。
それじゃ、久々にたっぷりいたーいお尻ぺんぺんしなくちゃね。」
「ぅぇ…ふぇっ…」
赤い手形の上からお尻を撫でながらの穏やかに恐ろしい一言。
そのお尻を撫でる手が離れた時…
それが、厳しいお仕置きタイム幕開けの合図だった。
バシィィィンッ バチィンッ ビシィンッ バチィィンッ バチィィンッ
「あーっ いたいっ うぇぇっ…いたいぃぃっ…」
緩急織り交ぜられた厳しい平手を間髪入れずに容赦なくお見舞いされ、
仁絵はなりふり構わず大泣きだった。
バシィィンッ バシィィンッ ビシィンッ バシッ バチィィンッ
「ひぅっ…あ~~っ! いたいっ ひくっ…いたいってばぁっ…」
「言ったでしょ。たっぷりいたーいお尻ぺんぺんだって。まだ45回だよ。
先は長いねぇー。」
「やだっ…ふぇっ…もうやだぁぁ…」
この痛みでまだ当初の50回も到達していないこと、
カウント内に素直に膝に行っていればあと5回で終わったのに、
あと5回我慢してもまだ半分しかいっていないこと、
絶望的な事実を突きつけられ、仁絵が更に泣くが
風丘は、そんなにやだやだ言っても聞きません、と更に平手を落とす。
バチィィンッ バチィィンッ バチィィンッ
「うぁぁっ…いったっ…うぅぅ~~~」
バシィィィンッ バッシィィィンッ
「あぁぁぁっ!? 待って、ちょっと待ってっ、すとっぷっ…」
「あー、こらー、手出したな?」
ちょうど半分の50回目、今日一番とも思えるいたーい1発に、
仁絵は思わず手を出して庇ってしまった。
庇ってしまったからには後戻りできなくて、
手をそのままに風丘に待って、と真っ赤な目で訴える。
「待たないよ。これは…最初からやり直しかな?」
「やだっ…待ってやだっ…」
とんでもない言葉に、仁絵は慌てて手をどける。
そんな滅多に見られない必死な様子に風丘は内心かわいいなぁ、と笑いながら、
口からはさらに意地悪い言葉。
「素直にお膝に来れなかったこともお仕置きの罪状なのに、
そのお仕置きの最中にお尻庇っちゃうんだもんねぇ…
さっきからやだやだばっかりだし、
お仕置きいい子に受けられるようになるまで
カウント止めてお仕置き付きのお仕置き受ける態度のレッスンしようか。」
「やっ…ちがう、あっ…待って、」
また「やだ」と言ってしまいそうになって慌てて口をつぐみ、言い直す。
「もうしなっ…もうちゃんとするからっ…つ、続きにして、
ふぇっ…ごめんなさいっ…
すぐいかなかったのも、手出したのもっ…」
必死すぎて無意識なのか自然に「ごめんなさい」まで出た仁絵。
縋るようなその様子に、風丘は虐めすぎたな…と少し反省して、
仁絵の乱れた髪を整えながら分かった、と頷いた。
「じゃあ、さっきの50回目だけもう1回。
次庇ったらほんとに一旦カウント止めるからね。あぁ、あと…」
「!?」
このタイミングで、風丘は足を組んだ。
まさかの展開に仁絵が固まると、風丘はにっこり一言。
「さっきの倍は痛いのいくから頑張って。」
「っ…」
仁絵が息をつめたその瞬間。
バチィィィィンッ バッチィィィィンッ バッチィィィィンッ
「いたぁぁっ…ふあぁっ!?…ふぇっ…いたぁぁぁぁぃっ!」
もう手を出すわけにいかない仁絵は、シーツを握りしめて耐えようと必死に身構えた。
そこへ1発落とされて、何とか耐えたと思ったら、
それを超える2発が立て続けに降ってきたのだ。
いきなり膝を組んできた上に、
どう考えてもとりあえず1発であろう展開でこの仕打ち。
なんとか耐えたものの、
これで仁絵が手を出したら「レッスン」が始まっていたかと思うとなんてドS。
お仕置き中でなければ確実にバカ鬼悪魔とか叫んでいた。
が、口に出したらどんな恐ろしい展開が待っているかわからない。
仁絵が泣きながら頭の中で風丘への悪口を次々と思い浮かべていると、
突然頭を撫でられ、ふわっと抱き起された。
「うぇっ…?」
「ふふっ…あー、ダメ、可愛すぎ、あはははっ…」
風丘の膝の上で抱き上げられているような体勢で顔を覗き込まれた。
目が合った瞬間、風丘に思いきり笑われ、
仁絵の頭の中は悪口に替わって一瞬で?に埋め尽くされる。
「予想通り、『このドS、鬼、悪魔』って顔してるね。」
「なっ…ちがっ…」
あっさり見透かされ焦る仁絵に、
風丘は、いいよいいよ、とクスクス笑いながら続けた。
「まぁ、ちょっと虐めすぎちゃったしね。
口に出したわけじゃないし、ちゃんと手出すのも我慢してたし。」
「んっ…」
また頭を撫でられ、それで?と問われた。
「ちゃんと反省できた?」
「ん…ごめん…なさい…」
風丘の問いに、仁絵が俯いてぽつりと言うと、
風丘は仁絵の頬を両手で包み、顔を上げさせた。
「…よし、じゃあお仕置き終わりかな。」
「え…っ」
目を合わせてにっこりと微笑まれ、仁絵が目を丸くすると、風丘が可笑しそうに笑う。
「なーに、嬉しくないの?」
「だって100って…まだ50…」
「まぁ、足組んで今までよりいたーい平手にしたから1発で15発くらい換算?
不意打ちの精神攻撃も含めて。
で、あと5発分は…」
風丘は仁絵のおでこをつん、と人差し指で突いて笑った。
「みらちゃんに正直に言って謝ること。
あの様子じゃ、俺がみらちゃんと出掛けちゃったからわざと消したんでしょー。」
「う…」
幼稚な行いをズバリ指摘され、仁絵が恥ずかしさに目をそらす。
「もう。嫌がらせもかわいいんだから。
でもちゃんと謝らなきゃダメ。お約束できる?」
「…うん。」
「はい、じゃあお仕置き終わりっ 頑張ったね~~」
「ふっ…うぇっ…ふぇぇぇぇぇっ」
風丘のその一言と笑顔で、仁絵の感情は箍が外れて爆発し、
風丘に大泣きで抱き着いた。
お仕置きが終わってホッとしただけでなく、
ここ数週間風丘と過ごす時間が減っていた
寂しさも(もちろん仁絵は無意識だが)あるのだろう。
そんな仁絵を、風丘はニコニコ受け止める。
背中を撫でながら、ありがとね、と仁絵に優しく語り掛ける。
「みらちゃんも絶賛してたけど、ご飯、すっごく美味しかった。
わざわざご馳走作ってくれて。それも嬉しかったし、
あと、忙しい間気遣って家事とか全部やってくれるのも、本当にありがとう。
いつも助かってるよ。」
「っく…っうん…」
風丘の肩に額をのせて、仁絵が恥ずかしそうに頷く。
あぁ、あとそれから…と風丘が笑う。
「俺が忙しい間、必要以上にいい子になろうとしなくていいんだよー?
構ってほしいなら、かわいい悪戯とかおっちょこちょいくらいしてもいいのに。
ちょっとしたお尻ぺんぺんなら俺も気分転換になるし?」
「なっ…なっ…」
まさかお仕置きされないように気を遣っていたことも見透かされ、
それを指摘されからかわれ、
仁絵は恥ずかしさに耐えられず真っ赤になって絶叫した。
「風丘のバカァァァァッ」
あの後少しお尻を冷やし、なんとか仁絵が落ち着いて二人でリビングに戻ると、
空城がソファに寝転んでスマホを眺めていた。
二人に気付くと、スマホをローテーブルに置いて起き上がる。
「お、終わったー? 買い出しから戻ってきてもまだ降りてこないからさぁ」
でも泣いてる声とか聞こえなかったな…と一人考え込む空城に、
お仕置き中の声は聞かれなかったらしいことに仁絵はホッとしつつ、
今日はぐずぐずになってしまったから回復までにだいぶ時間がかかり、
そのことを風丘が触れないかひやひやする。
「終わった後、ちょっと話し込んじゃって。」
「ま、そーだよね。あ、ねぇねぇ、それでさっ」
「あの、空城…」
風丘の雑な説明にあっさり納得した様子の空城が買い出しの袋を手にしようとした時、
仁絵が空城に声をかける。
「さっきの録画の話…あの…」
「あぁ、そうそう、それが…」
「俺がわざと消した…ごめん…なさい…
なんかあの…二人で出掛けてったあとなんか…」
むかついて…と説明しながら、
我ながらなんて恥ずかしい理由だと仁絵の語尾がどんどん小さくなっていく。
そんな仁絵を見て、一瞬きょとんとした空城は、話を理解したのか豪快に笑った。
「アッハハハハ、なんだやっぱそーゆーこと!
よかったー、いや、やっぱほら、あの瞬間はなんで!?って思ったけどさ、
あの後時間置いて冷静になればなるほど、
そんなに仁絵に嫌われるようなことしちゃったかなとか
なんかもっと悪い方向に考えちゃってさ。
なんだなんだ、葉月の家族に嫉妬してもらえるような存在になれてるってことなら
喜ばなくちゃな!
花月ちゃんはあんまり私に対してそういうの出さないからさー。」
空城からさらっと風丘の「家族」と言われ、
訂正しようという気持ちより嬉しさが勝る。
仁絵が風丘の約束を果たし、空城にも許してもらえそうでホッとしていると、
それでねそれでね、と空城が続ける。
「もう放送から1週間経ってたからあきらめてたんだけどさ、
特番だからかまだ配信残ってるんだよね!
ってことで、おつまみも追加のお酒も買い出ししてきたしっ 見ながら飲も!
葉月ももう飲めるでしょ?」
「フフッ、そうだね。そうしようか。」
こうして、3人仲良く団欒、大団円、となるはずだったのだが…。
「っていうか、私が録画消されたんだから、
私だって仁絵にお仕置きする権利あるんじゃないのー。」
「え…」
「もー、みらちゃん? 仁絵君はもうそれ謝ったでしょ。」
酔った空城がとんでもないことを言い出し、
仁絵は自分が悪いのは重々承知なので反論できずに固まり、
風丘は苦笑して水の入ったグラスを空城に差し出す。
一人夕食の時から飲んでいる上に好きなテレビ番組を見てご機嫌だった空城は
もうだいぶ出来上がっていた。
気に入った番組はディスクにダビングしたりして残しているから、
配信で見れるとはいえ、消された惜しさはやっぱり残っているのだろう。
酔っ払って本音が出てきている。
「飲みすぎだよ~? ほら、お水飲んで…」
「私にもちょっと叩かせろ!」
「え…あっ」
「あ、こらちょっとみらちゃ…」
風丘の制止も聞かず、空城は仁絵の腕を引っ張った。
空城は一般的な女性より力が強い。
そして、酔っぱらいは力の加減ができない。
空城とはいえ女性相手、
しかも自分に後ろめたいことがある状況で抵抗できなかった仁絵は
あっさり捕まってしまった。
そして…
ベシィィィィンッ
「っあぁ~~~~っ…」
数時間前にお仕置きされたばかりのまだ赤く腫れているだろうお尻に、
服の上とはいえ、恐らく全力の平手を食らった仁絵はその場に崩れ落ちる。
しかし空城は、今度はそんな仁絵の腰を抱えようとしてきて、
仁絵がさすがに勘弁してくれと風丘に助けを求めようとした時。
「実嵐? その辺にしておかないと明日の朝もっと後悔するよ?」
風丘の低い声で、空城が動きを止めた。
冷たい嫌な空気がリビングに漂う。
「も、もー、やだなぁ、冗談だよー」
その一瞬で酔いが少し落ち着いたのか空城が仁絵から離れ、
風丘からの冷たい空気も薄まり、仁絵もホッとする。
「って…」
お尻を擦る仁絵に、風丘が申し訳なさそうに背中をポンポンと叩く。
「ごめんね、仁絵君。大丈夫?」
「まぁ…俺悪かったし…でも酒癖悪すぎ…」
しかし結構なことをやっておいて、
空城はもうけろっとテレビの前に戻って大笑いしている。
「今日はなかなか飲んでるねぇ…」
外じゃこんなことないんだけど、という風丘の言葉。
楽しそうにケラケラ笑う空城を見て、二人して苦笑するしかなかった。
「おはよー…」
「…はよ。」
その夜は結局空城も泊っていったのだが、
翌朝、起きてきた空城が朝食を食べるとき、
心なしか椅子に座るのを躊躇していたように見えたのは、
知らなかったことにしよう、と
昨日の空城との出来事も含めて一連の記憶を消そうと試みる仁絵なのだった。