「ミャケ~ トラ~ タマ~ 遅くなってごめんね、ご飯だよ~」
6月に入り、梅雨の足音が近づいてきた頃。
ある日の昼休みも後半、洲矢は校庭から保健室のベランダに向かい、3匹の名前を呼んだ。
中学生の頃、大分痛い思いをしながら校内で飼う許可を勝ち取った3匹の猫たちは、その後もすくすく成長していた。
普段は保健室教師の雨澤や、何だかんだ校医の雲居が面倒を見てくれて、
洲矢が熱心に通っている以外、4人や猫の存在を知っている生徒たちは気が向いたときに構いに行く程度だったが、
気まぐれな猫たちにはそれがちょうどいいようで、平和に飼われていた。
この日は、雨澤が休みの日で、雲居も午後にならないと来られない。
洲矢はそのことを昨日雨澤から聞いていて、昼ご飯をあげに行かなきゃと思っていたのにすっかり忘れてしまった。
急ぎ保健室のベランダに向かい、3匹の定位置の寝床を覗いた時だった。
「トラ…? え、トラは!?」
三毛猫のミャケと白猫のタマは寝床で丸くなっているが、トラ猫のトラがいない。
辺りを見回してもそれらしい影はない。
「どうしよう… ご飯探しに行っちゃったのかな…」
元々トラは他の2匹に比べて活発で、
どこからかトカゲやらヤモリやらを捕まえてきて女子たちを絶叫させていることもあった。
いつもの時間にご飯が来ないから、獲物を探しに行ってしまったのだろうか。
このまま待っていて帰ってくればいいが、そんな保証もない。
ここ数年おとなしく飼われているものの、本能的には3匹とも野良猫だ。
「校内だけでも…探してみようかな…」
何かあったら遅い。洲矢はそう思い、とりあえず用意したご飯を置いて2匹の頭を撫でると、トラ探しに出発した。
「トラ~ トラどこ~!? ご飯あげるからお家もどろ~!」
3匹は飼われ始めてから雨澤が校舎に入らないよう厳しく躾たようで、
今では決して校舎の中には入ろうとしない。
洲矢はいるなら外だろうと見当をつけ、
トラの名前を呼びながら、猫が好みそうな隠れる場所の多い校庭の隅を中心に歩き回っていた。
そして十数分が経過した頃、突然
“ニャァー”
「トラ!?」
猫の鳴き声が聞こえた。振り返ると、校庭と外の道路を隔てる塀の上にトラの姿。
洲矢はギョッとして、慌ててトラを呼ぶ。
「えっ、こらトラ、ダメだよ、こっちおいで!」
手招きをするものの、トラは洲矢をじっと見つめて動かない。
「もー、トラ!!」
そして、焦る洲矢をからかうつもりか、普段自分を叱らない洲矢に大きい声で呼ばれたのが癪だったのか。
トラの気持ちは分からないが、トラは柵から、なんと道路側に降りてしまった。
「ちょっ…トラ待って!!」
洲矢は意外と思い立ったら即行動派だ。
トラが飛び降りたのを見て、一目散に一番近い校門に走った。
午後の授業開始5分前の予鈴が鳴っていたことも、
雲行きが怪しく西の空には真っ黒な雲が浮かんでいることも、
携帯電話は教室の机の中に入れっぱなしのことも、頭の中には1ミリもなかったのだった。
「なー、洲矢遅くね?」
授業開始10分前。
空が暗くなってきたからと早めに屋上から引き上げてきた4人だが、教室にまだ洲矢の姿はなかった。
「まだミャケたちに夢中なんじゃない? 洲矢大好きだよねー」
「いやー、マジであいつらのために俺らはケツを犠牲にしたからな…」
惣一が遠い目をすると、つばめも横でうんうん、と頷く。
何回その話するんだ、と仁絵が苦笑しながら2人に突っ込むのを聞きつつ、
夜須斗も内心あの時のことを思いだしてため息をつき、自分の携帯を手に取った。
「今日雨澤いないからそろそろって声掛けてくれるのがいないんじゃない?
とりあえずメッセージ…ってあいつ携帯置きっぱなしじゃん…」
机の中にある洲矢の携帯が見えて、夜須斗はあーあ、と携帯を机に置く。
「ほっとけよー、予鈴鳴ったら気付くだろ。」
「そーそー、遅刻したって数分でしょ。次の授業水池だし、大丈夫だって!」
惣一とつばめの言葉に、夜須斗がそれもそうか、と思い直したタイミングで予鈴が鳴る。
すると、1人ぼんやり窓の外を眺めていた仁絵がボソッと呟いた。
「悪ぃ、夜須斗。俺5限洲矢とサボり。水池誤魔化しといて。」
「はぁ? 仁絵、洲矢どこにいるのか知ってんの?」
「これから探す。」
「「「…はぁ?」」」
置いてけぼりの3人に目もくれず、
仁絵は教室の出口にある傘立てからもはや持ち主不明の使い古されたビニール傘を1本手に取り、
教室から出て行った。
ちょうど授業に向かう水池にその姿を見られ背中越しに声をかけられたが、
聞こえないふりをして、玄関に向かった。
仁絵が眺めていた窓から見えたのは、校門に向かって走る洲矢の姿だった。
大方、猫が逃げでもしたのだろう。
放っておけば良いとも思ったが、周りが見えていない洲矢の危なっかしさを仁絵はよく知っていた。
猫のことになるとかなり無我夢中になる様子だし、携帯も持っていないし、万が一のこともある。
水池の授業と天秤にかけたら即決でこちらを取ってしまった何だかんだお人好しの仁絵だった。
「さて…どう探すか…って…これしかないか…」
校門を出てどちら側に曲がったかまでは視認していた。
そして、ここからは…。
仁絵は息をつくと、制服のポケットから携帯を取り出して何やらメッセージを打ちつつ、校門を出た。
「トラ! 待ってぇ~~~(涙)」
一方洲矢は、何とか校門を出て少ししたところでトラを見つけたものの、
トラは走り出して全然止まってくれない。
体育があまり得意でない洲矢は、周囲の人には目もくれず、必死ですばしこいトラを追っていた。
しかし、なかなか追い付けない。
これがつばめならあっという間に追い付けるのに!と心の中で思うもののどうしようもない。
そんな折、追い討ちをかけるようにポツポツと雨が降り出した。
「うわ、雨っ…」
しかも雨はあっという間に勢いを増してくる。
すると、トラも濡れるのを嫌がったのか、路地裏に入り、
そのまま突き当たりにある、古ぼけた「テナント募集中」の看板と、
後から付け足されたのか鎖に「立ち入り禁止」の看板がくくりつけられた
いかにも廃墟風の建物の中に入って行ってしまった。
「ちょ、ちょっとトラダメだよーーっ」
洲矢も流石に一瞬躊躇ったが、結局そのまま追って、建物の中に入った。
「もーっ、トラ… 追いかけっこしたかったの?」
建物の中に入って、しばらくしてすぐトラは捕まった。
満足したのか洲矢を見ても逃げないどころか自ら洲矢にすり寄ってきたのだ。
洲矢は脱力しつつも安心して、トラを抱き上げた。
「それにしても困ったねぇ…外大雨だ…」
傘も当然持ってきていないし、ここでようやく、携帯を教室に置きっぱなしなことにも気が付いた。
あー、これは怒られる…と、内心焦ったが、今この天気の中出て行ってトラをずぶ濡れにするわけにもいかない。
落ち着くまでここにいるしかないか…、と洲矢がトラを抱きしめて座り込んだ時だった。
「ったくいきなり降りすぎだろ」
「濡れたー うぜー」
「タバコ無事ー?」
「!!!」
洲矢が座り込んだ場所からほど近いところに、柄の悪い男が4人ほど入ってきた。
ほぼ全員いきなりタバコを吸い出したが、制服を着ているから高校生のようだ。
勝手知ったる、という感じなので、いつもたまり場にしているのだろう。
(どうしよう…。)
勝手に入り(それ自体は向こうも一緒だろうが何となく)、
タバコを吸っているところを見てしまった。
バレたらまずいかも、と洲矢が困り果てて縮こまって必死に考えを巡らせている時だった。
“ニャァー”
「ちょっ!! トラ!!?? ヤバッ…」
突然トラが鳴き声を上げた。それに慌てて洲矢も声を上げてしまい、
咄嗟に自分とトラの口を押さえるがもう遅い。
「なんだお前!」
あっさり見つかってしまい、洲矢が涙目で何も言えずにいると、どんどん男たちが詰め寄ってくる。
「何勝手に入って見てんだよ!」
「ご、ごめっ…」
「口止め料。財布置いてけよお坊ちゃん。」
「お、お財布、今持ってなくてっ…」
「あ゛あ゛!? 金がないなら、痛い目見てもらうしかねぇなぁ?」
そう言って男の1人が洲矢の胸ぐらを掴もうと近づいた時だった。
ガンッ
「ってぇっ!?」
どこからともなく飛んできたのはビニール傘。
洲矢に近づく男の体に当たり、男がよろめいて後ずさる。
「その辺にしろよ。そんなの殴ったって張り合いねぇだろ。」
そう言って暗がりから出てきたのは仁絵だった。
「ひ、ひーくんっ」
「あんまりこういう場面で気安く呼ぶなって…」
仁絵はため息をついて、男たちに向き直る。
「お、お前、女王っ…」
そう呼ばれ、仁絵が眉間に皺を寄せてそのかつての二つ名を呼んだ男を睨むと、男はすぐに口を噤んだ。
仁絵は男と洲矢の間に落ちたビニール傘を取り上げると、自分の背後に洲矢を隠す。
「たまり場荒らして悪かったな。こいつは連れて帰るから。」
「あっ…もしかしてメッセージのっ…」
そう言って一番後ろに控えていた男が携帯を取り出そうとすると、
仁絵は持っていたビニール傘を振り上げ突然床を叩いた。
ビシィィィンッ
「ひぃっ!?」
「メッセージ、読んだらすぐ消せって書いてあったと思うけど?」
「け、消します消しますごめんなさいっ」
「勝手に入り込んだのはこっちだから、ここのことは口外しない。
その代わり、そっちもこっちのことを誰にも話すなよ。」
そう言って、仁絵は髪をかき上げながら微笑んだ。
「俺もう、喧嘩したくないから。」
「ありがとう。またひーくんに助けられちゃった。」
「まぁ、勝手に追っかけただけだけどな。」
あの後、固まる男たちを残して仁絵は洲矢を連れて廃墟を出た。
床をぶっ叩いたビニール傘は、骨が曲がったものの何とか無事で、2人仲良く傘に収まって学校に戻っている。
「どうして分かったの?」
「まぁ、昔の嫌なネットワーク使ってな。
昔知り合って、俺にびびって敵対してこない奴ら何人かに、
制服姿で猫追いかけてる浮いてるヤツいたら連絡しろってメッセージ送った。」
「それで、さっきの人もメッセージ、って…。」
「昔の繋がりはあんまり使いたくねーんだけど…、
この時間帯にうろついてるヤツを探すんだったらそれが一番手っ取り早いからな。
…これ、風丘には黙っとけよ。面倒くさいから。」
「うん。分かった。…風丘先生に、怒られるかなぁ…。」
「…だろーな。水池は夜須斗に頼んできたけど、風丘は最初から諦めた。」
時間は帰りのホームルームも終わって完全に放課後になっている。
実は仁絵の携帯にはもう数件風丘からの着信と留守電が入っていたが、
どうせこの後説明させられるのだから面倒なことは後回しにしようと、見て見ぬ振りをしていた。
「まぁ、結果的にはただのサボりだしそんな厳しくされねーだろ。」
「うぅ…そうかなぁ…」
不安げにトラを抱きしめて俯きながら歩く洲矢に、そう思うなら追いかける前に相談をしろとも言いたくなるが、
意外と猪突猛進なのが洲矢だしな、と仁絵は1人納得し、洲矢の腕の中にいるトラの額をくすぐった。
「ったく…お前のために洲矢が尻叩かれんの2回目なんだからな。お前もちょっとは反省しろ。」
“ニャーン”
「もう…2人とも意地悪…」
ストレートに言ってくれた仁絵と暢気に鳴くトラを、恨めしそうに見つめる洲矢なのだった。
「佐土原…柳宮寺…全く2人とも…」
学校に戻った途端、玄関で待ち構えていた風丘に部屋まで連行され、部屋に着くなり説明を求められ、
しどろもどろの洲矢と淡々と話す仁絵の説明が終わった途端、お説教が始まった。
「先生ごめんなさい…」
「佐土原、思い立ったらすぐ行動って良い時と悪い時があるよって言ったでしょう。
今回みたいなことは、まず相談して欲しかった。
僕らが捕まらなくても、誰かに何か一言残していくとか。」
「はい…。」
洲矢が申し訳なさそうに俯く隣で、仁絵は気怠げに立っている。
その姿を見て、風丘は苦笑いして仁絵に呼びかける。
「柳宮寺はもうちょっと反省してるフリできないのかなー?」
「いや、別にただのサボりじゃん。俺ちゃんと連絡したし。」
「あのねぇ…。『俺と洲矢5限からサボり』ってだけのメッセージ、
何にも説明になってないんですけど。」
「風丘嘘ついたらよけい怒るから、正直にサボりって言ったんじゃん。
説明はどうせ後でさせられるから割愛。」
全く悪びれない仁絵に、ハァ、と息をつきつつ風丘も笑った。
「まぁ、嘘つきのお仕置きは厳しいからね。それを覚えててくれてるだけ成長としますか。
でもお仕置きはするよ、とりあえず柳宮寺おいで。」
風丘が仁絵を呼ぶと、慌てて洲矢が割って入る。
「せ、先生待って、ひーくんは僕を心配して来てくれただけですっ」
「そうだねー。でも、サボりはサボりでしょう。柳宮寺もそれぐらいの覚悟はした上での行動だっただろうし。」
「いや、まぁ…。」
「サボりのお仕置きは佐土原にもするからそこは平等にしなくちゃね。
あー、じゃあ2人一緒にする? そこのテーブルに手着いて。」
「いやそれは…」
「せ、せんせぇ僕そんなつもりじゃ」
突然の提案に仁絵は面くらい、洲矢は余計に仁絵に嫌な思いをさせてしまうと狼狽える。
「2人仲良く受けるなら服の上から物差しで5発にしてあげる。」
風丘に続けざまに迫られ、最初に諦めたのは仁絵だった。
息をつくと、洲矢の腕を取って風丘に示されたローテーブルまで連れて行き、自分はさっさと手をつく。
「とろいと服下ろせって言ってくるぞ。」
「う、うん…」
仁絵の反応に驚きつつも洲矢は急いで自分も手をついた。
「はい、よく出来ました。」
ビシィィィンッ ビシィィィンッ
「っ…」「いたぁぁぁぃっ」
ビシィィィンッ ビシィィィンッ
「ぅ…」「いたいぃぃっ」
仁絵は身動ぐもののほとんど声を出さないが、洲矢はすぐに悲鳴を上げた。
お仕置き経験が少ない上に、やっぱり相手は洲矢といえど風丘は威力を高校生仕様にきっちり上げている。
ビシィンッビシィンッ ビシィンッビシィンッ
「っく…」「うぅぅ…いたぁぃっ…」
右左と連打の後に最後の1発。
「さーいご。」
ビシィィィィンッ ビシィィィィンッ
「っぁっ…」「やぁぁぁっ」
ちょうどお尻の天辺にクリーンヒットの一撃をもらって、サボりのお仕置きは終わった。
カタン、と風丘が物差しを2人が手をついていたローテーブルに置き、2人の背中を叩く。
「そしたら仁絵君はもうおしまい。どんな理由があれ、サボったらお仕置きなんだから、程々にね。」
「ん。…洲矢。先出てる。」
「うん…」
不安そうな瞳の洲矢を見て、仁絵は少し意地悪な笑みを浮かべて言った。
「待ってるよ。その間にもう1人の戦犯いじめてるわ。」
「そ、それはダメぇっ」
慌てて声を上げる洲矢に、仁絵は冗談だよ、と吹き出す。
「とっとと終わらせて早く来いよ。」
そう言って、部屋を出ていった。
「さて、後は佐土原は黙って学校出て行ったお仕置きね。
今回は仁絵君が気付いてくれたからいいけど、心配するでしょう。」
「はい…先生、ごめんなさい…。」
「ちゃんとすぐ反省してごめんなさい言えるのは佐土原の良いところなんだけどね。
今日はちゃんとお仕置きするよ。はい、お膝おいで。」
ソファーに座った風丘の膝に恐る恐る乗ると、
あっという間に履いているものを全て下ろされ、赤い筋がうっすら入ったお尻が露わになる。
洲矢が身を固くしていると、頭上から思ったよりも厳しい風丘の声が降ってきた。
「そうだねぇ…あと30発と仕上げ、ってところだね。
でも…佐土原にもそろそろこの『思い立ったら即行動!』の
危なっかしいところ考えられるようになって欲しいから、
いつもよりもちょっと痛くしようかな。
今度何か行動する前に、もうあんな痛いのやだ、って思えるようにね。」
「えっ…せんせっ…」
洲矢が振り返ろうとしたが、それよりも先に痛みが襲ってきた。
バチィンッバチィンッバチィンッバチィンッバチィンッ
バチィンッバチィンッバチィンッバチィンッバチィンッ
「っ…!?!? いやぁぁぁぁぁっ」
息つく間もない10連打に、洲矢は一瞬息が詰まり、その後大声を上げた。
間違いなく今まで洲矢が経験したお仕置きで一番の痛みだった。
痛みを感じた瞬間に次の痛みで上書きされて、
10回分の平手が蓄積された痛みはお仕置き経験の少ない洲矢には衝撃的なものだった。
「せんせっ…それやっ…もういやぁっ…」
ポロポロと泣きながら訴えるが、これで絆されてくれるほど風丘は甘くない。
「ダメだよ。これをあと2セット。」
「ちゃんとっ…ちゃんと受けるからっ…その叩き方は嫌ですぅっ…」
「ダーメ。嫌だからお仕置きになるんでしょう。はい、我慢ねー。」
洲矢の訴えは無情にも受け流され、次の連打が始まってしまった。
バチィンッバチィンッバチィンッバチィンッバチィンッ
バチィンッバチィンッバチィンッバチィンッバチィンッ
「いたぁぁぁぃぃっ もういやぁぁぁっ」
「あー、こらこら、あんまり暴れない。」
珍しく洲矢がなりふり構わず足をバタバタさせるので、
風丘は少し驚きながら、押さえ込んで両の太ももをペシペシ叩いて注意する。
「あんまりイヤイヤしてると最後の1セットの平手、厳しくしちゃおうかな?」
「っ!!?? いやぁっ…もう無理ぃぃ…」
「この痛いお仕置き、ちゃんと覚えておこうね。」
風丘の膝の上でシクシク泣く洲矢の頭を撫でながら、風丘はしっかり最後の連打の手を振り上げた。
バチィンッバチィンッバチィンッバチィンッバチィンッ
バチィンッバチィンッバチィンッバチィンッバチィンッ
「うわぁぁぁぁぁんっ」
3セット目の10連打が終わると、洲矢は大泣きで風丘の膝からずり落ち、しがみついて更に泣いた。
よほど痛かったのだろう。目を真っ赤にして泣きはらす洲矢に、風丘は困ったように呼びかけた。
「佐土原。」
「!? せんせっ…なんでっ…」
まだ名字で呼ばれたことに、洲矢は涙いっぱいの大きな目を更に見開いて、
信じられないものを見た、という驚愕の顔をした。
「まだ仕上げがあるよ。ここから、1つ選んで、それで3発。物差しはさっき使ったからそれ以外ね。」
「そんなっ…もう無理ぃ…」
ソファ横に置いてあった衣装ケースの蓋を開けて指し示され、洲矢は悲痛の声を上げた。
中身は、物差しがまだマシと思えるほどの凶器の数々。
「せんせぇ…」
「…しょうがない。そしたらあんまり痛くないのを俺が選んであげるから。」
衣装ケースから顔を背けてしまった洲矢を見て、
風丘が苦笑いで衣装ケースから取り出したのはスリッパだった。
一度仁絵に使ったとき、音が大きくて仁絵曰く「恥ずかしいからやだ」な道具らしいが、
痛みはそうでもなかったらしい。
痛みに強い仁絵の意見ではあるが、まぁ靴ベラや洋服ブラシよりはマシだろう。
「はーい、おいで。」
「いや、もう痛いの嫌です~~~」
引っ張り上げられ、再び膝の上にセットされながら、最後の懇願をする洲矢だったが、
ろくな抵抗にもならず、すぐに仕上げの3発がお見舞いされた。
パチィィンッ パチィィンッ パチィィィンッ
「あぁぁぁんっ ごめんなさいぃぃぃっ」
洲矢の泣きながらの「ごめんなさい」を聞いて、
大泣きしながらも最後はちゃんと謝るのが洲矢らしいな、と風丘は微笑ましく思うのだった。
「…で? これどういう状況?」
猫たちにちょっかいをかけつつ待っていた仁絵が、意外と長いな…と思い始めていた頃。
突然風丘から「ごめん仁絵君、ちょっとヘルプー」という
これこそ「何にも説明になっていない」メッセージが届き、仁絵が風丘の部屋に戻ってみると、
目を真っ赤にした洲矢が駆け寄ってきて仁絵の背中にしがみついた。
「ちょっとお仕置き厳しかったからかなぁ…。怖がられちゃって。」
仕上げ終わった瞬間、お尻しまって膝から降りて、こんな調子なんだよねぇ、
と言う風丘に、仁絵が目を丸くする。
「は? 厳しくしたの? 何で?」
「ひーくん嘘つきだった…」
「え、いや…」
予想が外れて驚く仁絵に、洲矢がボソッと拗ねたように言って、仁絵も困ってしまう。
そのやり取りを聞いて、あー、と風丘は困ったように笑った。
「洲矢君が後先考えないで行動しちゃうの、結構危なっかしいって前から思ってたからね。
今回ちゃんとお灸を据えておこうと思ったんだけど…タイミングが悪かったかな。」
「あー…」
むしろ自分が余計なことを言ったな、と仁絵は頭をかき、背後霊のように動かない洲矢に声をかけた。
「尻冷やしたのかよ。厳しかったんだろ。」
「…まだ。」
「ちゃんとやってもらえよ。散々引っぱたいてきたのはあっちなんだから。」
「うぅ…先生怒ってる…」
「いやもうどう見ても怒ってねーだろ。ほら…」
仁絵が洲矢を風丘の前に連れて行く。
洲矢が仁絵の後ろから顔を出し、怖ず怖ずと風丘を見上げる。
「あの…せんせっ…」
「そんなに怖がらないで。もうお仕置きはおしまい!」
そう言って風丘が頭をポンポンと撫でると、
ようやく安心したのか洲矢はまた涙をこぼして、
「先生ごめんなさい~~~」と泣きながら抱きついた。
それを見届けた仁絵がそっと部屋を出た後、
やっと洲矢は真っ赤なお尻を冷やしてもらい、痛ーいお仕置きは幕を閉じたのだった。
とは言え、洲矢にとってあのお仕置きは風丘の狙い以上の効果を発揮してしまい、
しばらく自分だけではなく、惣一たち4人までもお仕置きを受ける事態を回避させるべく、
4人がちょっとした悪さをしようとすると半泣きで制止する洲矢、
という図が続くことになった。
その間仁絵は、洲矢のプライドを守るため直接聞かなかったものの、
(風丘のヤロー、洲矢に何したんだ…)と独り考えあぐねる日々なのだった。