仁絵の考査は他の3人から少し遅れて始まった。
霧山のボランティア先と調整をとる必要があったとかで、
具体的な行き先や内容等を聞かされたのは3人が考査クリアを決めた後だった。
「2週間ほど同じ保育園に通うスケジュールが元々入っていたので、そこにお願いしました。
慣れてから実践できる環境の方がやりやすいかと思いまして。」
水・金・土の週3日を2週間。最初の1週間は子どもたちと遊ぶことメインで読み聞かせは霧山のやるのを見て、
翌週は読み聞かせもやるように、とのことだった。
具体的にわりとちゃんと組まれているスケジュールを見せられ、きっちりしてるな、というのが最初の感想。そして次は。
「保育園ねぇ…」
不安さが声ににじみ出たのか、霧山が吹き出した。
「くすっ…子どもは苦手ですか?」
霧山の問いかけに、仁絵はわかりきったことを聞くなと顔をしかめた。
「得意も苦手もチビなんてほとんど関わったことねーし…
この見てくれで子どもが寄りつくわけねーじゃん。」
「おや、意外と子どもというのは見た目は気にせず中身重視の生き物ですよ。
5歳の子に『金髪=不良=怖い』なんて方程式ほぼほぼありませんから。
それは成長と共に偏見という弊害を身につけてからのものです。」
その点、ここの園の先生方は理解があって貴方の見た目は気にされませんでしたよ、とサラッとフォローしてくれるのが憎たらしい。
そもそも霧山がボランティア先に選ぶような所だ。霧山と価値観が合う施設なのだろう。
「配慮いただきどーも…」
「ただまぁ、仏頂面は少しマイナスポイントですよ。
無理にとは言いませんが、出来るだけにこやかな表情を心がけてくださいね。」
それは金髪誤魔化すより難易度高いな…と、仁絵は顔を引きつらせるのだった。
1週目。結論から言えば、仁絵の心配は杞憂…どころか、全く別の悩み事が発生することになった。
「仁絵にーちゃん! ご本の時間になるまでサッカーしよー!!」
「あおい君たちずるーい 仁絵おにーちゃんはあかねたちとお絵かきするのっ」
「あかねちゃんとかゆかりちゃんとかおととい最初にずーっと一緒に遊んでたじゃんっ」
「こうた君たちご本の時間の後ずーっと体操一緒にしてもらってたでしょー」
「何でもいいから順番決めてくれ…」
初日。
それなりに緊張していた仁絵を待っていたのは盛大な園児たちからのラブコールだった。
長い髪を邪魔にならないように束ねた出で立ちが女の子たちの興味を誘ったのか、自己紹介してすぐに取り囲まれて質問攻めだった。
女の子みたい!かわいい!きれい!と思いっきり地雷を踏み抜かれたが、
からかい混じりではなく純粋な好奇心からの言葉だと分かるからか許せてしまった(それは本当に良かったと自分でも思った)。
その後の読み聞かせの時間では、仁絵の膝の上を巡ってじゃんけんバトルが勃発し、
喧嘩になりかけて仕方なく女子と男子の勝ち残り1人ずつをあぐらをかいた右足と左足両側に乗せるはめになったし、
終わったらそのまま体操室に連れて行かれ、
側転が上手く出来ないという男の子に見本を見せろとせがまれやってあげてしまったのが運の尽き。
逆立ちできる? バク転できる? とせがまれ、絶対に真似しないという条件の下バク転をやらされてしまった。
そして1日空いた今日もさっそく仁絵の取り合い。
そう、仁絵はとても子どもウケが良かったのだ。
自分でも理由が分からない。霧山のアドバイス「にこやかに」、は全く実践していないし、
むしろこちらから意識して絡みに行ったりなど一ミリもしていない。
全部向こうから寄ってくるのだ。
泣いて怖がられる覚悟で臨んでいたからむしろ良かったのだが、全く心当たりがなくて初日終わり首をひねっていたら、
霧山に「言ったでしょう、意外と子どもたちは中身を見ているんですよ」と笑われた。
「中身ったって…中身にも子どもウケいい要素微塵もねぇけど…」
結局理由は分からずじまい。
仁絵は疑問を抱えたまま2日目に臨んでいた。
これだけ人気者なら、今日からでもいいでしょう、と無茶振りされ、読み聞かせも今日からやることになっていた。
霧山が1冊、仁絵が1冊。
実は初日に霧山が読み聞かせているところを見て、予想外の上手さに(正直なところドS眼鏡冷血漢と思っていたので)驚きを隠せなかった。
自分はあんな風には出来ない、と言えば、貴方なら一生懸命読めば大丈夫ですよ、とあっさりしたアドバイスしかくれなかった。
それを聞いて、何を根拠に、とブツブツ文句を言いながらボランティアに出掛ける前にちゃんと選んだ本の報告と下読みを真面目にやる姿を
霧山が微笑んで見守っていたことに仁絵は気付いていなかった。
「…それでもかぶは抜けません。」
「いつになったら抜けるのー」
「俺知ってるよ、このあとねぇ、猫が来てぇ」
霧山の時は椅子に座った霧山を囲むように座っておとなしく、でも目を輝かせながら聞いていた子どもたちだったが、
仁絵の番になった途端立ち上がり、仁絵を取り囲んで我先にと仁絵の近くを陣取った。
一言一言にリアクションがあり、黙って聞かれるよりはいいが想定とは大分違う。
「おい、あおい、オチを言うな、これから読むから。」
「あおい君怒られてるーっ」
「もー、仁絵にーちゃんが早く続き読まないからぁ」
「はいはい、わかったわかった。」
結局、10ページちょっとしかない絵本1冊の読み聞かせなのに目安時間の倍近くを使って読み終えた仁絵は
体操やサッカーや鬼ごっこよりよっぽど一仕事終えた気分でその日園を後にした。
「何だかんだ、上手くいっていたじゃないですか。」
帰り道、霧山にそう労われ、あんなんでいいのか?と仁絵は純粋に疑問を口にする。
「絡まれながら読んでただけだろ。あれは読み聞かせとは言わねぇよ。」
「そうですか? 私よりよっぽど距離が近くて、いい読み聞かせだと思いましたけどね。
貴方、自分が思っているより子どもと接するの上手ですよ。ボランティア先を保育園にして正解でした。」
そんなものだろうか。仁絵はいまいち納得できず、腑に落ちない表情を隠せない。
「…上手い下手は自分で客観的に見るのはなかなか難しいと思いますが。
楽しいですか、つまらないですか?」
主観として、と問われ、仁絵はそれにはすぐに答えられた。
「それはまぁ、面白いよ。突拍子もねぇことしてくるし、あんたの言うように偏見なく俺みたいなのに寄ってくるし。」
「…そうですか。」
霧山は微笑んでただただ頷いていた。
「それにしても、意外でした。『大きなかぶ』なんて、貴方があんな世界名作の絵本を選ぶとは。」
「あんまり自分から選んで読むような絵本じゃないだろ、ああいうのって。
あんたがわりと新しめの読み聞かせ定番絵本って感じの選んでたし、
ちらっと聞いてみたら聞いたことないってのも結構いたからな。」
傾向被んないし、ああいうのは話知っといて悪いことないだろ、と至極まっとうな意見を述べる仁絵に霧山は感心する。
「素晴らしい。ちゃんと練られてますね。この調子なら追加考査の評価は満点あげないといけないでしょうか。」
「そんな気さらさらねぇくせに、よく言うよ。」
「おや、そんなことありませんよ。」
照れ隠しをしながらも、仁絵自身も思ったよりは厄介な考査にならなくてよかった、と胸をなで下ろしていた。
これなら、何とか残りもこなせそうだ。安堵して、明日の作戦を練りながら帰路についた。
順調に日々ボランティア業務をこなして最終日前の夕方。
先ほど読み聞かせの時間が終わり、一休憩と今日のレポートの作成のために、
仁絵は自由に使っていい、と言われている応接室に引っ込んでいた。
今日は『ブレーメンの音楽隊』を選んだ。
登場キャラクターが多いのに「全部同じ声ー」と突っ込まれ、出来ないなりに声色を使い分けさせられた。
笑いを噛み殺す霧山の顔が忘れられない。
「ん、ペンがない…読み聞かせルーム置いてきたか。」
いざレポートを書こうとしたところ、エプロンの胸ポケットにさしているペンが消えていることに気付き、仁絵は読み聞かせルームに戻った。
大した物でもないし、代わりのペンも持ってはいるが、私物がどこかにいったままなのは何となく心地が悪い。
「ペン使ったりしたか…?」
仁絵がぼんやりそんなことを考えながら読み聞かせルームに戻ると、そこには1人先客がいた。
読み聞かせの時間が終わると、大体子どもたちは読書とは別の遊びをしたがるので読み聞かせルームに残っているのは珍しい。
その程度の考えで、仁絵は小さい後ろ姿に声をかけた。
「あおい。何か読んでんの?」
「えっ、ひとえにーちゃっ…な、なんでもない!!」
答えになっていない。あからさまに挙動不審で嫌な予感しかしない。
そして見えてしまったのだ。あおいが手にしているものが何か。
「あおい。それ俺のペンじゃん。」
「お、落ちてたよっ」
「ふーん。」
嘘だろう。分かりやすく目が泳いでいる。
そういえば、今日あおいは仁絵の読み聞かせの間、左膝に乗って抱きついて聞いていた。
大方、その時胸ポケットから抜き取ったのだろうが敢えて追求はしなかった。
「まぁ、なら拾ってくれてありがとな。で、そのペンで何して…って。」
予想はしていたが、なかなかに酷い。
ページいっぱいの絵の上に走るペンで書かれた無数の線。
文字の上からも、塗りつぶすように幾重にも重ねてぐるぐる書きされている。
さらに余白にはたどたどしいひらがなで「ばか」なんても書かれている。
そして極めつけの問題はその絵本だった。
「それ…明日霧山が読むって言ってたやつじゃん。」
霧山は次は何の本を読むか、予告している。
表紙を見せてあらすじを少しだけ話し、どんな本か想像させるのだと言っていた。
あおいが落書きしたその本は、霧山が明日読むと予告していた本だった。
「だって…霧山せんせー怒った…」
実は、今日読み聞かせの時間が始まる前にあおいは霧山に少し叱られていた。
時間になっても静かにせず、友達同士ではしゃいでプレイルームから持ち込んだミニカーで遊んでいたところを注意され、ミニカーを没収された。
叱られる、といっても軽く窘める程度のかわいいものだ。
あれを怒ったと言われ逆恨みされる霧山には流石に少し同情してしまう。
「で、腹いせってわけか。怖いもの知らずだねぇ。」
霧山が選んだ絵本は結構昔からある名作絵本で、仁絵も内容は知っているから分かる。
派手に落書きしているこのページは、この絵本の最も良いところ、クライマックスシーンだ。
子どもなりに考えて嫌がらせをしている辺り感心してしまう。
「霧山せんせーに言うのっ」
敵を見るような目で睨んでくるあおいに、仁絵はため息をついた。
「…俺に告げ口の趣味はねぇよ。」
「ほんとっ!?」
「その代わり、バレた時の覚悟はしとけよ。じゃ、ペンは返せ。」
「あーっ」
「あー、じゃねーよ。もう十分書いただろ。」
あおいの手からペンを取り上げると、仁絵はそのまま読み聞かせルームを出た。
この行為が後に2人の運命を左右することになったのだが、そんなことは知る由もなく…。