「夜須斗ぉ…はよせんと始まる前に日が暮れるで。」
「っ…」
保健室に連行された夜須斗に待っていたのは、想像以上の試練だった。
雲居はベッドに腰掛けるなりこう言い放ったのだ。
「履いてるもん全部下ろして膝に自分で乗って『お仕置きお願いします』って言い。」
「なぁっ…!?」
あまりのことに絶句している夜須斗を、雲居は真正面から断罪する。
「素直な態度を取る、ってことを叩き込まなあかんって痛感したからなぁ。」
「無理に決まってっ…」
「ほんならそのまま突っ立ってろや。」
「プライドをへし折る」と断言されたからにはろくでもないことをさせられるとは覚悟していたが、それにしたって…だ。
よりにもよって雲居相手にやれというのが酷すぎる。
指示を受けてから十数分。夜須斗は全く手も足も動かず膠着状態が続いていた。
夜須斗が黙って立っていると、
雲居ははぁ、と1つ息をついて立ち上がり、デスクから分厚いファイルを手に取ってまたベッドに腰掛けた。
「言うとくけど、出来へんならお仕置き始まらんし、
お仕置き受けへんかったら明日の考査受けれる権利はないからな。タイムリミットは…3時までにしとこか。」
それだけ言うと、ファイルを開き書類を読み始めてしまった。
もうこれ以上言うことはない、と暗に突き放され、夜須斗はいよいよ困ってしまった。
いつもは短気なくせに、こんな時だけ頑固で気が長い…と夜須斗は心の中で悪態をつく。
いっそ痺れを切らして無理矢理膝に乗せてくれたらどんなに楽か。
チラリと壁にかかった時計に目をやれば、時刻は午後2時になろうとしている。
ここから1時間…粘ったところで、今日の雲居は折れてくれそうにはない。
これが本当に最後のチャンスだろう。頭では分かっていても、
足は床に釘付けされたように動かないし、手は体に張り付いてしまったように離れない。
「あぁ、もう…。」
無情に時間が進んでいく。
休日の学校、しかも校舎の隅にある保健室にはほとんど物音はなくて、無言の空気がただただ流れるだけ。
時刻は午後2時30分。何もせずに30分も経ってしまった。
「夜須斗。」
その時、突然雲居が全く手元の書類から顔を上げずに呟くように言った。
「また逃げるん?」
「っ!!」
さっきはあんなに怒鳴ってきたくせに、今度は穏やかに突き刺さる言葉を容赦なく投げてくる。
風丘はもちろんだが、普段は熱血漢キャラの雲居も、隙の見えなさと全て見透かされているような瞬間はやっぱりあって、
普段あまり見せない顔だからこそたまに、本当にたまに垣間見えるそれはむしろ風丘よりも怖いかもしれない。
今朝から何度逃げたか。今まで何度逃げてきたか。
具体的には知らなくても、
今まで夜須斗がいろんなことから冷ややかに目を背け逃げてきたことを知っているかのような問いかけに聞こえて、耳が痛い。
「…ぅ…」
緩く息を吐き出し、意を決して手をベルトにかけた。
手が震えて、ベルトを緩める、毎日のようにやっている動作それだけでかなりもたついた。
あとは下ろすだけ、の状態にして、ゆっくり雲居の元に歩を進める。
雲居の前に立つと、雲居は顔を上げて手にしていたファイルを背後に投げて膝を空けた。
夜須斗はふぅー、と息を吐くと、目を瞑り、履いているものを下着毎ずらして雲居の膝に乗った。
ここまでだって普段の夜須斗からすれば最上級の出来だ。
だがまだ終わりではない。ゆっくりと口を開く。
果たして声が出るのか。いっそ出なくなってればいいのに、なんて間抜けな考えまでもが脳裏に浮かんだが、
果たしてそれはしっかり音になっていた。
「お…しおき…おねがい…します…」
しかし音にはなっていたもののあまりにもか細い声すぎて、
自分でも言っている内容はさておいてなんだその女々しい声はと冷静にうんざりした。
聞こえない、言い直せ、と言われるだろうとビクビクしていたら、思いも寄らぬ展開が起きた。
「っ…!?」
雲居が優しい手つきで頭を撫でてきたのだ。
何も言わなかったが、まるでよく出来た、と褒めるように。
何だそれは。そんなこと普段全くしないくせに。
夜須斗がプチパニックを起こしていると、そんなことはお構いなしに唐突にお仕置きが始まった。
バチィィィンッ
「うぐっ…」
痛い。相変わらずの馬鹿力。きっと手形がついたであろう強烈な1発を皮切りに、容赦ない平手の雨が降ってきた。
バチィンッ バチィンッ バシィンッ バチィンッ バチィィンッ
「っあっ! ぁっ…う゛ぁっ…ってぇっ」
バチィンッ バチィンッ バシィンッ バチィンッ バチィィンッ
「いった! う゛っ…うぁぁっ…!!」
流石にここまできたら逃げようなんて気はさらさらないが、それにしたっていつも思うが痛すぎる。
平手の威力が風丘の1.5倍はある気がする。
そして少しでも足をばたつかせようものなら。
バチィンッバチィンッバチィンッ
「ってぇぇ!」
右・左・真ん中と、お尻の下の方を狙った連打に泣かされた。
説教はなく、淡々と叩かれる。
何かすれば終わる、という雰囲気でもないと感じ取った夜須斗は悲鳴をあげつつただひたすら耐えていた。
…………。
「…さて。」
お尻全体が赤く染まって、夜須斗の目尻から涙が止めどなくこぼれ落ちるようになった頃。
唐突に平手が止まり、今まで無言だった雲居が口を開いた。
「寝坊と逃亡のお仕置きはこんなもんやろ。きっちり100やで。」
「っ…ふぅっ…うぅっ…」
もうそんなに叩かれたのか、と嗚咽をかみ殺すために肩で息をしながらぼんやりとそんなことを考えていると、不意に雲居から問われた。
「夜須斗。ここ来てからお仕置き始められるまでどれぐらいかかった?」
「っふ…さん…じゅっぷん…」
時計を見たから覚えている。夜須斗が答えると、雲居はせやな、と相づちを打つ。
「ほんまは言われたらすぐ出来るようにならなあかんで。
プライドは必要なもんやけど、無駄なプライドは自分の首絞める。」
「う…」
「俺が、出来ひんならそれまでやって、その場で締め切ってたらどないするつもりやったん?
今だって、こんなに時間かかったんやったらやっぱりアカンって切り捨てることも出来るねんで。」
意地悪な質問だ。そんなことするつもりないくせに。
でも正論なのも事実。そもそもそうはならないだろう、なんて思ってしまうのは甘えだ。
雲居だからこんなにチャンスをくれているのであって、普通だったらもうとっくにアウトだったのは自分でもよく分かっている。
夜須斗が何も言えずにいると、
ま、夜須斗を知っとる俺からすると、夜須斗にしてはえらい頑張ったと思うけどな、と突然の飴を投下してきた。
「今回は素直にならんと逃げ続けたお仕置きでもあるからな。
最後に言葉飲み込まんと素直に口に出す練習しとこか。」
「え…」
飴を投下された直後故、なんだかとてつもなく嫌な予感がする。
大体にして自分に対する飴と鞭の割合1対9くらいの男なのだと夜須斗は常日頃から思っている。
夜須斗が伏せていた顔を上げると、雲居が足を組み、ぐっとお尻が持ち上がった。
「行動できるまでにかかった時間大体30分やから仕上げ30発。
1発ごとに数えてそのあと『ごめんなさい』や。ええな?」
「そんなのっ…」
どこまでメンタル虐めてくる気だ。濡れた瞳で雲居を見やるが、全く態勢に変化はなかった。
「出来ひんかったらノーカンになるまでやで。はよ終わらせたかったら頑張りや。」
バッチィィィンッ
「あ゛あぁっ!? ちょっ…」
「ほら、とっとと始めろや。」
バッチィィィンッ
「無理っ…こんなっ…」
ここへ来て平手の威力を上げてきた。足も組まれているというのに。
夜須斗の絞り出すような声を、雲居は一蹴した。
「無理なら終わらんなぁ。」
バチィィンッ バチィィンッ バチィィンッ
「っぐっ…ふぅっ……っとにまっ…」
バッチィィィンッ
「っぁぁっ…いっ…いちっ…」
ようやくカウントを言うと、続いていた連打が止んだ。
「数だけやとカウントせぇへんで。」
言わないで、ノーカンにしてまた平手を落とすことも出来るところを、一旦止めてわざわざ言ってくれる。
無情な、でも甘やかしている忠告であるのだが、分かってはいるのだがそれどころではない。
「ぅぅ…ぁっ…」
音が出てこない。喉が拒否反応を起こしてるのではないかと錯覚するくらい上手くしゃべれない。
何とか平手が落ちてくる前に言わないと。必死で息を整えて、口を開く。
「ごっ…ごめん…なさい…」
振り絞った謝罪。だがまだ1回だ。あと29回こなさないとならないなんて、なんて地獄だろうか。
大体、メンタルもきているが痛みだって相当だ。
ここでノーカンで何度も叩かれたらもう羞恥よりも先に痛みに耐えられなくなる。
だったらもう…
バチィンッ バチィンッ バチィンッ バチィンッ
「っあっ…2、ご…ごめんなさいっ…う゛っ…3、ごめんっ…なさいっ
ぅぇっ…4、ごめんなさっ くぅっ…5、ごめん、なさいっ…」
1度言ってしまったのだから、もう何回言おうが同じだ、と言い聞かせ、
夜須斗はカウントと謝罪を口にした。
…バチィンッ バチィンッ バチィンッ…
「もっ…15っ…ごめんなさいぃっ…ふぇっ…16ぅっ…ごめんなさっ…うぁっっ…17ぁっ、ごめんなさいっ…」
最初は台詞のように口にしていた謝罪の言葉が、何度も繰り返す内、夜須斗の中で感情の乗った言葉に変化していく。
連絡しなくてごめんなさい、逃げてごめんなさい、意地張ってごめんなさい…
悔しいが、心の中からそんな気持ちが湧き上がってきて、気付けば泣きながら「ごめんなさい」と言っていた。
バッチィィィィンッ
「30っっっ ごめんなさっ…ごめんなさいっ…」
「よっしゃ! ちゃんと出来るやんっ」
最後のカウントと「ごめんなさい」を言った時。
夜須斗は抱き起こされて、さっきまでとは打って変わった眩しいくらいの笑顔の雲居と目が合った。
そして、そのまま抱きしめられ、頭を撫でられた。
「!? ちょっ…何してっ…」
「ええやんか。どうせ変態呼ばわりされとるんやから同じやろ。」
「何それっ…」
雲居は優しく頭を撫で続けながら、普段からは考えられないくらいの優しい声音で言った。
「今回はほんま頑張ったなぁ。こんなちゃんと出来るとは思わんかったわ。ほんま偉いで。」
こそばゆくて恥ずかしい。なんたって雲居は普段飴と鞭の割合1対9の男だ。
ただでさえ羞恥と泣いたのとで既に赤い耳と頬が限界まで赤くなるのを感じ、
誤魔化すように顔を覗き込んでくる雲居から顔を背ける。
「尻叩かれて褒められても嬉しくないっ…」
「ええやん。これで内部進学も決まったんやし。」
雲居はどこ吹く風でまた頭を撫でてくる。
不思議なもので嫌な気はしないから、夜須斗はその手は払いのけなかったが、出てくるのはやっぱりいつもの捻くれた言葉。
「まだ考査そのものはやってないじゃん。」
「アホ。ただの掃除やで。そんなん落ちる奴どうかしてるやろ。
安心せぇ。明日は朝からちゃんと家に迎えに行ったるわ。もう勝確の考査やで。素直に喜び。」
「そんなの…」
普段ならウザい、そんなことしなくてもいい、やめろ、と言うところだ。
今もそれが頭に浮かんだが、珍しく今日は別の言葉も頭に浮かんだ。
あー、うー、と逡巡して、選び取ったのは後者のこの言葉。
「…ありがと。いろいろ。」
呟いた感謝の言葉はしっかり雲居の耳に届いたのか、優しく微笑んでまた抱きしめられた。
あぁ、これは明日以降もうしばらく飴はないな、そんな可愛げのない思考は相変わらずながら、
夜須斗はされるがまま、雲居の肩に顔を埋め、まだ流れる涙は白衣に染みこんでいった。