「うぅ…僕のバカ…」
レオンハルトは、十数分前の自らの行動を絶賛後悔中だった。
「なんで逃げたんだよぉ…」
眉をひそめた父の顔を見た瞬間、自分の行動を省みてその後の運命を悟り、
「終わった」と思った瞬間に反射的に駆け出してしまった。
よくよく考えれば逃げた罪も加わるのだからまだその場に残っていればよかったと
今ならわかるのだが、あの時はもう無我夢中だった。
と、茂みで膝を抱えて反省タイムのレオンハルトの視線に、影が映った。
「やっと見つけました…。相変わらずものすごい足の速さですね、王子。」
ハッとレオンハルトが振り返ると、そこに立っていたのはハイネだった。
レオンハルトはとっさに立ち上がるが、ハイネが素早く動いてレオンハルトの進行方向に両手を広げて立ち塞がった。
「また逃げるのですか。」
「そこをどけ! もう今更っ…」
しかし、ハイネはいいえ、と強く言った。
「どきません。逃がしませんよ。王子にこれ以上罪を重ねさせたくありませんから。」
「っ…」
「もしこの場から王子が逃げれば、私はそれを報告しなければならなくなります。
一度逃げたことと、二度逃げたこと、同じではありませんよ。大違いです。」
「だって…もう…」
もう遅い、とうつむくレオンハルトと目を合わせ、励ますように肩を叩く。
「遅くはありません。ここで反省していたのでしょう。反省したことを陛下にお話ししましょう。」
しかしレオンハルトは首を大きく横に振る。
「そんなのっ…父上は呆れてるに決まってるっ
弟を置いて逃げた卑怯者の僕は、リヒトの言ったとおり王位継承候補から外されるんだ…
今更、そんな僕の反省なんて父上が聞いてくれるわけが…」
「王子。」
どんどんネガティブ思考になっていくレオンハルトを見かねて、
ハイネはレオンハルトの両手をとると、下に引いて一緒にしゃがませた。
「な、なんだハイ…」
反射でしゃがんだレオンハルトが首をかしげると、ハイネが突然ペチッとレオンハルトのおでこを叩いた。
「何するんだ!!」
おでこを押さえるレオンハルトを見つめて、ハイネは説いた。
「ちょっと落ち着いてください。ネガティブになりすぎです。」
「だ、だって…。」
「あなたのお父上は反省した我が子の言葉に聞く耳をもたないような人ではありませんよ。
確かに逃げてしまったことはいけないことです。
その前の、リヒト王子への行動も悪いことです。お叱りを受けるのは避けられません。
ですが、やってしまったことに対して、逃げないでちゃんと向き合って、反省して、
その姿勢を見せればきっとわかってもらえます。」
「う…でもっ…やっぱり怖い…」
視線をさまよわせるレオンハルトに、ハイネは言い聞かせるように話す。
「王子。嫌なことから逃げない、と私と決めましたね。今もそのときです。
いつまでもここで悔やんでいても進めません。
私も書斎までご一緒しますから、まずは宮殿に戻りましょう。」
「っ…わかっ…た…」
ハイネに諭されて、レオンハルトはようやく立ち上がり、
ものすごい速度で駆け抜けてきた道をハイネと2人でゆっくり戻るのだった。
宮殿に戻ると、2人が戻るのにかなり時間を要してしまったため、
ヴィクトールが一旦執務に入ってしまったことを秘書から告げられた。
お昼前に書斎に来てほしいという伝言を受け取ると、一度2人はレオンハルトの部屋に戻った。
部屋でレオンハルトは、これでもかと反省日記を量産していた。
普段は適当なところで止めに入るハイネだが、今はどうせ授業どころではないし、
日記を書くことで後ほどヴィクトールに反省を伝える手助けになれば、と今回はあえて止めなかった。
そして、部屋に戻って小一時間ほど。
ドアがノックされ、秘書が「国王陛下がお呼びです。」とレオンハルトを呼びに来た。
「さぁ、行きましょう。王子。」
ハイネに促され、レオンハルトは森から宮殿に戻る足取りよりも更に重い足取りで書斎までの廊下を進んだ。
流石に遅すぎてハイネは内心苦笑したが、自分の足で進んでいることは評価したいし応援したい、と急かすことはしなかった。
コンコンコンコンッ
「国王陛下。レオンハルト王子とハイネ・ヴィトゲンシュタインが参りました。」
「どうぞ。」
いつもより心なしか低い声のヴィクトールに、ハイネの隣に立っていたレオンハルトが身を固くする。
ハイネがドアを開け2人で一歩部屋に入ると、ヴィクトールが口を開く前に、
レオンハルトがもう数歩歩み出て、ガバッと頭を下げるとそのままものすごいスピードでまくし立てた。
「父上ごめんなさいっ…!
リヒトと喧嘩して、フォークを投げつけたりリヒトに『弟じゃない』とかひどいこと言ったりしました、
危ないし、リヒトへの暴言はほんとはそんなこと思ってなくて嘘だし、
それで朝ご飯の時間をめちゃくちゃにしてハイネやカイ兄様やブルーノ兄様にも迷惑かけたし、
あ、それにメイドさんたちも困ってた…
それに、それに父上に叱られるのが怖くて逃げて、リヒトを置いて無責任なことしました、
ハイネと嫌なことから逃げないって決めたのにそれも守れないし、
あ、そもそもニンジンとピーマンの好き嫌いもよくないし…
もう、今日ほんとに僕は最低で最悪で、今も父上のお仕事の邪魔して迷惑だしっ…」
「王子…」
「こらこら、レオンハルト。」
ものすごい勢いに、隣にいたハイネが服を引っ張り、
ノックの返事は低めのトーンで、招き入れた瞬間は朝と同じく険しい顔をしていたヴィクトールも
さすがに面食らって声と表情を和らげて止めようとするも
当の本人は全く聞こえておらず、頭を下げたまま、まだまだ話し続ける。
「ほんとに、ほんとにごめんなさい…もう僕のこと呆れたと思いますけど、
でも、でも反省したことは伝えないとってハイネに言われて…
王位継承候補から外されるのも嫌だけど、呆れられたままなのはもっと嫌で、
皆に嫌われたくなくて…僕、僕は…」
「こーらレオンハルト。一旦ストップだ。」
見かねたヴィクトールが、頭を下げたままのレオンハルトに歩み寄り、しゃがむと頬を両手で包んで前を向かせた。
「あぁ、もうこんなに泣いて…。まだ何もしていないだろう? 相変わらずお前は泣き虫だね。」
ヴィクトールに顔を上げさせられたレオンハルトの目からは既に涙が溢れていて、
ヴィクトールと目が合い、頬に添えられた手袋をした手で拭われると、更に涙が溢れ出す。
「父上、父上ごめんなさい…僕のこと、き、嫌いにならないでください…
ちゃんと、ちゃんと反省しますから、
足りないならもっと、反省します。もうこんなことしないって約束します。だから…」
「…これで反省が足りないなどとはとても言えないな。」
すがりついてくる息子の姿に、ヴィクトールは苦笑して言う。
「支離滅裂ではあったが、反省すべきことはしっかり考えられていた。
自分のしてしまったことにちゃんと向き合えているね。」
ヴィクトールはレオンハルトの頭を撫で、立ち上がる。
すると、また心なしか厳しい声音で言った。
「だが、レオンハルト。反省できたらもう一つ、やらなければならないことがあるね?」
「っ…」
レオンハルトが身を固くする。わかっている。逃げた理由はこれも大きいのだから。
固まるレオンハルトを尻目に、ヴィクトールはハイネに目で合図を送った。
ハイネはそれを受けて、「それでは私はこれで」と一礼して部屋を出た。
「きちんと反省できたことはいいことだが、してしまったことの罰は受けなければいけないよ。レオンハルト。」
ヴィクトールは厳しく言うと、リヒトの時と同じようにスツールに座り、膝を叩いた。
「来なさい、レオンハルト。お仕置きだ。」
「っ~~~~~」
レオンハルトはぎゅっと目をつぶると、少しずつ父の元へと歩き出す。
受けなければならないことはわかっている。だが、怖い。
そんな気持ちを表すかのように一歩進んでは止まり、を繰り返すが、ヴィクトールは急かすことはなかった。
ようやくレオンハルトがヴィクトールの横にたどり着くと、ヴィクトールはレオンハルトの手を取り、膝に引き倒した。
履いているものを下ろされ、感じる部屋の冷気にレオンハルトが少し身震いする。
ヴィクトールはそんなレオンハルトの背中をポンッと叩くと、その優しさとは裏腹に厳しい罰を通告した。
「さぁ、レオンハルト。それでは1つずつ、今日お前のしてしまったことに対するお仕置きだ。
1つにつき3発ずつ。3発受けたら、反省の気持ちを込めて『ごめんなさい』だ。
…まずは、朝食の場でリヒトと喧嘩したこと。」
バチィィンッ
「いたいぃっっ」
真ん中に痛い1発目が落とされる。
バチィンッ バチィンッ
「っあぁぁっ いたいぃぃ…っ」
続いて右、左に1発ずつ。
お仕置き前から泣いていたレオンハルトの涙腺はもう完全に決壊していて、
1発落とされるごとに泣き声をあげ、頭を振っては毛足の長い書斎の絨毯に涙が染みこんでいく。
「レオンハルト。」
「喧嘩してっ…ごめんなさいっ…」
ヴィクトールに促され、慌ててレオンハルトが「ごめんなさい」を口にする。
痛みに弱いレオンハルトは、この3発で既にヴィクトールの言葉が吹っ飛んでいるようで、
先が思いやられると、ヴィクトールは1人困ったように笑った。
「兄弟喧嘩は絶対するなとは言わないが、時と場と加減をわきまえなさい。
食事の場でいつまでも喧嘩を続けるのはよくない。
悔しくても、頃合いを見てその場をおさめるようにしなさい。」
「はい…」
「次。リヒトに向かってフォークを投げたこと。」
バチィィィンッ
「うわぁぁっ」
先ほどよりも痛い平手に、レオンハルトはたまらず足を蹴り上げた。
しかし、ヴィクトールは難なくその足を避けて残り2発も容赦なく打ち込む。
バチィィィンッ バチィィィンッ
「あああぁっ…いたぁぁぁぃっ…っく…ぇっ…」
「これは今日お前がしてしまったことの中でも特に悪いことの1つだ。
どんなに腹が立っても暴力に訴えてはいけない。
もしこれでリヒトが怪我をしたら、リヒトもお前も苦しむことになる。それに、物に当たることもいけない。」
「はいぃ…もうしませんっ…ごめっ…ごぇ…なさいっ…」
「次。リヒトに暴言…酷い言葉を言ったこと。」
バチィィンッ
「うぅぅぅ~~~っっ!!」
「言葉の暴力は、時として物理的な暴力以上に人を傷つける。
特に…人の心をね。心にもないことを言って、人を傷つけてはいけない。」
バチィンッ バチィンッ
「うぇぇっ…ごめんなさぃぃっ…」
「それから、いろんな人に…お前は迷惑、と言っていたがどちらかと言えば心配だな。
突然喧嘩して飛び出していったら皆心配するだろう。いろんな人に心配をかけたこと。」
バチィィィンッ
「ふぇぇっ…ったぃぃぃ…」
バチィィンッ バチィィンッ
「っく…ぅぅっ…ごめんなさぃっ」
「…よし。それじゃあ最後だ。…お仕置きから逃げたこと。」
それまで厳しくも穏やかだったお説教する父の声がまた少し険しさを増して、
それを感じたレオンハルトはビクッと肩を震わせた。
自分の背中に添えられた手が、ぐっと強く押さえつけるようになった。そして、次の瞬間…
ベシィィィンッ
「~~~~~~!!!??? うわぁぁぁぁぁぁんっ!!!」
「こらレオンハルト!」
あまりの衝撃に、無我夢中で父の膝から逃げ出した。
レオンハルトの渾身の力に、押さえておけず逃がしてしまったヴィクトールは、内心しまったと思いつつ、
それを顔に出さず「レオンハルト。まだ終わっていない。戻りなさい。」と冷たく言った。
その手に握られているのは、分厚い木の背板の洋服ブラシだった。
父の膝から逃げ出し、へたり込んだレオンハルトが見上げて見てしまったものは、
父の怖い顔とその父の手に握られている恐ろしい凶器で。
そんなものを見てしまってから「戻りなさい」と言われても、体が言うことをきかない。
「やっ…無理…無理です父上っ…痛い…怖いぃっ…」
「してしまったことの責任はとるものだよ、レオンハルト。
お仕置きから逃げてしまった事実は消えない。その責任をとるために、お仕置きは受けなければいけない。
…お前は一度逃げて、また更に逃げるのかい?」
「っ…でもっ…」
わかってる。わかってるけど怖くて行けないのだ。
さっきみたいな痛みをあと2回も味わわなければいけないなんて、とても無理だ。
「父上っ…」
涙目でヴィクトールを見つめるが、ヴィクトールは険しい顔のまま、無言で首を横に振るだけ。
どうしてもあと2発受けなければ許されないらしい。
数分経った後、レオンハルトはぎゅっと目をつぶり、絞り出すように言った。
「父上っ…お仕置き、残りちゃんと受けますっ…っく…でもっ…行けない…お尻痛くて立てない…っからっ…」
そう言って、父の方へと手を伸ばす。
ヴィクトールはレオンハルトの言わんとしていることがわかり、
やれやれ、とスツールから少し離れたところで座り込んでいるレオンハルトの元に歩み寄る。
そして、その場で立て膝をつくと、レオンハルトを小脇に抱え込んだ。
「また逃げそうになったら今日のお仕置きを思い出しなさい。
してしまったことからは目を背けないで、向き合うように。」
ベシィィィンッ
「ふわぁぁぁんっ…!! っく…ふぇぇっ…」
「逃げても更に厳しい罰が待っているだけだ。それを肝に銘じなさい。さぁ、最後だ。」
そして、ヴィクトールはこれまででひときわ高く手を振り上げた。
ベチィィィンッ
「あぁぁぁぁっ いたぃぃぃぃっ!!!…ぇっく…ごめっ…ごめなさぁぁぃっ…」
なんとか『ごめんなさい』を言ったレオンハルト。
それを聞き届けると、ヴィクトールはふわっと微笑んで、膝の上のレオンハルトを抱き起こして抱きしめた。
「よし、よく頑張った! さすがは私の息子だ!」
「父上…父上ぇぇっっっ ふぇぇぇっ…いたかった…こわかったぁぁぁっ」
「あぁ、厳しいお仕置きをしたね。よく耐えた。ちゃんと反省できたねレオンハルト。
とってもいい子だ。」
「ふわぁぁぁぁんっ」
レオンハルトは、しばらくヴィクトールに抱きついて離れたようとしなかった。
そんなレオンハルトの頭をずっとなで続けながら、
ヴィクトールは先ほどまでの険しい顔が嘘のように穏やかな表情を浮かべていた。
「…父上、僕、リヒトに謝ってきます。」
ようやく落ち着いたレオンハルトが、まだ赤い目でヴィクトールを見つめ唐突にそう言った。
「甘えんぼタイムは終了かい? 寂しいなぁ…」
「ち、父上僕はそんなっ…は、恥ずかしいこと言わないでくださいっ…」
「まだニンジンもピーマンも食べられない甘えんぼさんが恥ずかしがってもねぇ…
まぁ、お仕置きするほどのことではないが、好き嫌いはないにこしたことはない。
こうやって私やリヒトにからかわれなくてすむようになるしね。」
「ちちうえぇっ…」
からかわれ、また少し涙目になるレオンハルトに吹き出しそうになりながら、ヴィクトールはレオンハルトの背を押した。
「ふふっ。早く仲直りしてきなさい。リヒトも話したがっていた。」
「…はいっ 失礼します。父上…ほんとにごめんなさいっ ありがとうございましたっ」
「あぁ。」
しっかり一礼して出て行ったレオンハルトに、
さっきまであんなに甘えていたのに、こういうところはしっかり成長して…と残されたヴィクトールは1人感動していたのだった。
「レオ兄!」
「リヒト!」
レオンハルトが書斎から出てリヒトの部屋に向かう途中で、廊下をそわそわ行ったり来たりしているリヒトと鉢合わせした。
2人はどちらからともなく駆け出して近づくと、2人で一斉に
「ごめんなさい!」
「ごめんっ!!」
と謝った。
「レオ兄、酷いこと言ってごめんなさい…
ほんとはあんなこと言うつもりなくって、でも引っ込みつかなくなっちゃって…
レオ兄のこと傷つけた…ごめんなさい…」
リヒトがしゅんとして謝れば、レオンハルトも。
「僕だって酷いこと言ったし、それにフォーク投げたり…お前置いて逃げたり…
お前の兄として恥ずかしいことをした…ごめんなさい…」
「…」
「…」
謝ったはいいものの、まだなんとなく気まずい雰囲気が流れ、2人の間に沈黙が流れていたそんな時。
「はい、一件落着ですね。」
「うわぁぁっ!? 先生!?」
「お前、一体どこから湧いて出たっ」
突然ハイネから声をかけられ、2人は飛び退いた。
2人の反応に、ハイネは少しむくれながら言う。
「お二人が感動の仲直りをされている最初からおそばにおりました。
お二人の世界に入られていたので全く気づいていただけませんでしたが…」
ハイネにそう言われ、二人は少し恥ずかしそうにはにかんだ。
「うわぁ、はっず……ま、これで仲直りってことで。ね、レオ兄!」
「ああ。」
リヒトが差し出した手をレオンハルトが握り、二人は晴れて仲直り。
そんな二人の様子を見て、ハイネは「さて…」と切り出す。
「それではお二人ともお部屋に参りましょう。」
「げっ、もう勉強…」
「うぅ~~~」
顔をしかめる二人に、違いますよ、とハイネは答える。
「お二人ともお尻の手当をしませんと、この後お勉強やお食事の度に辛い思いをなさいますよ。
私、打ち身と腫れによく効く薬を持っているので…おや?」
ハイネからしたら純粋な気遣いのつもりだったが、
二人にはその気遣いがむしろ恥ずかしさを増大させ、二人仲良く顔を真っ赤にしてうつむくのだった。