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※こちらの作品は、「黒執事」二次創作のスパ小説となっております。
 原作中のシーンを利用したストーリーのため、
 原作をご存じない方には少しわかりにくい部分があるかと思います。
 恐れ入りますがあらかじめご了承ください。
 また、二次創作が苦手な方、原作のイメージを壊したくない方はバックお願いします。
 
 
 
 

「フフッ・・・よくお似合いですよ、『お嬢様』。」

 

「セバスチャン、黙れ・・・。」

 

ファントムハイヴ家の若き当主、シエル・ファントムハイヴは絶賛不機嫌であった。
普段からニコニコ笑うようなことはなく、常に仏頂面と言われているのだが、

今はいつにも増して虫の居所が悪そうな顔をして、眉間の皺は深い。

 

「僕はまだ納得していないぞ・・・」

 

その原因は。

 

「どうしてこの僕が女装してこんなドレスなど着なければならないんだ!」

 

シエルが今身にまとっているのは、モスリンたっぷりのピンクのドレス。
ドレープが豊かに入り、きめ細やかに編まれたレースもふんだんに使われている、

いかにも「女の子らしい」ドレスである。
更に髪型はいつものショートカットではなく、ツインテールのウィッグがつけられ、

更にドレスのデザインとお揃いのヘッドドレスとしてミニハットもついている。

 

セバスチャンにあっという間に着付けられ(コルセットで時に苦しい思いもしながら)、

至った完成形を鏡で見て固まるシエル。
それを見てセバスチャンが吹き出したのが冒頭の場面。

 

この案を聞かされ、あれよあれよと進む準備に最初は当然抵抗したが、

有無を言わさず着付けられ始めてしまった時に一旦は諦めの感情が生まれていた。
しかし、からかい口調で「お嬢様」等と言われておとなしくこの状況を受け入れるなど

出来るはずがなく、なりを潜めていた不満が再燃する。

 

「ファントムハイヴだとバレずに潜入するには、

その格好が一番だと何度もご説明差し上げたはずですが。」

 

これからシエルたちが向かおうとしているのは

ロンドンを騒がせている連続殺人鬼の犯人と思しき人物が主催しているパーティー会場。
パーティーに潜入して犯人である決定的な証拠を掴もうという算段だ。

 

しかし、社交界で「ファントムハイヴ」と言えば名の知れた存在。
更に多少裏社会にも通じるような貴族であれば、

ファントムハイヴ家が裏社会の秩序を守る番犬であることも知っている者は多い。
そこで、変装が必要だろうという話は満場一致であった。
だが、なぜかいつの間にやら「変装」が「女装」にすり替わり、

仕立屋を呼ばれ、気づけばあっという間に衣装が用意されてしまったのだ。

 

「ただ変装すればいい話だろう! 女になる必要がどこに・・・」

 

シエルが改めてセバスチャンに噛みついていると、

突然一人の女性が部屋に飛び込んできた。

 

「きゃーっ シエル!! 思った通り! 可愛いっっ」

 

「は、離せマダムっ」

 

いきなりシエルに抱きついたこの女性は、

通称マダム・レッドと呼ばれるシエルの母方の叔母にあたる女性。
社交界に顔が利く彼女が今夜のパーティーの招待をもぎ取ったのである。

 

「私姪っ子が欲しかったのよねー♪ もうほんっとに可愛い!!」

 

「そんな理由で僕にこんな格好を・・・!!」

 

「あら、似合ってるんだからいいでしょう?

それに、主催者のドルイット子爵、守備範囲バーーーーーリ広の女好きらしいから、

その方がお近づきになれるチャンスが広がって都合いいわよ☆」

 

「なっ・・・!?」

 

まさかの提案にまた固まるシエル。

その背後から、セバスチャンがシエルの耳元で囁くように声を掛けた。

 

「仰っていたではありませんか。どんな手段も使うんでしょう?
フフッ・・・さぁ、それでは皆様、参りましょう。」

 

「貴様・・・っせ、セバスチャンなんだその格好は・・・」

 

からかうような物言いに文句を言ってやろうとシエルが振り向いた先にいたセバスチャンは、いつの間にやら着替えを済ませていた。
意表を突かれて文句も引っ込んでしまった。
いつもの燕尾服とは少し異なった出で立ちで、

一番目を引くのは、普段かけていないチェーン付きのメガネだ。

 

「本日、私はお嬢様の家庭教師、という役でございますので。
今この瞬間から、任務を完了してお屋敷に戻るまで、私はお嬢様の『家庭教師』です。
よろしくお願いいたします、『お嬢様』。」

 

「なんなんだ全く・・・」

 

意外にも形から入る我が執事に、シエルはため息をつくのだった。

 

 

 

「全く・・・ 連日連夜パーティー三昧・・・ 貴族の連中は揃いも揃って脳天気な暇人ばかりだな。
こんなに無駄に集まって、一体何が楽しいんだ。」

 

パーティー会場に着くやいなや、うんざりする、と吐き捨てるシエルに、

セバスチャンは苦笑いする。

 

「お嬢様だって貴族でしょう。お嬢様のような方の方が、社交界では珍しいのでは?」

 

まぁ、お嬢様がパーティーをお嫌いなのは人が多い、だけではないようですが、と

含みを持って笑うセバスチャンを、シエルは睨み付ける。

 

「うるさい黙れ。とっととドルイット子爵に接触して、仕事を終わらせて帰るぞ!」

 

「張り切るのは結構ですが」

 

一刻も早くこの場から立ち去りたい、と意気込むシエルに、セバスチャンが言った。

 

「無鉄砲に行動を起こして、あっさり捕まる・・・なんてことなさらないでくださいね。
毎回私の足手纏いばかりで・・・」

 

嫌みったらしく言ってくるセバスチャンに、シエルの眉間の皺が深くなる。

 

「貴様・・・誰に向かって口を利いている。」

 

「クスッ 私は事実を言ったまでですよ。

まぁ、お嬢様がお気をつけて行動してくださればそれでよいのですが。」

 

「そんなこと・・・言われずとも分かっている。」

 

馬鹿にするな、と言い放つシエルに、セバスチャンも応戦する。

 

「おや、そうですか。ではお約束ですよ、敵の前では用心して行動する、と・・・」

 

「家庭教師気取りも大概にしろ。そんな当然のことを僕に説教するな。」

 

「クスクス・・・当然、ですか・・・では当然のことなのですからしっかりお守りくださいね。」

 

「・・・フンッ・・・!」

 

そのとき、シエルの表情が一変した。
嫌みな微笑みを浮かべるセバスチャンからシエルがそっぽを向いたとき、

その視線の先にターゲットの姿が映ったのだ。

 

「・・・いらっしゃいましたね。」

 

セバスチャンも表情を変える。

 

しかし、それと同時にパーティーフロアに生オーケストラの音楽が鳴り響き始める。
そして、今まで談笑していた貴族たちが各々男女のペアを組んで踊り始めてしまった。

 

「チッ・・・広間がダンスフロアに・・・」

 

先ほどまで視界に捉えていたドルイット子爵も、すぐさまダンスの群れの中に入ってしまった。
人一倍煌びやかな衣装を着ているので見失うことはないが、

動き回っていて迂闊に近づけない。

 

「仕方ありませんね。とりあえずダンスに紛れて、子爵の側まで行きましょう。さぁ、お嬢様。」

 

そう言ってセバスチャンから差し出された手を見て、

シエルはまさか、という目でセバスチャンを見つめる。

 

「公の場で僕に踊れと言うのか? お前と?」

 

シエルの疑問に、セバスチャンは涼しい顔で返す。

 

「おや、お忘れですか。今私はお嬢様の家庭教師、ですから。

今宵限りは公の場で、お嬢様とのダンスを許される身分なのです。」

 

「うっ・・・そうだった・・・」

 

「さぁ、参りますよ、お嬢様。」

 

「うわっ・・・!!」

 

半ば強引にセバスチャンに腕をとられ、シエルとセバスチャンもダンスを始めた。
といっても、ダンスが苦手なシエルはほぼセバスチャンに振り回されるがままだ。

 

そう、シエルのパーティー嫌いのもう一つの理由、

それはパーティーに付きもののダンスの腕前が壊滅的、だからだった。

 

今日も、この時のために、とここに来る前に付け焼き刃で女性役の社交ダンスを教えられたが、

男性役でさえままならないのに、女性役なんてハードルが高すぎた。
セバスチャンに振り回され続け、曲が終わる頃にはシエルは疲れ果てぐったりしていた。

 

「全く・・・だらしがないですね、これくらいで。」

 

「ハァハァ・・・」

 

肩で息をするシエルを、セバスチャンが抱き起こす。

 

「さぁ、お嬢様。いよいよ本題ですよ。」

 

セバスチャンにトンと肩を押され、一歩進み出たシエルの先には、一人の男性がいた。

 

「駒鳥のように可愛らしいダンスでしたよ、お嬢さん。」

 

「!」

 

それは今回のターゲット、ドルイット子爵その人だった。

 

周りの様子を伺いながらシエルをエスコート(振り回)してダンスをしていたセバスチャンのおかげで、
子爵にしっかりシエルをアピールでき、また側にいくことが出来たのである。

 

「お嬢様、私は何かお飲み物をお持ちします。・・・しっかり子爵を誘惑してくださいね。
くれぐれも、先ほどの・・・」

 

「分かっている。早く行け。」

 

意外としつこいセバスチャンに、シエルは追い払うように指示を出す。

 

「・・・御意。」

 

セバスチャンはそう言って恭しく頭を下げると、二人の側から離れていった。

 

「どうだい? 今夜のパーティーは。楽しんでいただけているかな?」

 

そう言って、子爵はシエルの手を取ってレースの手袋をしたシエルの手の甲に軽くキスを落とす。

顔も急接近。
なるほど、確かに女性たちを虜にする美青年と言われて納得する整った顔立ちだが、
そんなことに興味がない、しかも同性のシエルにとっては顔を近づけられることはもちろん、

ましてやキスなんてされても気色悪いだけである。
シエルは子爵にバレないように、キスをされた方の手を後ろ手に回し、手の甲をドレスで拭った。

 

「すてきなパーティーに、感動しています。でも・・・私、ずっと子爵とお話したかったの。」

 

「ほぅ?」

 

「ダンスもお食事も、もう飽き飽き。」

 

「我が儘なお姫様だねぇ・・・もっと・・・楽しいことをご所望かな?」

 

(!! こいつっ・・・)

 

子爵が体を接近させ、腰に手を回してくる。
シエルは鳥肌を立てないように、無意識に振り払わないように、全神経を集中させた。

 

「(全てが終わったらすぐに始末してやるこの男・・・っ!!)
え、えぇ、子爵はご存知? もっと・・・楽しいこと。」

 

「ふふっ、もちろん。」

 

含みを持たせたシエルの言い方に、優美に微笑んで返す子爵。
その返答から、どうやら子爵にもその「含み」が伝わっているようだ。

 

「ほんとうですか? 是非、私にも教えてください。」

 

「本当に・・・知りたいのかい?」

 

両手を握られ、また顔を近づけられ、のぞき込むようにして問いかけられる。

 

「えっ・・・えぇ、本当に!」

 

これ以上過度なスキンシップが来ようものなら耐えられる気がしない。
仕掛けられる前に仕掛けてやる、とシエルはかなり積極的に子爵にねだった。

 

「君には・・・少し早いかもしれないよ?」

 

「(チッ・・・粘るな・・・そう簡単に案内できないということか。)

私、もう一人前の『淑女』ですのよ? 子爵・・・ね?」

 

精一杯の微笑みに、小首をかしげる仕草も加える。
シエルの駄目押しは、果たして子爵にしっかり効いたようで、

子爵は「わかったよ、私の駒鳥。」とシエルの手を取った。

 

「それでは・・・奥へどうぞ。」

 

そして、重々しいベルベットのカーテンを少し開き、

薄暗い奥の部屋へとシエルをエスコートしていった。

 

(ふぅ・・・とりあえず第一段階完了、ですね。)

 

セバスチャンは、その様子を少し離れたところから伺っていた。

 

(さて、では、次の指示を待ちますか。)

 

お約束を守っていただけるとよいのですが・・・、と、

肝心な所で抜けている主人に思いを馳せていた。

 

 

 

「これから、行くところは、ものすごくいいところだよ。」

 

シエルの手をしっかり握って、ドルイットは薄暗い通路を進んでいた。

 

「いいところ・・・それって、どんな・・・」

 

腕を引かれていたシエルが、可愛い子ぶってドルイットにそう問いかけようと近づいた時だった。
顔に白いものが近づいてきて、口元と鼻を覆われる。

 

「しまっ・・・!!」

 

しまった、と気づいたときにはもう遅く、意識が遠のいていく。

 

気を失ったシエルを横たえ、腕の中に抱きながら、

ドルイットは不敵な笑みを浮かべ、もう聞こえていないであろうシエルに優しく囁いた。

 

「そう・・・とてもいいところだよ・・・」

 

 

 

「・・・!!」

 

どれぐらい気を失っていたのか。
気がついたシエルが目を覚ましたのは、檻の中だった。

 

「うぅ・・・」

 

まだ少し頭がクラクラする。
手首と足首をそれぞれひとまとまりに縄で縛られ、思うように身動きが出来ない体を何とか起こす。
目の前には、とても頑丈そうな鉄の檻の格子。

 

「妙な薬を飲まされて、気を失ったところを、捉えられたというわけか・・・」

 

「おぉ、駒鳥が目を覚ましたようです! お集まりの皆さん!」

 

ドルイットの声がする。

見ると、檻の外で数十人の仮面をした観客を前に、

自分も同様に仮面をしたドルイットが口上を述べていた。

 

「次はお待ちかね、今宵の目玉商品でございます!

観賞用として楽しむもよし、愛玩するもよし、儀式用にも映えるでしょう。
ばら売りするのもお客様次第!」

 

「闇オークション・・・

ドルイットの奴、殺した奴らのパーツを、ここで売りさばいていたというわけか・・・」

 

これで証拠も掴んだな・・・と、シエルが右目を隠している眼帯に手を掛ける。

 

「スタートは1000から!」

 

眼帯を外し、右目を見開くと、そこに映るのは悪魔・・・セバスチャンとの契約の印。

 

「セバスチャン。僕はここだ。」

 

シエルが静かにそう口にした瞬間。

 

「!!?? なんだっ!?・・・うっ・・・!」

 

会場を照らしていた数多の蝋燭の灯が一瞬で消え、会場が闇に包まれる。
ざわめくドルイットや会場の声も、一瞬上がって即座に消えた。

 

そして、数秒後、再び蝋燭の灯がともって会場が照らされると、
ドルイットをはじめとした闇オークションの参加者たちが一様に倒れて気を失い、
シエルは檻から救い出されているという、灯りが消える前とは全く違う光景が広がっていた。

 

「やれやれ・・・本当に捕まるしか能がありませんね、貴方は・・・」

 

倒した者たちの傍らに跪いていたセバスチャンが立ち上がり、呆れ顔でシエルに近づく。

 

「呼べば私が来ると思って不用心が過ぎるのでは?」

 

そう言うセバスチャンに、シエルはフン、と言い放つ。

 

「僕が契約書を持つ限り、僕が喚ばずともお前はどこまでも追ってくるだろう。」

 

「・・・ええ。もちろん。どこまでもお供しますよ。最期まで・・・ね。

私は嘘はつきません。人間のようにね。」

 

そう言って、セバスチャンはニヤリと笑う。
その不適な笑みに、シエルは面白くなさそうな顔をしながらも、

不遜な態度のまま、それでいい、と頷く。

 

「お前だけは俺に嘘をつくな。・・・絶対に。」

 

「・・・イエス、マイロード。」

 

シエルの言葉に、セバスチャンが跪いて答える。

それを見届けると、シエルは、とにかく、と話を変えた。

 

「この件はこれで終了だ。呆気なかったな。」

 

「えぇ。既にヤードにも連絡してあります。じきに到着するでしょう。」

 

「なら、長居は無用だな。おい、セバスチャン。早くこの縄を解け。」

 

檻からは出されたものの、なぜか手首と足首をそれぞれまとめられた縄は解かれていなかった。
これでは歩くどころか、身動きを取れば倒れてしまう。

何でこんな中途半端に、とシエルが抗議の目線をセバスチャンに投げると、

セバスチャンは、ええ、ですがその前に、と突然切り出した。

 

「坊ちゃんはパーティー会場で私とどんな約束をなさいましたか?」

 

「・・・はぁ? 何を突然・・・」

 

突然の問いに顔をしかめるシエルを余所に、セバスチャンは続ける。

 

「『敵の前では用心する』、そう約束しませんでしたか?

坊ちゃんは『そんな当然のことを説教するな』等と仰っていたかと思いますが。」

 

まだそれを言うか。しつこい・・・と、シエルがうんざりした様子で投げやりに返事をする。

 

「またそれか。それが・・・なんだ。」

 

「その結果がこれですか?」

 

「っ・・・」

 

痛いところを突かれ、シエルが少し顔を歪める。

 

「用心した結果、裏に連れてこられて、情報を引き出すどころか一瞬で薬を嗅がされ捕まって、

後は私を喚んで、ただそれを見ているだけ・・・と。」

 

つらつらと淀みなくシエルの不甲斐なさを詰るような言葉を並べ立てるセバスチャンに、

シエルはイラッとして吠えた。

 

「・・・何が言いたい。証拠の現場は押さえられたんだから何も問題ないだろう!」

 

「それはそれ、これはこれ、ですよ。坊ちゃん。」

 

しかしそんなシエルの抗議もセバスチャンは取り合わず、更に言い募る。

 

「あれだけ大見得を切っておきながら、あっさり敵の手に落ちるとは・・・

私、呆れを通り越して感心してきてしまいました。」

 

「貴様っ・・・」

 

「そんなお約束を守れない坊ちゃんには、

どんなお仕置きが有効かと私なりに考えたのですが・・・」

 

「はぁ? お前何を・・・」

 

更に近づいてくるセバスチャンの行動や言葉の真意を掴みかねて、シエルが訝しむと、

セバスチャンがニヤリと笑った。

 

「やはりこれ、ですかね。」

 

「おい・・・うわぁっ」

 

ドサッ

 

近づいてきたセバスチャンに軽く足を払われ、

足首を縛られたままで不安定だったシエルは体勢を崩した。
突然のことに、かばう間もなく、転ぶ・・・! そう思ったが、転んだ痛みはやって来ず、
その代わりに気がつくとシエルは不可思議な体勢にされていた。

 

「セバスチャン! 何の真似だ!」

 

跪いた、片足を立てた体勢のセバスチャンの膝の上に横たわるような体勢で、

腰の辺りはセバスチャンに押さえられている。
屈辱的な格好にシエルが声を上げると、

セバスチャンはクスッと笑って、シエルが凍り付くようなことを言い放った。

 

「お約束を守れなかった坊ちゃんに効くお仕置きですよ。お尻百叩きです。」

 

「おっ・・・はぁぁっ!? 冗談じゃない、家庭教師ごっこはもう終わりだ!」

 

シエルがふざけるな、と膝から下りようとするが、

手も足も縛られたままで、しかも押さえつけているのはセバスチャンだ。
抵抗らしい抵抗になるはずもなく、無様にバタバタと藻掻くだけになってしまった。

 

「家庭教師『ごっこ』? 冗談? まさか。」

 

シエルの叫びは一笑に付され、そして、それは始まってしまった。

 

バシィィィンッ

 

「いっ・・・!! おい、セバスチャン!!」

 

シエルのお尻に、セバスチャンの平手が振り下ろされた。

 

平手はドレスの上からだったが、布をたっぷり使い、バッスルまで入っているはずなのに、

それを者ともせずにしっかり痛みを与えてくる。
さすが悪魔、といったところだが、そんな悠長に感心している場合ではない。

 

「言ったでしょう。私は嘘はつきません、と。

お約束を守れなかったお仕置きとしてお尻百叩き、しっかり受けて頂きますよ。坊ちゃん。」

 

バシィィィンッ

 

「痛いっ!! セバスチャン、下ろせ! 命令だ!」

 

バシィィンッ

 

「っあぁ!」

 

「お仕置きが終わったら下ろして差し上げます。」

 

バシィィンッ

 

「ふざけるな今すぐ下ろせ! 主人の命令が聞けないのか!」

 

バシィィンッ

 

「おや、お忘れですか。

私は本日、お屋敷に戻るまで『お嬢様の家庭教師』という役割だと申し上げたはずですが。
家庭教師が生徒の躾をするのは至極当然のことですよ。」

 

バシィィンッ

 

「うぅっ・・・もうさっきから僕のことを『坊ちゃん』と呼んでいるくせに白々しい・・・っ」

 

恨みがましくセバスチャンを睨み付けるシエルに、セバスチャンはからかい口調で答えた。

 

「おや、私は気を遣って差し上げたつもりだったのですが・・・

ただでさえ恥ずかしい格好をしている上に、
こんな恥ずかしい体勢で恥ずかしいお仕置きをされて、

更には『お嬢様』呼びでは坊ちゃんがあまりにもお可哀想かと思いまして。
ですが・・・ご希望なら戻して差し上げましょうか? 『お嬢様』。」

 

「っ・・・いい! やめろ!」

 

「かしこまりました。『坊ちゃん』。」

 

バシィィンッ

 

「くぅっ・・・」

 

あえて「恥ずかしい」を連呼して、羞恥心を煽ってくるセバスチャンに、

のせられては駄目だと分かっていても反応してしまう。

シエルは悔しさに唇を噛んだ。

 

バシィィンッ バシィィンッ バッシィィンッ

 

「うぅっ…くっ…あぁっ…!」

 

バシィンッ バシィンッ バシィィンッ

 

「いっ…っく…いたぃぃっ」

 

もう何を言っても、百叩きが終わるまで解放されない、
そう悟ったシエルは、己のプライドにかけてこれ以上無様な姿は見せまい(もう十分屈辱的なのだが)と

必死に耐えようとするものの、何にしたって痛すぎる。

 

当然手加減はしているのだろうが、

先ほどから平手が打ち下ろされる度にお尻がジンジン痛み、

徐々に熱を持ってきているのがわかる。
だがしかし、痛いながらも、むやみやたらに痛みを与える拷問のような暴力的な痛みではなく、
状況を冷静に考えられる理性を留められる程度の痛みなのだ。

 

シエルにとって「お仕置き」になる絶妙な痛さを与えてくる辺り、

自分の限界点まで見透かされているようで余計に腹が立つ。

 

バッシィィンッ

 

「うぁぁぁっ!」

 

そんなことを考えていた罰だと言わんばかりに、このタイミングでさらに強い平手が降ってきた。
咄嗟にシエルは背を反らし、縛られた足を跳ね上げる。
しかし、それを咎めるようにセバスチャンは同じ痛さの平手を連続で降らせてきた。

 

「ほら、あまり暴れない。」

 

バッシィィンッ バッシィィンッ バッシィィンッ バッシィィンッ バッシィィンッ

 

「っあぁっ…いっ…いたいっいたいいたい!

そんなこと言うなら手加減しろこの馬鹿力ぁっ!」

 

痛みが治まる前に次の痛みが降ってくる連打はかなり堪える。
セバスチャンに暴言を吐いて睨み付けたシエルの目は涙目だ。
しかし、セバスチャンは全く調子を変えない。

 

「おやおや、この期に及んでその口の悪さ… 感服いたします。

反省が微塵も感じられませんね。」

 

「っ…そんなことっ…」

 

普段の完全執事モードの時とは少し違う、

悪魔を感じさせるような目で見つめられてシエルが一瞬怯む。
その隙に、セバスチャンは畳み掛ける。

 

「大体、暴れない、というのは坊ちゃんのための忠告ですよ。」

 

「忠告…だと?」

 

「お忘れですか、この状況を。今ここにいるのは私と坊ちゃん二人きりではありませんよ。」

 

「!!! や、やめろセバスチャンっ…」

 

あまりに想定外の事態すぎて周囲の状況をすっかり忘れていたシエルは、

突然現実を突きつけられて顔を真っ赤にする。
そう、今この空間はシエルとセバスチャン二人きりではない。

 

「いくら失神させたのがこの私とはいえ、殺していませんからね。
坊ちゃんがあまり大声を上げて暴れると、皆さん目を覚まされてしまうかもしれませんねぇ。」

 

「や、やめろっ…」

 

バシィィィンッ

 

「いたぁぁっ」

 

「それに…」

 

セバスチャンは、更に追い打ちをかける。

 

「私が匿名でヤードに通報を入れてからもうすぐ10分経ちます。」

 

「っ!!!」

 

息をのむシエルの耳元で、セバスチャンは意地悪気に囁いた。

 

「あんまり坊ちゃんが駄々を捏ねてお仕置きを長引かせたら、

ヤードの皆さんに見られてしまいますねぇ。
あのファントムハイヴ伯爵が女装をして、

執事の膝に乗せられてお尻叩きのお仕置きをされているところを…」

 

そんなことになれば、もうヤードに今までのように偉そうな顔はできませんねぇ、と

愉快そうに言われ、
羞恥心を煽られ我慢ならなかったシエルは声を荒げた。

 

「か、からかうのも大概にしろ!!

ここにいる奴らを目覚めさせないことも、ヤードにここに立ち入らせないことも、

お前の力を使えば容易いことだろう!」

 

「それは確かにそうですが。しかしどうしましょうかねぇ…
坊ちゃんは反省する気も、素直にお仕置きを受ける気も全くないようですし…」

 

「なっ…」

 

「お仕置きの効果を高めるためにも、ここはもう少し…」

 

「や、やめろセバスチャン…」

 

いつもならふざけるなと一喝して済むところだが、
だが、今のセバスチャンは、本当にやってしまいそうで、

怖くなったシエルが嘆願の感を込めて言うが、セバスチャンは取り合ってくれない。

 

「いえ、やはり懲りていただくためにも…」

 

もう、しょうがない、そうするしかない、愚図愚図していたら余計悪い方向に転がってしまうかもしれない。
決心したシエルは口を開いた。

 

「わかったセバスチャン! わかったから!」

 

必死のシエルの叫びに、セバスチャンはフッと表情を緩めて問う。

 

「おや、何がお分かりになったのですか。」

 

「…今日は、用心が足りなかった。反省している…」

 

バシィィンッ

 

「くぅぅっ…」

 

「ええ。そうですね。それで、どうするんですか?」

 

「え…」

 

問いの意味がいまいち掴めず焦るシエルに、

セバスチャンは幼子を相手にするように言葉を区切って尋ねる。

 

「…お仕置きを、素直に、…?」

 

「…う、受ける…」

 

完全な子供扱いにもう羞恥心が限界で顔を伏せるシエルに、

セバスチャンはフフッと少し笑って、よくできました、と呟くと、また平手を振り上げた。

 

バシィィンッ

 

「うぅっ…ちょ、ちょっと待てセバスチャンっ…」

 

一発で涙交じりのうめき声をあげたシエルは、

既に次の平手を振り上げていたセバスチャンに制止の声を上げた。

 

「…何ですか、坊ちゃん。素直にお仕置きを受けるのでは?

もしもうダメだなどと言うならやはり…」

 

「違う、受ける、受けるからっ…」

 

眉を顰めてみせるセバスチャンに、シエルは必死で言った。

 

「あ、あまり…痛くするな…」

 

そんなお願いをしている自分が恥ずかしいのか、言葉尻は消え入るようである。
しかし、そんなシエルの決死のお願いだったが…

 

「却下です。坊ちゃん。」

 

「なっ…」

 

きっぱり否定され、シエルは絶望に目を見開く。

 

「坊ちゃんのリクエストを聞いてしまったらそれは『お仕置き』になりません。
坊ちゃんは『お仕置き』を素直に受けると仰いましたよ?」

 

「なっ・・・こっ・・・このっ・・・」

 

その声音は冷徹で、でもどこか面白がっている節も感じられて。
悔しさと痛みにシエルは震えながら吐き捨てた。

 

「このっ…悪魔めっ…!!!」

 

 

 

 

結局、それからシエルは先ほどまでの痛みと全く変わらない痛みの平手で

百叩きの残りをきっちり叩かれてから
ようやくセバスチャンによって縄を解かれ、部屋から脱出した。

 

叩かれたお尻はしばらく痛み続け、

その間シエルはいつもよりも少し用心深くなり、

傍若無人振りは多少なりを秘めていたとか、いないとか…。