下校のため、風丘に挨拶をして教室を出た歩夢は、下駄箱にいた。

部活終了時刻・最終下校間際の中途半端なこの時間は、
部活動場所に生徒はいてもそれ以外の場所に人気は少なく、
下駄箱もひっそりとしている。

そこで、歩夢はフゥと一つ息をつくと、自分の下駄箱を開けた。
すると・・・

バサッ

「っ・・・はぁ・・・またか・・・」

開けた瞬間、大量のメモサイズの紙が歩夢に向かって雪崩落ちてきた。
それを見て歩夢はため息をつき、落ちた内の一枚を拾い上げる。
その紙には赤いマジックで大きく「死ね」の文字。
もう一枚拾い上げると、今度は「消えろ」とやはり大きな赤い文字。
歩夢の下駄箱の中を埋め尽くしていた紙には、
一枚一枚、このような罵詈雑言の数々が殴り書きされていた。

「全く・・・困ったねぇ」


歩夢はため息をつきつつ、その場にしゃがみ込むと、下に散らばった紙を全て集めてサブバッグに突っ込み、

次に下駄箱の中に残った紙を掴んでそれもサブバッグに入れた。
そして最後に自分の靴を出し、その中にも突っ込まれている紙を抜き出して、靴を履いてようやく帰路に着くのだった。



歩夢が最近、自分の部活がない日にも遅くまで残っているのは、この嫌がらせのためだった。

皆と同じ時間に下校すれば、
下校のため外履きに履き替える他の生徒の目の前で、この嫌がらせの紙をぶちまけることになる。
それを避けるためだった。

「毎日毎日よく続くねぇ・・・」

帰宅後、自分の部屋で椅子に座って再び紙をしげしげと眺めながら、歩夢の口から自然とそんな言葉が漏れた。

初めてこの紙が入れられたのは、新入生歓迎会の終わった日の放課後だった。
その日は歩夢は学級委員として後片付けのため期せずして遅くまで残ったため、
紙の雪崩はたまたま誰にも見られずに済んだ。
その次の週の月曜日、警戒した歩夢が今度は意図的に朝早く学校に行き、夕方遅くまで残ったところ、
朝は何事もなかったが放課後は再び紙が雪崩落ちてきた。
以来毎日放課後、この紙が入れられているのである。



・・・だがしかし、こんなものはほんの序の口に過ぎなかった。

歩夢は新入生歓迎会以来、様々な嫌がらせを受けていたのである。



新入生歓迎会が終わって最初のクラス委員会議。

各委員長はその日までに、新入生歓迎会の準備から本番に至るまでの各クラスの過程と反省をレポートにまとめ、
引き継ぎ資料として提出することになっていた。

「それでは、各クラスの反省を、レポートを元に発表していこうと思います。
では、まず…」

今週の司会の佐橋が進行しようとするところで、歩夢が手を挙げた。

「あー…ごめん、皆。俺、今日レポート忘れちゃって。」

申し訳なさそうに眉を八の字にして言う歩夢に、木坂が目を丸くする。

「えっ!? めっずらしいな、歩夢が忘れ物するなんて。」

「うん・・・家の机の上に置いてきちゃって…」

そんな歩夢に、刺々しい言葉を向けたのは、いつぞやと同じく高藤だった。

「今日のクラス委員会議の議事は新入生歓迎会のみだ。
その反省レポートを忘れるなど・・・何しに来たんだ。」

「ちょっと、何もそこまで言わなくてもさー」

高藤の冷たい睨みと物言いに、原田が口を尖らせる。
歩夢はごめんね・・・と更にしゅんとして言う。

「とりあえず、反省は口頭で言って、
レポートは明日自分で皆に手渡しして、1部はファイリングしておくから・・・」

「分かりました。それなら、そうしてください。高藤君も、それでいいでしょう?」

「・・・フン」

佐橋に宥められて高藤が引き下がり、ようやくクラス委員会議が開始されたのだった。



クラス委員会議が終わり、歩夢は木坂と原田と一緒に下駄箱に向かって歩いていた。

あたりはだいぶ暗くなってきている。

「今日のこと、あんまり落ち込むなよー、誰だって忘れ物くらいあるって!」

まだどことなく元気なさげな歩夢の肩をポンッと叩いて、木坂が励ましの言葉をかける。
原田も、そうそう、と同調する。

「気にしない気にしない!」

そう言って、バシバシと歩夢の背中を叩く。

「いたぁっ」

「あっ・・・ごめんごめんっ」

予想外に歩夢が痛がったので、原田が慌てて歩夢の背中をさする。

「あ、ごめん、反射的に・・・フフッ 木坂も原田もありがとう。」

慌てる原田の様子を見て、歩夢がようやく少し笑顔を見せると、木坂と原田の表情も緩んだ。

「どーいたしまして(笑) ってか歩夢。マジで気にすんなよー、高藤のことも含めてさ。」

「・・・え?」

木坂の言葉を歩夢が聞き返すと、原田が「え?、じゃないよっ」と頬をふくらませて言う。

「他人の俺らが気づくんだから宮倉だってとっくに思ってるでしょ。
最近のあいつ何なの、感じ悪すぎ! 
前から宮倉にあたり強いなって思ってたけど、特に最近異常だよ。
今日だって大したことないのにあんなに突っかかるし、
歓迎会の前々日の準備の時なんて、俺だったらあの場でぶち切れてるよ。」

「確かに・・・あの時は特にひどかったな。歩夢や5組に対しての物言い・・・」

原田の意見に、木坂も同調する。原田は、なおも続ける。

「宮倉が優しいから調子乗ってんでしょ。
当人の宮倉から言いづらいんだったら、俺らから先生に言ってやろうかな・・・」

「は、原田! 俺は大丈夫だよ。」

原田の言葉に、歩夢が食い気味に答える。

「え?」

「そんな、確かに高藤君は俺にちょっと厳しいけど、いつものことだし。
俺は気にしてないよ。」

「え? でも・・・」

「だーいーじょーうーぶ。」

ねっ?と笑顔でそう言われ、原田も不満が残るながら頷くしかなかった。

「え、う・・・うん・・・」

そんな会話をしている内に下駄箱に到着する。
木坂と原田が自分のクラスの靴箱に向かおうとする中、歩夢はあ、と声を上げた。

「ごめん、ちょっと教室に取りに戻るのがあるんだ。
遅くなっちゃうし、二人は先に帰ってて。」

「え? 教室すぐそこだろ。物取るくらいなら、待ってるから一緒に・・・」

「ううん、大丈夫。今日はありがとう。じゃあ、また明日ね!」

木坂にそう言われるも、歩夢は断って二人に手を振ると、教室の方へ駆けていった。



「・・・」


それから15分ほどして、もう間もなく最終下校という時刻。
歩夢は下駄箱に戻っていた。その表情はやはり硬く。
微かに震えている手で下駄箱を開ける。すると・・・

バサッ

「っ・・・!!」

今日も変わらず雪崩落ちてくる嫌がらせの紙。違うのは・・・

「(・・・ヤバ。これは結構くる・・・かも。)」

いつもの罵詈雑言が書かれた千切られたような紙の裏を見ると、見覚えのあるタイトルの一部が読める。
それは、歩夢が「家の机の上に置いてきた」、『新入生歓迎会について』のレポートのタイトルの一部だった。



そんなことがあって数日。

歩夢の身にまた事件が起きた。

「(あれ・・・全く・・・次から次へとよくもまぁ・・・)」

昼休みも終わりに差し掛かった頃。
5組は昼休み明けの5時間目が体育館での体育で、
皆着替え終えて更衣室から体育館に移動を始めようとしていた。

「どーした? 委員長ー」

歩夢の困った様子が見えたのか、着替え終えた惣一が歩夢に話しかける。

「あ、うん、ちょっと忘れ物しちゃって。地田先生に言わなくちゃ・・・」

惣一に聞かれて歩夢がそう答えると、つばめが大げさに反応して言う。

「忘れ物!? や、やばいよ委員長があの竹刀の餌食に!!」

「え・・・あ」

つばめに体を揺さぶられ、困ったように笑った歩夢の視界に、件の人物が映った。

「お前は私を何だと思ってる!」

「ぎゃぁぁぁっ 出たぁぁぁぁっ」

不意に声がした方を見れば、更衣室の入り口にいつの間にやら地田が立っていた。
つばめがお化けを見たかのように飛び退いて、歩夢の後ろに隠れる。

「ってか、ここ男子更衣室なんだけど・・・」

つばめの反応に苦笑いしつつ、夜須斗がボソッと文句を言う。

「私は別に関係ないだろう。
もうすぐ5分前だから残ってる奴は早く移動しろと言いに来ただけだ。遅刻の罰周したくないならな。」

『罰周』というのは、外体育なら運動場、中体育なら体育館を走らされるもので、
地田の体育授業に関する罰で竹刀以上に頻繁に登場する罰だ。

「・・・で、宮倉。何を忘れた。」

地田に目を向けられて、歩夢が口を開く。

「あ・・・体育館シューズを。持って帰っていたのを忘れていて。すみません・・・
今日だけ、部活動で使っているダンスシューズを使わせていただけないでしょうか。」

歩夢は、中等部高等部合同のダンス部に所属している。

「ふむ・・・」

地田の前でも怯えずしっかりした態度でいる歩夢はさすが委員長といったところであるが、
やはり少なからず怖さはあるのか地田の様子をおずおずと伺っている。

「・・・いいだろう。ただし、合流する前に罰周10周してからだ。次は気をつけろよ。」

「はい! すみませんっ・・・」

地田にそう言われ、歩夢は大きく返事をして90度頭を下げる。

「・・・さすが委員長。こういう時の正解の態度を分かってるな。」

地田はそう言って、チラリと夜須斗やつばめ、惣一たちを一瞥する。

「ほら、とっとと走りに行け。
早いところ走り終わればクラスメイトに見られる時間も少なく済むだろう。」

「はい!」

歩夢はまた返事すると、更衣室を出て行った。
部室にシューズを取りに行き、そのまま体育館に行くのだろう。

「いやー、竹刀回避できて良かったねぇー」

つばめが歩夢の背中を見送りながらそう言うと、地田がため息をついて言う。

「毎回毎回ならまだしも、一度の忘れ物くらいで竹刀で叩くわけないだろう。
ましてやお前らならいざ知らず、宮倉の普段の真面目な授業態度を知ってるんだからな。」

「ムッカー!! ひどーい!!」

「うるさい。お前らも早く体育館に移動しろ。」

地田は言うだけ言うと、とっとと更衣室を出て行ってしまった。
地田が十分離れたであろう頃を見計らって、つばめが「イーッだ!」と頬を引っ張って舌を出している。

「まぁ、言ってることは正論だけどね・・・ 
俺らが忘れ物したとして、委員長と同じような印象は抱かれないでしょ。」

夜須斗がそう言ったのを聞きながら、でも・・・と洲矢が言う。

「委員長最近疲れてるのかな・・・ 珍しいね、忘れ物この前もしちゃったみたいだし。」

「この前も?」

洲矢の言葉を、不思議そうに仁絵が聞き返すと、うん・・・と洲矢が続ける。

「この前、風丘先生の手伝いで次の授業に使う教材2組に運んでたら、
委員長と2組の委員長の佐橋さんが話してて。」

「それで?」

「『ごめんね、昨日忘れちゃって。』って委員長が言ってたから。
それで、何かレポート用紙みたいなのを渡してて。」

「・・・相手の2組委員長は何て?」

「えーと、僕たちと同じ感じ。普通に受け取って、珍しいね、みたいなこと言ってたと思う・・・。
あんまりちゃんと聞いてなくて、僕も委員長が忘れ物なんて珍しいな、って思って覚えてただけだから・・・」

「そうか・・・ヤな感じだな・・・。」

「え?」

洲矢の言葉を聞いて、仁絵がボソッと呟く。
今度は洲矢が聞き返すが、仁絵はいや・・・と言葉を濁した。

「気のせいだ、どーせ。」

「ひーくん・・・?」

「おいー、仁絵、洲矢! 早く移動しねーとマジで罰周だぞ!」

「おー、行くぞ。洲矢。」

「あ、うんー」



「あー、今日もつっかれたー!! 体育からの部活とかやっぱ無理ゲー・・・」


部活を終えた惣一・夜須斗・つばめ・仁絵は、揃って教室に向かっていた。
今日は5人とも部活の日で、一人だけ文化部の洲矢と落ち合うために、教室で待ち合わせしているのだ。

「体育の時に無駄に跳んだり跳ねたりしてるからでしょ。」

ブーブー言う惣一に、夜須斗が呆れ顔で言う。

「マット運動なんだから跳んだり跳ねたりして当然だろ!」

「指定技にはハンドスプリングもバク転も入ってなかったじゃん。」

「何夜須斗~ 自分が出来ないからって羨ましいんでしょぉ~」

噛みついてくる惣一を流そうとする夜須斗に、自分も出来るつばめがここぞとばかりにからかう。
それを鬱陶しそうにする夜須斗の目に、教室にいる一人の人物の姿が映った。

「そんなわけない・・・あれ、委員長。」

「あ、ほんとだ~ 委員長ー! ってあれ? その手に持ってるの・・・」

「うわぁっ! び、びっくりした~ 惣一たちかぁー」

委員長、と呼んで大声で教室に飛び込んだつばめに、歩夢はあからさまに驚いた様子で、
手に持っていた物を何故か背中に隠した。
しかし、つばめは歩夢が隠す前にそれが何か目視出来たようで、首を傾げて歩夢に問う。

「体育館シューズ! 忘れたんじゃなかったの?」

「え? あ、あぁ・・・忘れたと思ったら、思い違いでやっぱり持ってきてて・・・」

アハハ、と笑う歩夢に、えーっとつばめが驚いた様子で言う。

「うっそぉ、走り損じゃん! もっとちゃんと確認すればよかったのに~」

「うーん、でも、あれより時間かけて探してたらどうせ遅刻だったし。
どっちにしろ罰周は免れなかったよ。」

歩夢はクスクスッと笑って、ありがとう、とつばめの頭を撫でる。

「うー、そぉ? じゃあ・・・ドンマイ! そーいう日もあるよっ!」

つばめの言葉に、歩夢はニコッと笑って、また「うん、ありがとう」と答える。

「それじゃあ、俺はもう帰るから。皆お疲れー」

「うん、お疲れー」
「おう!」
「おー」
「・・・」

教室を去る委員長と挨拶を交わす3人に反して、仁絵は黙ったまま歩夢を見つめていた。
そして、歩夢が見えなくなると、さっきまで歩夢が立っていた位置に自分が立ち、何か考え事をしているような仕草を見せる。

「・・・ここ・・・なんで・・・」

「仁絵?」

そんな仁絵の様子に、夜須斗が不思議そうに声を掛けるが、仁絵はかまわずその位置からある物を見やった。
そして・・・

「っ!」

何かを見つけたようで、仁絵は躊躇いなくその中に手を突っ込んだ。
それに驚いたのは残りの3人だ。なぜなら・・・

「お、おい仁絵何してんだよ! それゴミ箱だぞ!?」

ギョッとして叫ぶ惣一も相手にせず、仁絵はある物を掴んでそれを制服のポケットに突っ込んだ。

「ちょっと、何してんの仁絵・・・」

突然の行動に引いたような反応でつばめが言うも、仁絵は「別に・・・。」としか言わない。

「いや、別にって! 今の行動してそりゃないだろ!」

惣一もそう言うが、仁絵はそれ以上何も言わなかった。
そんなところに

「ごめんー! 部活長引いちゃって・・・」

と洲矢がようやくやってきたのだが、洲矢は開口一番「え?」と驚いたような顔で言った。

「ひーくん・・・どうしてそんな怖い顔してるの?」

「あ・・・悪ぃ」

洲矢に不安そうな顔でそう指摘され、仁絵は慌てて謝る。が、険しい顔はあまり変わらない。

「さっきから何考えてんの。変だよ?」

夜須斗にも指摘されるが、仁絵はまた、いや・・・とはぐらかす。

「まだ確証ねーしな・・・」

「? 何・・・? 委員長に続いてお前までおかしくなったの?」

仁絵の様子に、夜須斗が眉根を寄せる。

「え? 委員長なんか変か? 忘れ物2連チャンなんて、厄日だっただけだろ?」

夜須斗の言葉に、惣一が不思議そうに言うと、それだけじゃなくて、と夜須斗が言う。

「いつもと変わらない風にしてるけど、何か覇気がないっていうか。
まぁ、それこそ確証がないただの感覚だけどね。」

しかし、その夜須斗の言葉に、仁絵が頷く。

「あぁ・・・。考えすぎで済めばいいけどな。」

「え?」
「ひーくん?」
「それって・・・」

「・・・何でもねーよ。帰るぞ。」

「あ、ちょっと待ってよ仁絵ー!」

スタスタと教室を出て行ってしまった仁絵をつばめが追いかけ、それに続いて3人も教室を出て行った。



「もーっ、言うだけ言ってなんなのーっ」

「ほんとだよ。意味深なこと言ってさ。」

4人がようやく仁絵に追いついたのは下駄箱。
つばめと夜須斗の抗議にも、仁絵は応じない。

「だから何でもねぇって・・・?・・・!」

取り合わずに靴を履いていた仁絵が、何かを見つけた。
そしてそれを拾い上げ、見た、その瞬間、仁絵は目を見開き、その表情を凍り付かせた。

「ど、どーしたの、ひーくん・・・」

洲矢に声を掛けられ、仁絵は咄嗟に手の中の物を握り込んだ。

「それ、何・・・? 紙・・・メモ・・・?」

クシャッと音が聞こえ、洲矢がそう言うと、仁絵が首を振った。

「・・・悪ぃ。1日だけ待ってくれ。・・・明日、説明する。」

「えぇ? 何それ。今じゃダメなのーっ?」
「そうだそうだ! 気になってしょーがねーだーろぉっ」

仁絵の言葉に抗議する二人に反して、洲矢は静かに「分かった。」と答えた。

「明日だね。約束。」

「あぁ。」

「うん。よし、ほらほら、惣一、つばめ、帰ろーっ」

「えー、何だよそれ洲矢ーっ」
「洲矢は気になんないのっ?」

洲矢に背中を押され、惣一とつばめが不服そうに振り返ると、洲矢は一日の我慢だよー、と言って、
更に二人を押して校門の方に歩いて行った。

3人の姿が遠くなっていくのを見て、じゃ、帰るか・・・と、仁絵と共に残された夜須斗も歩き出そうとした時だった。

「夜須斗。」

不意に仁絵に呼び止められた。

「何? 説明は明日なんでしょ?」

振り返ってそう言った夜須斗に、仁絵は尋ねた。

「・・・委員長の家、知ってるか?」

「え?」