「ただいまー」
時刻は午前1時半。
真っ暗な家の玄関に入ると、風丘は電気を点けつつそう言った。
続いて仁絵が無言で入ると、風丘が仁絵に言う。
「仁絵君。『ただいま』って言って。」
「は? 何で・・・」
「良いから。言って?」
「っ・・・ただいま。」
「はい、おかえりーっ」
「なっ・・・おい、風丘っ・・・」
そう言って、また抱きしめられる。
仁絵は驚きやら恥ずかしさやらで風丘の腕の中で暴れた。
ひとしきり抱きしめると、風丘がスッと真顔になって言う。
「さて・・・仁絵君。
今からと明日起きてからとどっちが良い?」
「・・・今からで良い。」
何の話かなんて言われなくたって分かる。
仁絵は俯きながら答えた。
「よし。じゃあ、リビングおいで。
言っておくけど、今日は厳しいよ?」
「ん・・・」
風丘にはっきりそう宣言され、仁絵は力なく、それに返事した。
「じゃあ・・・ここおいで。」
リビングに入るなりソファに座った風丘に指し示された場所は、
もちろん膝の上。
自分から『今からで良い』とは言ったものの、
だからと言ってそう簡単に行ける場所かといえば
もちろんそんなはずもなく。
仁絵はリビング入り口で立ちつくしてしまう。
「・・・」
でも、もう風丘は通常モード、
むしろ心配した分怒りは増幅しているようで、容赦ない。
「ふーん。そう。そういう態度。
仁絵君、自分で『今から』って言ったじゃない。」
「いや・・・だって・・・
あんた『今』か『明日』かしか聞かなかったし・・・」
仁絵も仁絵で、こんな時になっても口をつくのは言い訳で。
「へぇ? あんなことしといて『お仕置き受けたくない』なんてこと言うの?
そっか。よく分かりました。」
風丘は立ち上がると、仁絵の元へ歩み寄り、ぐっと腕を掴んだ。
「そういう反省の欠片も無い子には、
とびっきり痛いお仕置きしてあげる。」
そう言いつつ、
風丘はあっという間に仁絵をソファに座った自分の膝の上にのせ、
ズボンと下着を下ろしてしまう。
「ちょっ・・・まっ・・・」
バチィィィィンッ
「ってぇぇっ」
有無を言わさず振り下ろされた平手に、仁絵が悲鳴を上げる。
唐突に痛すぎる。
「まずは平手で100回。庇ったらひどいよ?」
バッシィィンッ
「んぁっ! ちょっ・・・まずは、って・・・」
バチィィィィンッ
「うぁぁっ!」
「当然。だって、それだけで済むわけないでしょ?」
バシィンッ バチィィンッ バシィィンッ バシィンッ
「いたぁっ・・・そっ・・・なにっ・・・うぁぁっ・・・むりぃっ・・・」
「中途半端なお仕置きじゃあ、仁絵君懲りないでしょ?
何回言わせるの、ケンカはしちゃダメって。」
バッシィィィンッ バシンッ バシンッ バシィィンッ
「いぁぁっ・・・だっ・・・ほっ・・・ほとんど買いだょっ・・・」
「ほとんど? へぇー、じゃあちょっとは売ったんだ?」
バッシィィィィンッ
「ぎゃぁぁっ いってぇ・・・」
「今日は怪我もしてるじゃない。
いつも言う『無傷だからいいだろ』なんてのは通用しないから。」
バチィィンッ バチィィンッ ベシィィンッ
「うぁぁっ・・・ぇっ・・・怪我人っ・・・痛めつけていいのかよぉっ・・・」
仁絵はすでに涙目だ。
風丘と2人きりだから、というのもあるが、とにかく痛いのだ。
「へぇ?
勝輝にグラス投げたり掴みかかっていくような元気有り余ってる子が、
怪我を理由にお仕置きから逃げれるとでも思ってるの?」
バシィィィンッ バシィィンッ バシンッ バシンッ
「ふぇぇっ・・・じゃぁっ・・・その程度の怪我で怒んなぁっ・・・」
「仁絵君が元気でいられなくなるような怪我してからじゃ、遅いの。
取り返しがつかなくなる前に、
ケンカやめなさいって言ってるんでしょ?
これに関しては、いつまで経っても学習能力無いね。」
バシィィンッ ベチィィンッ バチィィンッ パァァンッ
「いたぁぃぃっ・・・もっ・・ふぇぇっ・・・ったぃぃっ・・・」
「この怪我、ナイフなんでしょう?
下手したら、怪我どころじゃすまなかったかもしれないんだよ。
命を粗末にするようなこと、二度としないで。」
バッシィィィンッ バシィンッ バシィンッ バチィィィンッ
「うぁぁっ・・・分かった、分かったからぁっ・・・
ごめんっ・・・だからぁっ・・・」
『もう無理』そう伝えようとしたが、バレバレだったようで。
「まだ全然100じゃないよ? 今日は厳しいって言ったでしょ。」
聞く耳持たずの返事。
というか、そんな甘い考えを持ったことをとがめるように、
ひときわ厳しい3連打が降ってきた。
ベシィィンッ バッチィィィンッ バッシィィィィンッ
「うぁぁっ・・・ってぇっ・・・うぁぁぁぁっ!」
「こーらっ」
あまりの痛さに、思わず右手で庇ってしまう。
風丘はすかさずその手を掴み、背中で縫い止めた。
「庇ったらひどいよって言ったよね?」
そう言うと、
風丘は、すでに赤く腫れ始めている仁絵のお尻の右側を思い切り抓った。
「あぁぁぁっ! ってぇぇぇぇっ・・・
ふぇぇぇっ・・・もっ・・・無理ぃぃっ・・・」
仁絵はこれが大の苦手だ。
前にされたときもこれで大号泣だった。
風丘もそれを知っていてやったのだろうが・・・。
仁絵は、これをきっかけに堪えるようだった泣き方が、
完全に大泣きに変わった。
「仁絵君が庇うからでしょ? 反省してないの?」
バシィィンッ ベシィィンッ バシィィンッ
「してるぅっ・・・ふぇっ・・・してるからぁぁっ・・・」
「そう。じゃあ、最後までしっかりお仕置き受けなさい。」
「やぁぁっ」
非情な言葉に仁絵が泣き出すも、風丘は厳しい。
「嫌じゃないでしょ! ・・・仁絵君、何を反省してるか、言ってごらん。」
バシィィンッ バシィィンッ バチィィンッ
「ケンカしたぁぁっ・・・うぁぁっ・・・」
「そう。それで?」
バチィィンッ ベシィィンッ バシィィンッ
「いぃぃっ・・・ふぇっ・・・けっ・・・けがしてぇっ・・・」
ベシィィンッ バチィィンッ パァァンッ
「それで?」
「そっ・・・それでって・・・」
続きが出てこない仁絵に、風丘が見かねて助け船を出す。
「ふぅ・・・仁絵君。俺が一番怒るのは、どんな時だったの?
いい加減、それくらい分かってほしいんだけど。」
風丘の言葉に、必死で頭を回転させる。
(風丘が・・・一番怒るのは・・・それは・・・)
そしてようやく行き着いた答えは1つ。それは・・・
「心配・・・かけた・・・」
「そう。正解。」
バッチィィィィンッ
「いってぇぇぇっ!」
とびきり痛い平手が振り下ろされ、仁絵の体が跳ねる。
すると、いったん平手が止んだ。少々の沈黙の後・・・
「ほんとにね・・・ほんとに・・・心配したんだからね・・・」
「っ・・・!」
いつもの調子でお説教していた風丘の声、様子が、突然変わった。
その声で仁絵が思い出すのは、
警察署で、仁絵が最初に見た、取調室に飛び込んできた風丘の顔。
一生忘れられない、あの顔。
「前も言ったよね。心配するのは俺の勝手だよ?
だけど・・・心配するのって、すごく辛いんだよ?
心臓が押しつぶされそうになって、
次から次へと不安が押し寄せてきてさ・・・。」
「・・・」
「お願いだから、もう俺に、あんな思いさせないで・・・。
大切な子が突然家からいなくなって、冷静でいられるほど・・・
俺、強い人間じゃないんだよ?」
「っ!! ごめん・・・っ・・・俺っ・・・」
風丘の言葉を聞いて、
仁絵の口からは、自然に言葉が紡ぎ出された。
言わなきゃいけない。
無意識に、仁絵は声に出していた。
「何も言わないで・・・家出して・・・
ケンカして、怪我して・・・風丘に心配かけた・・・
ごめんっ・・・・ごめん・・・なさい・・・」
「・・・ちゃんと反省してるじゃない。」
仁絵の謝罪を聞いて、
次に風丘から発せられた声は、いつもの調子に戻っていた。
おそるおそる体をねじって振り返ると、
にっこり笑った風丘と目が合う。
「それじゃあ100叩きの残り、
ちゃーんと我慢しよーねっ(ニッコリ)」
バッチィィィィンッ
「っ!? ふぇぇぇっ・・・風丘のバカァァァッ」
再開した平手は先ほどと威力は全く変わらないもので。
というか、より痛くて。
仁絵はそこから嫌って言うほど泣かされた。
「ふぇぇっ・・・いってぇぇ・・・ふぇぇっ・・・」
実際の時間にしては十数分間でも、
仁絵にとっては地獄のような100叩きの時間をようやく終えて、
仁絵は風丘の膝の上で泣いていた。
思えば、きっちり100叩きをされた経験は、これが初じゃないだろうか?
お尻は真っ赤に腫れ上がっている。
しばらくすると、風丘が仁絵に声をかけた。
「仁絵君。一回立って。」
そう言って、風丘は仁絵をどかして立ち上がると、
リビングを出て行ってしまった。
そして、戻ってきた彼の手に握られていたものを見て、
仁絵は驚愕した。
「な・・・に・・・それ・・・」
「仁絵君。どれか1つ、選びなさい。」
そう言って、ソファの前のローテーブルに並べられたのは、プ
ラスチックの靴べら、洋服ブラシ、革のベルト、縄跳び。
どれも恐ろしすぎる凶器だ。
100叩きが痛すぎて、
最初に『まずは』と言われていたことを
すっかり頭からとばしていた仁絵は、
てっきり終わりだと思っていたので、
道具を並べられたとたんに落ち着いてきていた涙がまたあふれ出る。
「無理・・・もう無理だって・・・」
「ダメ。今日は厳しいよって言ったでしょ。
どれか1つ、それで3回叩いたらおしまいにするから。
あと10秒以内に決めないと、全部使って、回数も増やしちゃうよ?」
「なっ・・・そんなのっ・・・」
「10、9、8、7、6、5・・・」
「やっ・・・くっ・・・靴べらっ」
どれだって嫌だが、完全に未知の道具であるベルトは無しだし、
縄跳びは誰しも経験ある引っかかって足とかに当たった痛みを思えば、
あれが今のお尻に・・・となると辛すぎる。
ブラシか靴べらの2択だったが、
厚みがないぶん、若干ブラシよりは良いのかもしれない・・・と、
限りなく薄い望みをかけて、靴べらを選んだのだった。
「うん。分かった。じゃあ、そのままソファにあがって膝立ち。」
風丘はあっさり了承して靴べらを手に取ると、
手に持ったその凶器を使ってソファを指す。
抵抗したって良いことはないのはさんざん思い知らされているので、
仁絵は素直にソファに膝立ちになった。
そのまま背中を押され、背もたれに覆い被さるような体勢になる。
「数は良いから、1回ごとに俺が言ったセリフを復唱ね。
分かった?」
ペシペシと軽くお尻をはたかれるが、それだけでもかなり痛い。
仁絵は必死で返事をした。
「はっ・・・はいっ」
「うん。偉い。それじゃあ、いくよ? 『反省しました』。」
ヒュッ バチィィィンッ
「うぁぁぁっ! 反省したぁぁっ」
「・・・ちゃんと聞いてなかったの? 反省『し・ま・し・た』!」
ヒュッ バチィィィィンッ
「ふぇぇぇっ・・・反省しましたぁぁっ」
「『もうしません』。」
ヒュッ バチィィィィンッ
「いたぁぁぁぃっ・・・もうしませんっっ」
「『ごめんなさい』。」
ヒュッ バッチィィィィンッ
「うぁぁぁっ! ごめんなさいぃぃっ!」
「よしっ お仕置きおしまいっ 頑張りましたっ」
「ふわぁっ!? ふぇ・・・えぇぇぇぇんっ」
最後の1発が終わると、風丘がぎゅっと仁絵を抱きしめた。
仁絵もようやく許されたことが分かって安心したのか、
今までとは別の涙が止めどなく流れたのだった。
ひとしきり泣いた後、
ソファに寝ころんでお尻を冷やしてもらいながら、
仁絵はあることを思い出し、ポツリと言った。
「風丘・・・さっき言わなかったけど・・・
学校で殴ったのも・・・ごめん・・・
それに、俺、あんたにひどい言葉・・・」
「ん? クスクスッ 何だ、それもちゃんと気にしてくれてたんだ。」
風丘は笑いながら、仁絵の頭を撫でる。
「やっぱり仁絵君は良い子だねー。
まぁ・・・確かに痛かったけど・・・あれは俺も悪いから。」
風丘としては「だからいいんだよ」と言いたかったのだが、
仁絵は納得いかなかったらしい。
「何で!? 殴ったの俺だしっ 暴言吐いたのだってっ・・・」
「でも、あの時仁絵君すごい苦しそうな顔してたでしょ?
絶対自分からやりたくてやったわけじゃない。
あれに関しては、
仁絵君はお仕置きしなくたって十分反省できてると思うから。」
「風丘・・・」
「それにむしろ、あんな顔させちゃうくらい仁絵君を思い詰めさせて、
そんな辛いことをさせた原因を作ったのは俺。
隠し事もしちゃってたしね。
それに関しては、俺もお仕置きされなきゃいけないかも。
ごめんなさい。」
風丘は真顔でそう言うと、頭を下げる。
「・・・プッ・・・何言い出すんだよ、あんた・・・」
思わぬ風丘の行動に、仁絵が吹き出した。
「ん? 俺、結構真面目だったんだけど?」
「やっぱり風丘って変わってるよ・・・ でも・・・そーだな・・・」
仁絵は、思案顔で、風丘の目を見つめる。
「なーに?」
「俺が風丘の尻叩いたり、できるわけねーし。だから・・・」
「だから?」
「中学卒業までなんてケチくさいこと言わねぇで、
俺がちゃんと大人になるまで見届けろ。
それがあんたへの『オシオキ』。」
「??? それのどこがお仕置きなの?」
首をかしげる風丘に、仁絵が悪戯っぽくニヤッと笑う。
「俺が成人するまで、あと6年だぜ?
高校卒業だって、あと4年。なっがいぜ~?
覚悟しとけよ、俺みたいな問題児をそんな長い間面倒見るなんて、
めっちゃキツイ『オシオキ』になんだろ?・・・って・・」
今度は、風丘は仁絵の頭にコツンと軽くゲンコツを落とす。
「またそうやって自虐する。
自分で自分を『問題児』なんて言わないの。
・・・それに、やっぱりそれはオシオキじゃないね。むしろ・・・」
(ご褒美、かな・・・)
風丘は心の中でそう呟くと、
それを声にする代わりに、フワッと微笑んだ。
その綺麗な微笑みが気に入らなかったのか、
仁絵がムッとして言う。
「っくしょ・・・そのヨユーむかつくんだよっ・・・じゃあ分かった!
それにプラスで、これから1週間、夕飯に毎回手作りでデザート付けろ!
買ったのじゃダメだからな!」
「クスッ わぁ、それは大変。」
「で、その1週間が終わったら、料理は俺がする!
一緒に暮らしてんだから、少しは俺にも家のことやらせろ!
で、最初は失敗するかもしんねーけど、
どんなもん出しても文句言わねぇで食え! いいな!」
「・・・」
勢いよく言われたことに、風丘は一瞬キョトンとする。
そして、次の瞬間。
「・・・プッ アハハハハハッ
やっぱ仁絵君最高っ かわいい~~~♪」
風丘は吹き出して、そのまま仁絵をまたギューッと抱きしめる。
「だぁっ! やっぱムカつくっ・・・
つーか苦しっ・・・風丘ぁぁぁっ!!」
大騒ぎの事件も、
また少し、2人の距離が縮まって、ようやく幕を閉じたのだった。