結局、夜須斗は居間でおとなしく待っていた。

逃げれば後々自分がひどい目に遭うだけだと本能的に感づいていたのと、
いくらうんざりしていた自分の祖父でも、

突き落としてしまったのはやりすぎたと多少の罪悪感も感じているからだった。


数十分後、雲居が居間に現れた。


「・・・じいちゃん、大丈夫だったの?」

「ああ。さすがは鍛えられた体や。

一時的に痛む、ただの打撲やな。骨とかに異常は何もあらへん。
まぁ、たとえてみれば足の小指を家具の角にぶつけたって

そんぐらいの感じや。」

「・・・んだよ。じゃあわざわざ雲居呼んで大騒ぎすることなかっ・・・いっ!」


夜須斗が言い終わらないうちに、雲居が夜須斗の頬をつねった。


「なんやて? もう一度言ってみ。」

「ぃってぇぇっ ひゃ、ひゃんひぇひょひゃい!(なんでもない)」

「・・・・ったく・・・。

経緯はじいちゃんから聞いた。蔵使う許可もらったから、行くで。」

「はぁ!? なんでよりによって蔵なわけ!?」


『蔵』は、夜須斗の家の庭にある、

大きさは学校にある体育器具庫が

2階建てになった(←わかりにくい)ぐらいの建物。
昔は貯蔵庫に使われていたらしいが、

今はただのがらくた置き場になっている。

そして、この『蔵』を夜須斗が嫌がるのにはわけがあった。

この蔵は分厚い扉や壁、などの構造上からか、

音がほとんど外へ漏れない。
しかも、元はただの貯蔵庫なため窓もほとんどなくて

昼間でも中は真っ暗。
それを理由に、夜須斗が祖父を相当怒らせてしまったとき、

特に小学校低学年のころまでは、
ここへ連れ込んで大声で怒鳴って長々と叱ったり、

ここへ小1時間ほど閉じこめたり・・・。
そして、極めつけは『お仕置き』だった。
実は、夜須斗は風丘に叩かれる前も、

小さい頃本当に数回、祖父に叩かれたことがあった。
最近では、小学校の四年生の時、

あまりの授業態度の悪さにたまたま仕事が休みだった母親が呼ばれ、
祖父にもばれ、『親に恥をかかせるとは何事だ』と激怒し、

その時は蔵に連れ込まれて相当な回数を叩かれた。
それが祖父に叩かれた最後で、

以降中学で風丘たちに叩かれる以外は叩かれていないが、
それでもその『蔵』という場所は夜須斗にとって

一種のトラウマとなっていた。


「じいちゃんに『ちょっと夜須斗しばきたいからどこか貸してくれへんか』言うたら、
蔵なら音も漏れへんからええやろ、言われたんや。

音漏れへん方が、いろいろ好都合やろ、お互い。なぁ?」


雲居が怖すぎる笑顔で夜須斗に問いかけた。


「・・・・」

「ほな、行くで。」

「・・・うわっ ちょっ・・・!」


雲居は、夜須斗の腰を抱えて肩に担ぎ、悠々と蔵へと連れ去っていった。





蔵につくと、雲居は夜須斗を下ろし、重い扉を閉めた。

そして、おもむろに口を開く。


「なぁ、夜須斗。だいたいの経緯はじいちゃんから聞いたで。

じいちゃんに説教されそうになって、
抵抗して縁側から突き飛ばしたんやて?」

「・・・・・・。」

「打ったんが腰で、骨に異常もあらへんかったから良かったようなものの、

もしそれが打ち所悪ぅて、骨折になったり、
まかり間違うて頭でも打ったときにはどないなるか分かってるんか?」

「・・・・・・それは・・・。」

「ええか、夜須斗。いくら昔鍛えとったお前のじいちゃんかて、

人間歳にはかなわんのや。
年寄りは大事にせえって言われへんかったか? 

今回のがふつーのじいちゃんばあちゃんやったら、
こんなんじゃ済まへんかったかもしれんで?」

「・・・別に・・・じいちゃんじゃなかったらこんなことしないし・・・。」


このちょっと本音を言ってしまったとき、夜須斗はしまった、と思った。

言った瞬間、雲居の眉が少しつり上がった気がした。


「・・・・・・・夜須斗。俺は医者なんもあってなぁ。

そーいうまかり間違えば命に関わるようなことを
ふざけて軽ぅ考えてる奴は許されへんねや。
残念やなぁ。反省の弁を述べるぐらいのことしたら、

お仕置きもちょっとは考えたったんやけど・・・
言った言葉が『自分のじいちゃんじゃなかったらこんなことしない』やて?
ふざけんのも大概にせぇ!」

「っ・・・・」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ええもんあるやん。」

「!!や、そ、それはちょっ・・・待っ・・・うわっ・・・」


雲居が見つけたのは、古ぼけた洋服ブラシ。

それこそ、数年前、祖父の手に握られ、夜須斗を散々泣かせた『凶器』だった。
雲居は夜須斗の声には耳も貸さずに、

そのブラシを手に取ると、夜須斗の腕を引っ張って、
手早くズボンと下着を脱がせ、腰を抱え込んだ。


「まぁ、相当痛いやろからそんなめちゃくちゃ回数打ったりはせえへん。

・・・せやな、思いっきし20発で終わるやろ。
俺からの説教は今言った通りやし、あとは反省の言葉を聞かしてもらおか。
あとでじいちゃんからも目玉食らうやろしな。ほな、行くで。」


ベッシィィィンッ


「いったぁぁぁぁっ!」


蔵全体に響くような大きな打撃音に、思わず夜須斗は大きな悲鳴をあげ、
背を大きくのけぞらせた。この一発で、涙がこぼれそうな痛み。


「ほら、悪いと思てるんやったら、さっさと言うこと言わんと20じゃ終わらんで。」


ベッシィィンッ


「くぅぅぅっ・・・・わ、悪かったってぇ!」

「なにがや! 主語があらへんで!」


ベッシィンッ


「んんんっ!・・・じ、じいちゃん! 

じいちゃんを縁側から突き飛ばしたぁっ!」

「せやな。年寄りにそんな乱暴あかんで?」


ベッシィィィィンッ


「うぁぁぁっ!・・・んっ・・ふぅっ・・・ふぇっ・・・分かったよ・・・もうしないぃ・・」


厚みが3センチぐらいは有るであろう、

しかも元テニス部で腕力のある雲居による
手加減無しのブラシでのお仕置きはいささか威力が強すぎた。
たった4発で夜須斗のお尻を赤く染め、

プライドの高い夜須斗を早々に泣かせてしまったのだから。
立ったまま、長身の雲居に腰を抱えられた体勢のため、手は宙を掻き、
足だってぎりぎり床についているぐらいで、とても不安定。

いつも以上に痛く感じてしまう。

それでも、雲居は容赦ない。

立て続けに三発ほど振り下ろし、また聞く。


「ってぇぇぇぇぇっ! ふぇぇっ・・・ったい・・・」

「まだ足りんで。反省したときはなんて言うんや。」


ベシィィィンッ


「あぁぁぁっ! うぇぇぇっ・・・ご・・・ごめん・・・」

「聞こえへん!」


ベッシィィィィィンッ


「ふわぁぁぁぁぁんっ ごめんなさいぃぃっ!」

「・・・・まぁ、言えたんはええやろ。

でもまだ6発しか打ってへんで。20-6は14やんなぁ?」

「もぅっ・・・無理ぃぃっ・・・」

「・・・・・・・・・・・しゃーない、5発にしたるわ。

そん代わり、でっかい声で数、数えや。
聞こえへんかったらカウントせぇへんで。」

「そんなっ・・・できないっ・・・・」

「せやったら、14発にするか?」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・数える」

「・・・ほな、いくで。」


雲居は宣言して、またブラシを振り上げた。


ベッシィィンッ


「うぁぁぁっ!・・・・」

「ほら、数数えんと終わらん言うてるやろ。」


ベシィィンッ


「あああああっ い・・・い・・ち・・・」

「聞こえへん!」


ベッシィィンッ


「いってぇぇぇっ! ・・・・い・・・いち!」


こんなふうにやっとのことで数を数え、そして最後の1回。


「ちゃんと数えれたら最後や。行くで。」


ベッシィィィィィンッ


「ったぁぁぁぁっ! ふ・・・ふぇ・・・・」

「・・・・ったく。今んでいくつや。」

「・・・・ご・・・・ご!」


「よっしゃ、ええで。」


雲居がそう言って、支えていた腕の力を緩めた。

とたん、夜須斗は崩れ落ちるようにペタン、と床に座り込んだ。


「いってぇ・・・・反則だよ、そんなブラシ使うとか・・・聞いてないしっ・・・」

「ええやん、平手やったら、今頃もまだ叩かれてるで、きっと。」

「・・・・あんたの痛すぎ・・・道具多いし・・・

風丘はもうちょっと手加減してくれるよ・・・」

「はーくんは怒らすと怖いけど、なんだかんだで甘いからなぁ。

せやから、たまにこうやってきついのでシメられといたほうがええやろ。」

「全然良くないっ」

「・・・・・ほな、行くで。終わったら連れてこい、て

じいちゃんに言われてるんや。」

「えええっ!? む、無理! 絶対無理! こんな状態で・・・」


板間での正座なら(それでもきついが)まだいいが、

最悪またお仕置き、と言われる可能性も0ではない。
雲居に叩かれた、軽く撫でられるだけでも泣きたくなるようなこのお尻に、
更に叩かれるなんて事は絶対に耐えられない。


「せやかて、行かんとどうにもならへんやん。

だいたい、今回のことで一番怒る権利あるんは、
怪我負わされたじいちゃんやし。」

「そうかもしれないけど・・・・・。」

「・・・・行くで。もう諦めぇ。」

「うっ・・・・・」


「また強制連行されたいんか?」

「・・・・分かったよ・・・」


夜須斗は立つだけで痛むお尻に顔をしかめながら、

服を整え、雲居と共に蔵を出た。





「・・・じいちゃん。入る・・・・失礼します。」


こうなったら琴線に触れるようなことはすまい、

夜須斗は滅多に使わない敬語まで使って、
とにかくしおらしくしていることに決めた。


「・・・・うむ。」

「・・・じい・・・ちゃん? もういい・・・わけ?」


布団に寝ているだろう、という夜須斗の予想に反し、

夜須斗の祖父は道場の真ん中あたりにひかれた布団の上に、
胡座をかいて座っていた。


「馬鹿にするでない。これぐらいのことで寝込んだりなどせんわ。」

「・・・・・。」

「座りなさい。」

「・・・・はい・・・。」

「お前は今回、自分がしたことの重大さを分かっておるのか?」

「・・・・・・はい。一歩間違えば命に関わるようなことだって・・・」

「雲居先生に言われたのか?」


夜須斗がコクリと小さく頷く。


「雲居先生にはどう叱られたんじゃ? 

わざわざ『場所を貸してくれ』と言うくらいじゃ。ただの説教だけではないじゃろ。」

「・・・・あの・・・・・・えと・・・尻を・・・」

「・・・・・仕置きか。」


夜須斗はまた頷いた。


「じゃが、今回のようなことは二度と起こってはならん。

わしからも、ちときつく灸を据える。」

「えっ・・・・・・叩く・・・の? やっ・・・それは・・・無理・・・」


夜須斗が顔をゆがめたそのとき。

その時、雲居がひょっこり顔を出した。


「じいちゃん。そんなにきつく叱らんといたって。

俺、相当きつくしばいたさかい。
さすがにこっからまた叩かれたりしたら、みみず腫れとかなってまうで。

それはかわいそうなんちゃう?」

「く、雲居・・・・。」

「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」

「蔵で大泣きしたんやで、夜須斗。

『ごめんなさい』もちゃんと言うたし。
夜須斗のプライドが高いんはよう知ってるやろ、じいちゃんなら。

せやったら、

その夜須斗が泣いて『ごめんなさい』言うたってことは

どんだけきつかったかって分かるんちゃう?」

「ふむ・・・・・・・・・・・・・

今週一週間、5時起きしてわしと一緒に道場で座禅、
その後道場の雑巾がけと門の前の掃き掃除と風呂・便所掃除。

それをやるならいいじゃろう。」

「っ・・・・・・・・・・・・・分かった、やる。」


かなりきつい条件だったが、

今これ以上叩かれてしばらく座ったり着替えたりするたびに

痛い思いをするよりは、断然ましに思えた。


「よし、ではちゃんとやりなさい。・・・・・・雲居先生、

いきなり呼び出してすまなかったな。」

「かまわへんて。どうせ今日は休診日やったし。

ほな、俺は帰るわ。」

「・・・夜須斗、お見送りしなさい。」

「・・・・はい。」




門の外まで来たとき、雲居は言った。



「ほな、ちゃんと尻冷やすんやで。」

「雲居・・・・ありがと。弁護してくれて・・・」

「そんなんええて。

お前が泣いて『ごめんなさい』言うたんはほんまのことなんやから。」

「ん・・・・」


雲居はそう言って、夜須斗の頭をぐしゃぐしゃと撫でた。

夜須斗は嫌がるそぶりをしながらも、

ちょっと笑っておとなしく撫でられていたのだった。