昨日は、私の初オリジナル曲発表記念単独公演「the Ballad -step-」でした。
お越しくださったみなさまありがとうございました。


私はまだ余韻の中にいて、うまく順序立てて書けないかもしれませんが、昨日の感激を今日のうちに書き留めたいと思います。


昨日は、ソロ歌手に転向して2度目の単独公演でした。
1度目は今年の2月。
その時も会場は今回と同じく新宿カールモールでソロ歌手京子バラッドの1周年記念公演でした。
その際に私はMCで、「今年中に歌を作ります。そして今年中に発表します。作曲はしたことはないけれど、でも必ずやります。」と言いました。
ずっとずっと、心の中にあった「1度くらい曲を作ってみたい」を本当にやる。
楽曲提供をしてもらう前に、まず1曲目は自分で作る。
と決めての宣言でした。

そして昨日無事、実現させることができました。
今、想像以上、想定以上に、やり遂げた。と感じています。

聴いてくれている人たちにこんなにも届くものかと、今も驚いています。


ピアニストには初共演の大和田千弘さんを迎え、2部構成で、全15曲ほどを歌いました。
歌謡曲やフォークソング、ニューミュージック、シャンソンやポップスなど、自分が歌いたい曲をカバーで14曲。
その中では今までも取り入れていたパーカッションの他に、今回初めてソプラノリコーダーにも挑戦しました。
それから弾き語りチャレンジ曲も2曲演奏しました。
(私の弾き語りについては、お客様には固唾を呑んで聴いていただく時間になりますが、これからも続けるつもり!)

そして、昨日のメインである初オリジナル曲を1曲。
本編2部と、アンコールでももう一度歌いました。


私の初自作曲となった曲のタイトルは『step』です。
自作曲というものに憧れがあったり諦めがあったり、でもそれは曲作りだけに言えるものではなくて生きていく中で大小様々の葛藤はあって、自分の歩み方やペースをただ自認するところから、次の一歩に繋がるかもしれない
というような、、自分自身のことを歌ったバラード曲です。

本編2部では弾き語り、そしてアンコールでは千弘さんのピアノで歌いました。
元々は、2回ともピアノは弾いてもらおうと思っていました。
少しでも良い曲に聴こえるようにしたかったし、当然上手なピアノでと思っていました。
ところが、前日のリハーサルで千弘さんが「初披露はこの日の1回目だけなんだから、絶対に自分で弾き語りした方が良いと思う」と提案してくれたことで、まずは弾き語りをすることになりました。
急だったし、曲が完成して以降は弾いていなかったけれど、それでもこの提案には納得しかありませんでした。
それから、千弘さんのこの向き合ってくれる姿勢に、私はなんだか急に涙腺が弱まってしまいました。


というのも、本番5日前の月曜日、いつものピアニスト江本翔くんが怪我をしてしまい、本番までに回復できるのかこの時点ではわからず、千弘さんには急きょ弾いていただくことになったという状況でした。
彼女とは数年前に一度ライブの対バンでお会いしたきりで、その時に格好良いピアニストさんだなあと私の中ではとても印象に残っていたけれど、私を覚えていただいているかも自信はなく、それでもダメ元で連絡をしてみました。
もしダメだったら、他に頼めるピアニストさんもいなくて、縋る思いでした。
するとそんな私に、千弘さんはすぐ快諾のお返事をくださいました。
本番前日にリハーサルの時間もいただけることになり、そこでお会いするのが数年ぶり2度目となりました。
リハーサルまでの数日間で楽譜をお渡しして電話やメッセージで先に伝えられることはお伝えして、リハーサルの時には既に「京子さんにとって今回のライブは並々ならぬ思いがあるよね」と理解してくれていて、そのうえでの、初自作曲の初披露の弾き語りの提案でした。


今回のライブにかける思いから元々張りつめていた気持ち、そして直前の出来事からくる焦り、千弘さんの心強い演奏とこんなに急なのに背中を押してくれる言葉に安堵し、「ああ、本当に明日だ」と我に返ったのかもしれません。
リハーサル後の夜と当日朝は、涙をこらえながらの自主練をしました。


そうしてようやく初披露できた『step』。
弾き語りのピアノはコードをおさえるので精いっぱい。
それもたくさん間違えました。
でも、初めて作ったこの1曲のすべてをまずは自分ひとりで初披露しました。
自作曲の弾き語りを終え、今こうしていることが嘘みたい。と思いました。

2部のステージが終わり、アンコールの最後に再び、今度は千弘さんのピアノで『step』を歌いました。
私が作ったシンプルなコードから、私の意図を汲んだうえでのピアノアレンジで弾いていただいて曲が生き生き華やいで、私は夢中で歌いました。
そしてやっぱり嘘みたい。と思いました。

以前は「私に曲なんて作れない」と、おそらく自信のなさから思っていたけれど、昨日は自信があるとかないとかは関係ありませんでした。
自信の有無を感じる余裕すらなかったのかもしれない。
そんな中で、大切な曲を一生懸命演奏しました。


終演時、とても幸せだった。
初めての感情をたくさん経験して私は感激していました。
が、そのあとに更にいろいろと驚いたり嬉しかったり、また初めてのことに出会いました。

お客様ひとりひとりにご挨拶していると、みなさん口々に「涙しながら聴きました」と感想を言ってくださいました。
これまでの私のことをよく知る人も、まだあまり知らなかったり初めて来てくれた人たちも。
会話できたほとんどの方からそんな感想をいただき、私は驚いています。
鍵盤と譜面とにらめっこしながら私が『step』を弾き語り中、千弘さんもそんな客席の様子を見ていたそうです。
アンコールで再び聴けたのも嬉しかったというお声もたくさんいただきました。

曲を作っている時、完成した時、初めてこの曲のリハーサルをした時(この時もすごく嬉しかった)、聴く人にどんなふうに思ってもらえるのかな?と気になったりしていました。
でも、これもまた気持ちの余裕のなさからか、この数日はやりきることで頭がいっぱいで、聴いていただいた時のお客様の反応とか感想とかのことは何も頭にありませんでした。
だから最初に感想を聞いた時に「あ、そうか、反応だ」と思い出し、それから「みんな言ってる…こんなに届くの…!?」と本当にびっくりしています。
言葉にできない嬉しさです。

それから、この曲のことを「オリジナル曲」とは言わずに「step」とみなさんが自然と言ってくれるのを、未知の感覚で聞いていました。
うまく言えないけど初めてのかんじ。
「京子さんの曲」と言われ、私も「私の曲」と言うのも、そのままそのとおりだけれど、私にとってはなんだかとてもすごいことです。
今まではそんな曲は存在しなかったから。


1曲を完成させ、披露までやりきることができて、これは小さな一歩と思われるかもしれないけれど、自分としては大きな百歩のように感じています。
自分の足で踏み出せた。



昨日のMCで言いたかったのに言いそびれたこと…
「自分らしい曲、そして今しか作れない曲ができたと思っています。」

 

 

 

今は『step』をもっといろいろな人たちに聴いてもらいたいです。

次回のライブでもきっと歌います。



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今回のライブは映像の販売予定があります。
詳細は後日お知らせします。

 

 

 



初めての作曲。


何年も前から、いや、10年とか20年くらい前から、一度は作曲をやってみたいなあという憧れみたいなものはありました。


実は、歌詞はもっと昔に書いてみたことがあります。

ブログを書くのも誰かにメッセージを送るのも自分で作った文章でのアプローチだから、歌詞とはまた違いはするものの作曲よりは作詞の方が少しチャレンジしやすいと感じていた。


でも作曲は自分にとって遠すぎるものと感じてきたから、それができる人たちをとても尊敬していました。


私も私だって

と考えてはやめて、何小節か作っては投げ出して、ということを今までに何度か繰り返していました。

世にある素敵な曲たちを聴くと、こんなの作れないし

と自分の中で勝手に結論したりしていました。


けれど今になりようやくです。

そんな自分を克服しておきたいと思い直すようになりました。


1曲も作ったことないくせに自惚れるな。良い曲かどうか以前になんでも良いからまずは1曲作りなさい!私。」

「最初は下手でも大丈夫。大体みんなそう。」

そう考えを切り替えて、作ることにしました。


そして私は、今年の2月に京子バラッド1周年のライブをした際に「今年中に曲を作って発表します。必ずやります。」と公言し、そこから約半年、人生初の自作の歌が遂にできました。


自分にはとても大きな一歩です。



たくさんの時間をかけて、文字どおりウンウンうなりながら作りました。

とても処女作らしい曲になっていると思います。


発表記念公演をやりますと公表し、今から本当に緊張しています。

歌う時には、格好つける余裕など全くなくなるかもしれない。

けれど発表すると決めたからには聴いていただかないと。

そう思っているので、応援してくださるみなさまにはぜひ足をお運びいただきたいです。

もちろん、これから応援したいと思ってくださる方たちにも。


どうぞお越しくださいね。

お待ちしております。


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the Ballad -step-


日程:2022/9/24()

会場:ライブサロンKARL MOHL

   https://www.karlmohl.net/

時間:open 14:30 start 15:00

料金:3,800円(+1drink


ご予約・お問合せ

kyokoballad@gmail.com


予約サイトからも受け付けています


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昨日、思ってもみない再会エピソードがあったので久しぶりにブログを書きます。

 

一昨年に解散したサロメの唇は、私にとって人生で2つ目のバンドです。

そして、上京の半年前に短期間活動したバンドが、私にとって人生初バンドでした。

20年以上も前の話です。

で、先に言ってしまうと、なんとその時のライブを見てしかも覚えてくださっていた方と、昨日のライブで共演しました。

 

 

上京前、2000年11月に私は、ツインギターとボーカルの3人編成のバンドで初めてのライブをしました。

ギターの2人とは友人を介して知り合って、最初はなんとなく飲み友達のような付き合いから始まったけれど、ある日2人から「今度の学園祭に出てみようよ」と誘われて、わりとふわっとバンドを組みました。

この時点で私は、半年後にはお金を貯めて上京しようと決意していたので、ライブも1度きり。

そんな話で、それでも2人は曲を何曲か書いてくれて、家飲み会のついでにその曲たちを練習するようなゆるい雰囲気のバンドでした。

2人は京大の軽音部員。

だから、ライブ会場は西部講堂でした。

当時、私はなんにも知らなくてピンと来ていなかったけれど、西のロックの聖地と呼ばれる場所です。

私はバンドはもちろんライブ出演自体初めてで、(随分昔ということもあり本番のことはあまり覚えていないけれど)これがライブというやつか~なんて思いながら歌いました。

大学に行っていない私は、なんとなく大学生たちの輪に入って過ごせたのも楽しかった。

 

その後、計画どおりに上京準備を進める私に、メンバーや友人が「解散ライブをしよう」と持ちかけてくれました。

1度しかライブをしていないしそれで終了と思っていたのに仰々しく解散ライブなんて面白そうと思って、やることにしました。

それが2001年4月。

場所は西院のライブハウス「陰陽(ネガポジ)」です。

 

このネガポジの現オーナーさんが、昨日共演した京都のバンド「テンゴ」のバンマスでした。

で、その情報は先に知っていたから、本番前のリハーサルでご挨拶させていただいてすぐに「私、大昔に1度だけ出演させていただいて…当時は山崎さんという方がオーナーさんで…」と伝えたところ、返ってきたお返事が「そのライブ、見たよ。覚えているよ。」でした。

なんと、です。

お話を聞くと(失礼ながら知らなかったのですが)、ネガポジは兄弟で運営されていて、当時はお兄さんがオーナーで、現在は弟さんであるテンゴのバンマス(ヒデキさん)がオーナーということでした。

この解散ライブ後ギター2人のうち1人が、オーナー兄弟のバンド「ウォーラス」に加入して活動していたため、ヒデキさんからすると覚えている理由はあったのかもしれません。

けれど私からすると、あの(格好良く言えば)幻の…幻すぎるライブを見た人、そしてまさかの覚えている人と、20年以上越しにこうした形で会えるとは、本当に驚きました。

 

長く続けていると、こういうこともあるんだと感激しました。

時間のかかる私の歩みを肯定してもらえたような、そんな気持ちになりました。

 

これは、ネガポジでのライブが終わってからだったかな、ギターの2人が私に「これでがんばってこい!」とプレゼントをくれた時の写真です。

紙袋の中身は、SURE58というマイク。

何も知らない私に、これが世界基準のどこでも使えるマイクだから。と教えてくれました。

 

さすがにもう良い音が出なくて今は使っていないけれど、使っていた頃はこれをもらった時のことを思い出しながら使っていました。

のちに、弘田三枝子さんのサイン入りマイクとなりました。

今も大切に保管してあります。

 

 

気持ちを奮い立たせてくれて、今回のエピソードにありがとうと言いたいです。

2022年6月26日の日曜日の夕方。

「みなさん、ラストライブお疲れさまでしたー!!」

というチーフの乾杯の音頭で、サロメの唇の打ち上げが始まりました。


2020年11月22日の解散から1年半余り。
ようやくの開催です。

本来なら、ラストライブ当日のうちに打ち上げをする予定だったけれど、新型コロナの影響を受け、残念ながら延期となってしまった。

今年の春あたりから、そろそろ開催しようという話が持ち上がり、ラストライブに出演したメンバーとスタッフを中心に集まることになりました。

1年半の間、一度も会えていないメンバーもいたし、会っていたとしても、元々しょっちゅう顔を合わせていたことを思うとほとんどのメンバーが久しぶり。

当時はリハの日程調整もなかなか大変だったな…みんなでスケジュールを入力していたな…と懐かしく思い出しながら日程を決めて、実現に至りました。


打ち上げは、ライストライブ2デイズの映像を流しながら、みんなで飲み食いしておしゃべりして、映像からサルビアを私にが流れてきた時には3人のダンサーが並んで踊り出し後ろではハヤシさんがドラムのアクションをして、手品大会をして、(キッズもいたので)相撲大会もして、それから誕生日当日のかずみんのこともみんなで祝いました。


最初の乾杯をしてしばらく経って、少し遅れてきたメンバーも到着して全員集合となり、再び「かんぱーい!!」とグラスを合わせた時。

突然、「チーフ、京子さん、おつかれさまー!!」と、花束を渡された。

不意打ちだった。
思ってもみなくて、ものすごく驚いたのと同時にあの日のステージ後からJAMを出るまでのことがフラッシュバックしたような感覚になり、胸がいっぱいになりました。
あの日の続きをしているみたいだった。

花束は、みんなでコッソリ打ち合わせてどんなお花にしようかと相談してくれたそうで、チーフには食虫植物や毛が生えたような毒々しいお花、私にはラストライブの衣装のような赤いお花をと、それぞれにイメージして選んでくれたとのことでした。

「これが橘京子としてもらう最後のお花だよ」
と言われ、そうか、今日私はサロメの唇の橘京子だったのか、と気付き、この花束をとても意味深く受け取りました。

みんながサロメの唇のことも私のことも、すごく大切に想ってくれているんだなと実感した。
こうして文字にしている今も、しみじみと感じています。



イヴちゃんが「みんなに会いたい」と言って開催のきっかけをくれて、

ホッペちゃんは会場の準備をたくさんの時間を使って協力してくれて、

ペラはかずみんへのサプライズケーキの準備を手伝ってくれて、

かずみんは知らぬ間にチーフと私への花束をみんなに呼びかけてくれていて、

ヒラッキーはサロメの唇を親戚みたいなもんだと言ってくれて、

ハヤシさんはどの曲が大変だったかを初めて話してくれて、

エミーリーちゃんはこの日を含めこれまでに何度もサロメの唇のために名古屋から東京へ足を運んでくれました。

スタッフのアベちゃんとコンちゃんは、私にとっては今でもいちばんよく飲みに行く友人です。

このメンバーで、以前と変わらない距離感のまま集まることができて本当に幸せです。


解散ライブ当日の打ち上げを延期にすると決めたあの時は、
その日だけの感情があるのに。
後日集まっても、意味が変わってしまうのに。
ツアーだって泣く泣く諦めたのに、打ち上げまで…と、どうしようもない現実が本当に悔しかった。

けれど日の無念が晴れました。


バンドを18年間も続けること、
解散ライブをできること、
期間が空いても打ち上げができること、
特別だと思います。


心がホッとした、そんな一日になりました。
本当にありがとう。

7/18日曜日には、U.F.O.CLUBで歌わせていただきました。


元々は4/29に昭和の日の開催予定だったこちらのイベントは、ギャランティーク和恵さんとわたくし京子バラッドのツーマンライブでした。


この日は初披露の曲を加えて全9曲を用意していたところ、楽しくて言葉がどんどん出てきてしまったためにMCが長引き8曲のお届けとなってしまった

という、やはりリラックスしながらのステージでした。

お越しくださったお客さまたちはもちろんマスクをつけて声は出せないものの、客席からは温かい空気感がものすごく伝わってきた。

去年までの17年間で何度も何度も歌わせていただいたU.F.O.CLUBは、だからこそピリッとするのかなと思いきや、1曲目を歌っている時からなんというかホーム感のようなものを感じました。

私は今またここで歌って良いんだなと実感することができました。

とても幸せな気持ちで歌わせていただきました。

本当にありがとうございました。


和恵さんのライブは、本当に格好良かった。

歌声はもちろん、衣装もステージングもです。

バンドメンバーにかずみんとヒラッキーがいて、それからリーダーのやっさんもサロメをサポートしてくれたことがあって、そんな彼らの演奏の気持ちの良いこと!

この空間でのバンドサウンドに、これこれ!と思いながら私は体を揺らして思う存分楽しませていただきました。








この2日前の野毛うっふが楽しくてとても気分の良いまま18日を迎え、お昼過ぎにU.F.O.に入ってかずみんやヒラッキーの顔を見つけて和恵さんややっさんやスタッフさんたちと久しぶりの挨拶をして、本番前から嬉しい気分で過ごしていたこの日。

楽屋ではかずみんと並んで化粧品を貸し借りしながらメイクして、、いつもの。という雰囲気だったな。

和恵さんは、私が自分じゃ使わないからと以前に差し上げた香水を今もお持ちで、それをお渡しした時のことを話したり。

そういった時間も、本番の私のリラックスに繋がっていたように思います。

当日の心って、とても大切です。



それにしてもこのイベント、実現できて本当に良かった。

最初にやっさんから声をかけてもらったのはたしか1月。

まだ京子バラッドの名前の公開前で、これから自分が誰かから出演のお誘いをいただけるかどうかも現実的には考えられていなかった頃でした。

そこにギャランティーク和恵さんとのツーマンライブのお話。

本当に私で良いんですか!?という気持ちを持ちつつ4月に向けて準備を始めて

結果、4月から7月に延期となったけれど、それすらヒヤヒヤの状況。

そんな流れがあったからか、実現できてホッとしたのと募っていた楽しみな気持ちも相まって、あの夜は特別なかんじがしました。


  


7月はライブが3本。

そのうちの2本が自分にとって本当に実りあるライブでした。

3本目は7/31です。

また初披露の曲をやります!

少しずつでも初めてのことを取り入れていきたい。