済州島の旅②
海に着いた
綺麗
『Ham deok』という場所で、今はリゾート地になってホテルも増えてる。
3月はまだ寒いけど、夏は海水浴で賑わうそうです。
昔ながらのお家も残っていますが、何故ここに来たかというと・・・
私の父が育った場所なのです。
生まれてすぐ、母親を亡くした父。
だから本当の母親を知らない。
新しい母親がくるも、訳あって父はおばあちゃんに育てられた。
15歳までここで生活をした父。
親の愛情を一切受けれず、それはそれは過酷で貧しい生活だったそうで。
そんな中、この地に別れを告げ、20歳になる前にひとりで船に乗り日本へ。
言葉も話せない、字も読めない。
独学で日本語を学んで・・・ただ生きていくために必死だった。
そうして結婚し・・・私たちが生まれた。
並大抵ではない苦労の中、親の愛情を受けずに育った父が、愛情を持って子を育てるということは、難しいことだっただろうなと今だから理解できる。
ただ、私たちにご飯を食べさせ、学校に行かせて・・・
育てることが精一杯だったことも今だから理解できる。
そして何より、父の中にある深い闇、その悲しみと寂しさが今の私にはわかるから、だから私は今ここ(父の故郷)に来た。
私に繋がる、今は亡きご先祖にご挨拶をしたい。
もちろん日本にていても意識で繋がることはできるのだけれど、地の神さまにもご挨拶したいと思った。
自分がこの地で生まれたことに苦しみ、この地のことを忘れたいと思っている父親に言っても「なんで行くんや!」と叱られるだけだと思い、内緒で行こうと思っていたのだけど、流れで父親に電話で伝えることに。
そして正直に伝えた。
「ちゃんと先祖供養をしたい。お墓はどこにあるん?」と恐る恐る聞いた。
少し沈黙が続き・・・
「もう・・・ええよ・・・今更・・・」と父は小声で答えた。
そして投げやりな感じで
「今更なあ。。。わしらの家系が行っても誰も歓迎せん。もうええ、もうええねん」
その言葉に隠された父のものすごい深い悲しみと寂しさを感じ、絶対泣きたくないと思っていたけど泣いてしまった。
言葉には出せなかったけど、私は心で叫んだ。
「なんで?もうええやん、十分苦しんできたんやからもういい加減自分を許してよ・・・」と・・・
でも父の沈黙の中に、これ以上は何も言えない空気感があって私は
「うん、わかった」と答えた。
最後に父はこう言った。
「お墓に参ることだけが供養じゃない。人間は気持ちや。気持ちは必ず通じる。だからお墓には行けなくてもこれだけしてくれたらいい。
空港に着いたら手を合わせて、おじいちゃん、おばあちゃん来たよと伝えて。それだけでいい。それで先祖には伝わるから」と。
私は泣きながら「うん、それをちゃんとしてくる」と伝えた。
済州島へ私が行くことは、喜んでくれている感じが伝わってきた。
そんな前置きがあってここに来た。
だからこの海を見た瞬間涙が。
空港に着いたとき、父の言っていたように手を合わせ挨拶をした。
そしてここ、父の育った場所でも叫んだ。
「来たよ!おじいちゃん、おばあちゃん!」
するとその瞬間、大きなカモメが一羽、私のすぐ頭上を飛んで行った!
何故かそのカモメが・・・・
「父が生まれてすぐに亡くなった本当のお母さん」だと感じた。
私自身は、可能なら父が住んでいたお家を探したいと思い、父には内緒で本籍地を調べてきていた。
その住所を地図に入れて・・・
私は気持ちが高揚して気が気じゃなかったので、友人が探してくれて・・・
2人もスーツケースを引きながら、この辺りのはず・・・と言いながら狭い路地を歩いていく。
すぐ近くまで来ているのに番地が全然違う・・・
なんで?探せない。
どこ?どこ?行っては戻り・・・
ここまで来たなら辿り着きたい一心だった。
そのとき、犬が吠えた。
それで住民が家から出てきて・・・
写真を撮ったりしてたので怒られると思ったのですが・・・
本籍地を見せて「ここを探しているのですが」と伝えたら、親切な住民の方が「お家に入り」と私たちを入れてくださり、その紙を近所の人たちに聞きまわってくれて・・・
昔と番地が違っていたのですが、古い地図を出してくれたのを見ると、すぐお向かいのお家だったのです!
するとそこに今住んでいるおじいさんも出てきて、私の書類を見ながら聞き取れないハングル語が飛び交い、何やら今は違う人が住んでいるけど場所は合っていた!
とても親切な方に出会い、見つけることができたのです。
その父が住んでいた場所のご自宅の写真も撮っていいよ、中にも入っていいよ。と言ってくださり・・・
その場所で再びご先祖に手を合わせて・・・
父が住んでいた土地に来れたことを心から感謝した。
一緒に探してくれた友人にも、ここの住民の方にも・・・
みんなの助けがあって辿り着けた。
一人では見つけきれなかった。
本当にありがとう。
(この建物は祭事のときに神さまをお祀りする祭壇なのですが、帰国後、この写真を見た父はここをはっきりと覚えていて、場所が合っていたことが再確認できたのです)
この日は父の故郷の地で宿泊することに。
偶然にも、先ほどおじゃまさせて頂いたお家の店主が近くのホテルの方と知り合いで・・・
ホテルまで車に乗せてくださり・・・
何も決めてないけど全てがうまくいくってこういうことなんですね。
本当にありがたいことでした
この後は少し散策し、夕食はやっぱり海の幸が食べたい~と、魚の絵があって水槽があるお店なら間違いないだろうと。
またまたこ~んなに、食べきれない量の魚介が
どれもこれもほんとに美味しい。
クロダイのお刺身
もちろん2人では食べきれず・・・
魚の頭をスープにしてくださいました。
お酒を飲みながら今日1日の感動を語り合い・・・
涙涙
済州島の夜
強風で寒すぎる~
でも私の心は温かかった。
真ん前が海のお部屋
またいろんなことを語り合い
この日の朝方、夢で「また来なさい」と誰かに言われた。
日の出を見るために海へ。
父へのお土産にこの地の貝殻を集め
また羽根も見つけた。
ゆっくりゆっくりと、朝日が顔を出し
波の音と、かもめの鳴き声と風の音だけ。
本当に静かな朝
父にこの風景を見せたいと思うとまた涙が込み上げてきて・・・
海の音を聴かせたいと動画も撮り・・・
いろんな思いが私の心にあった
でも私は今回ここに来て
この地のエネルギーとちゃんと繋がったと感じた
最後に・・・
大地のエネルギーをチャージ
ここに来た証
石を積んで祈りを・・・
「また来るね」と伝えて、この海にさよならした。
次は旅のラストです