スウェットロッジセレモニーの記事の続きです
午前2時ごろ、ようやく火の準備ができたということでロッジに行きました
夜中ですから外は真っ暗でめちゃくちゃ寒い
懐中電灯で照らしながら歩いていきます
セレモニーは松木さんが主となり、それぞれの役割をもったスタッフさんが準備をしてくださっています。
ファイヤーキーパー(火の番人)、歌をリードする人などなどみんなで力を合わせて成り立っています。
特に「火」はセレモニーにとってはなくてはならない大切な存在ですから、火の管理は重要です。
(その火の中で石を焼き、ドームに運ばれてきます)
普通の焚き火の大きさとは比にならないぐらい大きな炎がありました
パチパチという音と、炎の光、温かさで胸が高鳴ります
他のとろこを撮影しても出ないのに、バッファローの頭蓋骨がある祭壇周囲のみだけ写真に紫の光が入ります
どれだけ神聖な場所なのか・・・ということがわかりますね
さて
いよいよセレモニーの始まりです
月と星空の下で炎が大きく燃え上がり、誕生を待ち構える十何人の胎児(私たち)がいます。
インディアンフルートが鳴り響き、松木さんの歌でスタート
静かな山に、フルートと歌声が響き渡ります・・・
スタッフに全身をセージで浄化して頂いたあと「ホー、ミタクイエオヤシン」と言葉を唱え、1人ひとり、赤ちゃんがはいはいするように四つん這いになってドーム(子宮)の中に入っていきます。
「ミタクイエオヤシン」とは、ラコタの大切な言葉だそうで「私につながるすべてのものたちよ」という意味だそうです。
(ネイティブではこの言葉がよく出ますね)
ドームの中は真っ暗です。
お母さんの胎内ってこんな感じなんだろうな・・・
全員が入るまで待ちます。
心の中は「暑さに耐えれるかな?大丈夫かな・・・」そんな恐怖でいっぱいです。
人が全員入った後に、炎で焼かれた岩石が運び込まれてきます。
真っ赤に燃えている富士山の石。
そこに松木さんがたばこの葉を落とすと、まるで光の精霊かと思うぐらい綺麗な光が石の上で踊りだす。
「綺麗」
みんなの声が高まります。
石が入ってくるごとにドームの中は暑くなり、その上に水をかけたら「ジュー」っと音が鳴り響き蒸気とともに更に暑くなる。
そして入り口の扉が閉まります。
扉が閉まると熱がこもるのでめちゃくちゃ暑いです
目を開けても閉じても何も見えない、本当に真っ暗です。
聴こえるのは声だけ。
中心の岩石の部分が胎盤。
それぞれ自分たちのへその緒が繋がっているイメージをします。
セレモニーは第四まであり、まず第一は歌と松木さんの祈りとともにスピリットを呼びます。
第二は一人ひとりの祈り。
第三はパイプ(たばこ)を吸い、煙とともに祈りを吹きます(ネイティブアメリカンではパイプ・たばこは神聖なものとしています)
そして最後の第四は感謝の祈り。
もう第一の時点で暑くて苦しくて息ができません
息を吸うと、熱い空気が入ってくるので粘膜が痛くなり
ものすごい汗が一気に出てきます。
想像はしていたけれど、あまりの暑さに心臓の鼓動が大きくなり、手足がしびれて意識がもうろうとしてきます。
「苦しい、暑い、私のスピリット、どうか守ってください、最後までここにいさせてください」と何度も祈りました。
仲間の一人はもう耐えられなくなり、途中で出ることになりました。
もちろん我慢比べではないので、限界で無理なら出ることはできますし、途中で扉を開けてもらったり、お水を頂くことはできます。。。が、再び始まると扉は閉まりますのでとにかく苦しいです。
そんな中、なんとか第一が終わり第二へ・・・
みんなヘトヘト、意識もうろうの中、一人ひとり順番に祈りを唱えます。
「祈り」って自分のためや誰かのためやいろいろありますが、綺麗に言葉を繋げて「・・・になりますように」のような何か言葉にしないといけないって思いませんか?
今回「祈り」という概念が変わりました。
祈りって・・・
「辛いです・苦しいです」
「どうすればいいのかわかりません、助けて下さい」
「ごめんなさい・・・」
そのようなものでも祈り。
言葉にならなければ、ただ泣き叫ぶ・・・これも祈り。
無言・・・これも祈り。
大切なことは創造主に送り呼びかけることだと。
ここ(このドーム)では赤ちゃんのように泣き叫んでもOKなんです。
私たちは胎内にいる赤ちゃんなのですから。
内側から湧き上がる思いや感情、願い、希望など何でもいいので自分の番がきたら祈るんですね。
誰かが発した言葉に耳を傾け、聴いている人はただ「ホー」という言葉を返します。
この「ホー」という言葉は「そうなんだね、わかるよ」のように共感を示すインディアンの相づちです。
決して否定したり質問したり意見したりさえぎることなく、ただ寄り添うように「ホー」という言葉で、その人の「あるがまま」を受け入れます。
ドームには祈りを捧げる人の言葉、泣き叫ぶ声と、周囲の「ホー」という言葉だけが聴こえます。
言葉にならずただただ泣くだけの人もいます。
それでも「何か言って」とか「早く」とかいうこともなく、ただただ「待つ」のです。
その人の祈りが終わるまで、待つのです。
みなそれぞれ・・・決断したことを言う人もいれば、感謝の気持ち、許せない気持ち、苦しかった気持ちだったり、ときには歌を歌う人もいたり、言葉にならなくて「あー」とか「うー」とかでもOK。
とにかく意識がもうろうとしていますから、頭で考えることが出来ない分、内側から出てくることを表現するのです。
頭で考えている間は、理想論であったり美化してしまうときがあります。
例えば「地球のために、宇宙のために・・・」というような祈りは素晴らしいと思います。
でも大きなことよりもまず、自分自身の苦しみや夢や希望や満たされていない思いや、こうなりたいとかいう思いの方が実際のところ多いのではないでしょうか?
自分と向き合うのが怖いから嫌だから、自分以外の大きなものを祈りの対象にして、自分をわからなくしているということもあります。
また、自分はこんな大きなことを祈っていると自己満足の場合もありますね。
自分のことを置き去りにして、地球や宇宙という大きな存在と向き合えるか・・・
幸せの基準はそれぞれですが、自分が幸せを感じていないのにどうやって他者を幸せにできるのか?!
ドームの中で聴いた一人ひとりの祈り。
大きなことを祈っている人は誰もいませんでした。(それが良い悪いではなく)
みな自分のことを懸命に祈っていました。
これはエゴではありません。
本当に内側から湧き上がる思いや願い、いまずぐに創造主に聞いてほしい祈りというのと、表面で美化され思う祈りというのは違う場合があるということ。
もちろん自分と向き合って、自分のこともちゃんと理解できていて心の余裕をもったうえで内側から本気(本心)で出る大きな祈りは素晴らしいことですよ
でも人間ですから綺麗ごとではなく、まずは身近なことや自分自身への祈りからでもOKだと思います。
人間らしくていいじゃありませんか
それもあるがままの自分を受け入れるということになると思います。
「創造主はわたちたちを試行錯誤によって学んでいくように創られた」とあります。
(本:月に映すあなたの一日より)
試行錯誤するってことは、人生一筋縄では行けないことを意味しますよね。
悩み苦しみそこから学んで生きて行く。
それは人間として生れた以上、避けては通れない道であるということ。。。
ただ、苦しみだけではなく、幸せを感じることもいっぱいありますから、幸せの見つけ方が上手になれるといいですね。
セレモニーに戻りますが私の番がきました。
溜め込んでいた、過去の怒りや苦しみが一気に出て、泣き叫びました。
(こんなに大きな声で泣き叫んだのは大人になってからは初めてです)
そしてスピリットに助けを求めました。
ドリームワークで見た嫌なビジョンも伝え、スピリットに正直に気持ちを伝えました。
その後、他の方の祈りも続き、松木さんが創造主から受けた返答でしょうか。
何人かの答えがドームの中で返ってきました。
その中に私が問いかけたことが入っていて、その言葉を聴いた瞬間、私の脳が回転するかのように、もう普通に座っていることができないぐらいに、エネルギーが体で渦巻く感覚がわかり、体に痛みが走り苦しくなり、倒れそうになる体を隣の仲間が暗闇の中支え、手を強く握りしめさすってくれました。
私はその腕の中で泣き叫びました。
この状態までいくとほとんど冷静な意識はありません。
創造主が答えてくれた喜びもあったのと、これから向き合うことになるであろう現実が私の魂に強くきて、いろんな感情が渦巻き、平常心が保てなくなりました。
創造主からのメッセージというのは、すごい衝撃できますね。。。
でもそこには愛があり、心からの感謝の気持ちが沸いてきました。
そして第三。
パイプが周ってきて、煙を吸い、煙に祈りを込めて吹き出します。
そして最後の第四。
残りの焼石を全て入れますので、もう強烈な暑さです
暑くて皮膚が焼けそうになるぐらい痛く、「暑いー」「苦しいー」というような声がドームを包みます。
そこに松木さんの力強い祈りと、みんなで手を繋いで、喉が切れそうになるぐらい大きな声で歌います。
(大きな声を出して叫ばないと逆に耐えれないぐらいになったりもします)
汗と涙ともうぐちゃぐちゃです。
そして全ての祈りが終わり・・・・
扉が開く掛け声で、入り口が開きます。
そこに見えるのは明るい朝。
そう、もう夜が明けていました。
夜中の2時から始まり、7時前になっていたのです。
そして一人ひとり再び、四つん這いで扉をでます。
「おめでとう」とスタッフが1人ひとりに声をかけて待ってくれているのですがその瞬間、また大泣きです。
赤ちゃんが産声を上げるのと同じ。
フラフラで立てないのでスタッフの方が支え、抱きしめてくれました。
またその腕の中で「ありがとう」と泣きました。
次々にドーム(子宮)から出てくる兄弟姉妹たち。
苦しい時間をともにし、みんな赤ちゃんのように泣いて抱き合いました。
実際に私たちは真っ暗な胎内で長いときを過ごし、いろんなことを感じて、生れる恐怖や痛みを伴って生れてきます。
それと同じ流れをこのセレモニーで行い私たちは再び生まれたのです。
この日がもうひとつの誕生日になるともいいます。
あんなに大きかった火が、小さくなっていました・・・
安全で生れてこれるよう、セレモニー中ずっと私たちをみ守ってくれていたのですね・・・
セレモニーの前に作ったお守りは、風に乗って私たちの祈りが創造主に届くように、ときが経つまでそのまま吊るしておくそうです。
ここで過ごした時間が終わる。
何だか少し淋しい気持ちもするけれど・・・
私たちは生まれ変わりました~
セレモニーの後は、生れてすぐの食事をとり、寝ます。
「みんな、生れたての赤ちゃんやから、必ず飲み物(哺乳瓶の意味)を置いて寝て、目が覚めたら水分取るんやで~」ということでした
そして最後、兄弟姉妹たちと食事をともにし、終了の儀式を室内で行いました。
みんなそれぞれ最後の想いを語り合い、涙し、歌を歌って感謝し、終了・・・
外は夕暮れ
みんなそれぞれ違う場所へと帰っていきます。
でも仲間とともに過ごしたこの時を忘れることはないでしょう。
帰宅して写真を見て驚いたのですが・・・
これはセレモニーの前にドーム内を撮影したものなんですが、薄いのでよ~く見ないとわからないけれど、印のところに薄いオーブがいくるか写っていて、まさか・・・と思って調べたら、私がセレモニー中座っていた場所なんです
座る場所は夜のワークのときに決まったので、自分がどこに座るかなんてこのときは知らないのに写真に既に写っていたということは・・・すごいことですよね
この儀式のすごさに更に驚かされました
松木さんの新作本
サインして頂きました
この二日間で感じたこと、学んだこと、体験したことはこれからの人生に大いに役立つと感じています。
人生には「耐えること」も必要ですよね。
ほんの少しでも・・・強くなれたかな?
ミシェルさんとも話していたのですが「地に足を付けること」
グラウンディングともいいますが、イメージワークで丹田下からコードを伸ばして地球に繋がって・・・とかありますが、グラウンディングの本当の意味はそのようなイメージだけでなくて、「母なる大地」といいますが、心から大地との繋がりを意識して感じて生きるということなのかもしれませんね。。。
私もまだまだですが、少しづつ変われたらいいなって思います。
お伝えしたいことが多すぎて書ききれませんが、何でも自分で体験して初めてわかることだと思いますので、スウェットロッジセレモニーに惹かれる方は是非体験してみてください。
現代のスピリチュアルな世界に欠けている精神、生きていくには本当に何が必要なのかを表面的ではなく奥深い部分で感じることができると思います。
ミタクイエオヤシン