入院49日目/術後46日 | REIKOのブログ

REIKOのブログ

私の価値観や病気に対するモチベーション、病気を通して学んだこと。病気のあんなことこんなこと。さりげない日常を私の視点で書いています。今はこの身体で良かったと思っています。このブログは私の備忘録も兼ねています。マルチジャンルな内容はご愛嬌で!



その後の経過&入院生活



退院まであと3日

あと少しだおねがい


松葉杖歩行も

松葉杖での階段も

床(自宅では座敷)での

立ち座りも心配ない

レベルになりました


今日から病棟で松葉杖OK

病棟から1階へ行ったり

歯磨きや洗顔は車椅子で

というぐあいに

松葉杖と車椅子の

使い分けをしなきゃです


それと、やっと病室の

トイレへ行くことできた爆笑

序に松葉杖で病棟一周するも

何時も車椅子の私を見てる

ナースさん、補助さん

誰も私に気づかなーい笑い泣き


やっぱり立ってるのと

座っているのとでは

見え方違いますよね

リバビリ担当の方にも

分かっていなかながら

2度見されちゃったよ


リバビリ担当の方

一瞬、通り過ぎるも

バックしてきて

アレっ ビックリした〜

似てる人がいると思ったら

本人だったと言ってきたよ🤣


リバビリ終わった直後で

そんな反応しますかね😅

こっちがビックリなんですが...



話は変わりますが


右下肢は麻痺のままですが

歩けることに感動したり

スイスイ歩いている人の

足を見てしまう自分に

気づいたりしています


手術前のようにスイスイ

歩けないだろうと思う

でも、また手放しで

自分の足だけで自立して

歩けることを目標に地味に

リバビリを継続していきます


松葉杖生活は早くて2ヶ月

長くて半年だそうです

10年前は半年でした

今回もそのくらいかな


前回は松葉杖取れてから

3年はT字杖だったので

今回も松葉杖取れてからも

暫くはT字杖かもしれいです


でも、杖さえあれば

何処にでも行けます

数年前は杖で電車乗って

東京の患者会やイベント

行ってましたからねウインク


今は松葉杖生活に慣れるよう

頑張るのが1番大切なんで

遠出は次の目標として

頭の隅に置いておきます



自宅の中は階段がある以外

バリアフリーなので

心配はないと思いますが

帰宅したら、過信せずに

気を付けようと思います


両親と相談を重ねた結果

しばらくは祖母がいた

1階の部屋で寝起きします 

麻痺があるので松葉杖で

階段は危険との判断で

用がある時以外は

2階には行かないこと

そう決まり事ができました 


私用の折り畳みベッドまで

父が購入してくれそうです

頑固で聞き分けが悪かった

あの父が丸くなってる

母上様、父に何かしたの

と思ってしまうぐらいです🤣


入院して改めて思ったこと

それは…


命があることや息が吸えること

自分一人で食事ができること

歩けることや体が自由に動くこと

一人でトイレへ行ったり

一人でシャワーを浴びること

一人で着替えができること

それらは当たり前なんかじゃ

ないということを改めて感じた


通常の生活をしていると

忘れがちだなって思う

だから

これから外の世界に戻っても

その感じたことを忘れず

意識しなから生きれる

人でありたい


当たり前なことなど

存在しないと私は思う

その思いがより一層

深った1ヶ月ちょいでした


ここまで読んでくださり

心から感謝致します




両親2人だけで草刈りしたそうな…
広過ぎ〜
父が勝手に伐採を頼み更地に😅
更地にしてない部分もあるそう

私は小学以来足を踏み入れていない
秘密の山でございます。
よくカブトムシしとめてました。





髪伸びちゃったから
次はこんな感じに切りたい
今はベリーショートから
ショートボブに
なってしまったチーン
本当に襟足とかウザイ


前回の投稿



ウクライナ、ロシア間の
戦争が1日も早く収束し
両国に平穏と笑顔が
戻りますように

どうして罪なき人や
子供まで犠牲に
ならねばいけないのか
とても残酷で悲しい

自国を守ろうと
しているが沢山いる
それは軍人だけで無く
招集令状を渡された
一般市民だ

みんな恐怖の中で
抗えない定めを
生き残れる
保証のない定めを
背負って一秒一秒 
を戦っている


その様子を
ニュースで見て
祈ることしか
私にはしかできない

戦いが終わる
その日まで
祈り続けます

ケガをされた方や
心に傷を追った方
にはお見舞いを

そして
多くの罪なき
犠牲者の皆様に
追悼の意を捧げます
 

REIKO