何があったとしても | ココロ

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可愛い人・穏やかな人がうらやましい

息子の勤務先で

同僚同士のトラブルが…

 

私には

なにがあったか分からないけれど

当事者の1人は

勤務途中で帰らされたのだとか

 

 

 

帰らされた人は

以前からトラブルメーカー的行動は

あったよう

 

息子の話を聞くだけなので

正しい判断はできないし

する気もないけれど

 

どんな理由があったとしても

手を出すことは 絶対に許されない

 

 

 

たとえ理解できなくても

異論があるならば

口で言うしかない

 

 

 

お互いが理解できないから

争いになるのは事実だけれど

 

争いにならないために

その根源に触れないことも

時には必要と思う

 

 

 

それが出来たら

 

国家レベルの争いなど

起きるはずがないか…

(現在もその争いが続いているわけで)

 

 

 

お互いに主張があり

お互いに譲れない部分があり

 

それを調整していく 力(ちから)

相手が何を言いたい・やりたいか

推察する 力(ちから)

 

そういうものが

欠如していると思う

 

 

 

帰らされた当事者の1人だけが

悪いのではなくて

(もちろん原因を作っているけれど)

 

もう1人の当事者が

ある意味諦めて何も言わなければ

どうにかなった…は 無理すぎるかな

 

もう1人の当事者は

おそらく

自分なりの価値観があり

許せない部分もあったと推察する

 

 

 

だからといって

自分なりの正義を振りかざしていいとは

限らない

 

 

 

無視は良くないこと

でも

自分を守るための 無視

 

時には必要ではないかと

思ったりする 私がいる

 

 

 

 

 

自分の正しさ = 他人の正しさ

ではない

 

完全には無理としても

自分のフィルターを疑い

他人のフィルターを察してみる

 

 

 

自分のフィルターが正しいと思えば

そのフィルターを信じたらいい

 

でも自分のフィルターを

他人に押し付けてはいけない

 

 

 

スタバで掲示されていた

NO FILTER

 

いい言葉だけれど

とても難しい