言葉には、説得(反感)と納得(共感)の意味を込めたものがある。ある程度社会的に地位のある人は、人から指摘されることをあまりよく思わない。これを説得とする。一方、そんな相手のことを理解した上で言葉を選んで発言するのを納得とする。
このふたつの大きな違いはどちらが相手に寄り添えるかだと思う。
心のどこかで「自分はそうは思わないが」と本音を隠して「それはいいね」と相手に同調する。人間の秘めたる二面性は第三者があってこそ生じる。消して病気的なことではなく、誰しも本音と建前を使い分けているので、それを真面目に鵜呑みにしていては長生きできそうもない。例え好きなアイドルが陰で恋愛をしていたとしても、そこでファンを辞めるのは本音と建前の分別ができず、「アイドルらしからぬ非行だ」と決め付けるのは、好きなアイドルを一人の人間として見ていないように思える。

ある医療機関がこんな実験を行ったらしい。

ストレスを溜めず、言いたいことをはっきり言う人たちを集めたグループをA、反対に内向的でストレスを抱え込むタイプで集めたグループをC、その中間のタイプを集めたグループをB。この3つのグループに免疫力を調べる臨床実験を行ったところ、最も病気にかかった人が多かったグループはCで、内向的傾向が強く、ストレスを抱え込み、自分のことより他者を優先する、いわば良い人に偏りがあることがわかった。

自己犠牲とまでは言わないが、なかなか無償で人に優しくできる人はそんなにいないのではないか。人は何かしら財産や名誉を求めている。

人に優しい。簡単そうで難しい。自分の人生なのだから、人に嫌われようが知ったことでは無いのだし、それ自体世間も気にしていない。人はみんな我儘だ。

殆どの人間がつい我儘な発言や行動をしがちなのだから、我儘自体にそんなに悪い印象はないから、僕は問題視していない。アドラーが唱える嫌われる勇気の根底は、同調圧力に屈せず、自分の考えをはっきり主張できることだと思う。何も自分のスタンスを崩す必要はないと感じる。